影響力に対して自覚していますか?

大人になると「自分には影響力はない」と信じている人は多いです。

それは信じているだけで影響力を回りに与えています。

人は生まれながらに影響力というものを持っています。

生まれた時のことを想像してください。

どれだけの人に祝福されていたでしょうか?

お父さん、お母さん、おじぃちゃん、おばぁちゃん、親戚の人たち、近所の人たち、出会う人たちに手を振ってもらったり、遊んでもらったり。

赤ちゃんは、周りの人たちに笑顔をプレゼントしています。

赤ちゃんはどんな人も受け入れる力を持っているので、誰もが笑顔で話しかけてくれるのです。

もし拒否されたらどうしようという痛みを感じないので、気軽に接してくれるのです。

 

死んだ時のことを想像して下さい。

どれだけの人が涙をしているでしょうか。

自分を肴に笑ったり泣いたり懐かしがったりしているでしょうか。

 

人が集まっているところではどうでしょうか?

笑顔でその場にいる。しかめっ面でその場にいる。泣きながらその場にいる。

周りの人たちの反応は変わるでしょうか?それとも同じでしょうか?

 

人は影響を与えているのです。

話している人だけが影響を与えているのではありません。

聴いている人も影響を与えているし、ただその場にいるだけで影響を与えているのです。

 

あまりにも自分の影響力に無関心な人が多いのです。

その人達は自分には影響力がないと信じているのです。

自分がどんな影響を周りに与えているのかを観察してみてください。

どんな影響を与えているのか。

それは、ポジティブなものかもしれないし、ネガティブなものかもしれません。

どのような影響を周囲の人たちに与えたいのか。

それを考えてみるのもおススメです。

 

僕は、何をしていても何をしていなくても影響を与えているなら、周りの人たちが幸せになるような影響を与えていきたいですね。

何時でも何処でも癒しと元気を与える存在でありたい。


人は何に共感するのか?(その2)

昨日のブログでは「感情への共感」について書きました。

人は感情以外に共感するのは何でしょうか?

ビジョンです。

その人が持つ社会的な夢です。

個人的なビジョンに人は共感しません。

分かりやす例としては「お金持ちになりたい」というビジョンです。

「そうだよね。わかるよ。」と言ってくれたらいいけれど、反感を感じてしまう人もいるでしょう。

では、お金持ちになったとしてそのお金を何に使うのか?

「恵まれない人たちを支援したい」

「環境問題を解決するために使いたい」

「世界を平和にするために活動したい」

というビジョンだったらどうでしょうか?

「僕も同じビジョンを持っています。」という人に共感されるのです。

方法が違ったとしても同じ方向を向いている人たちとは手を組むことはできるのです。

これは垂直展開の共感です。

 

興味深いもので、「ビジョン?何それ?」という人もいたりします。

「またうちの社長は誰かに影響されてきた・・・」という話もよく聴きます。

その人たちからよく話を聞いていると、その人自身に共感していたりするんです。

その人がどんなビジョンを持っていようが関係ないのです。

「あなたが、そんなに言うのなら、信用します。」

その人に共感をしているだけで、その人が何をしても応援するという人もいるのです。

これは水平展開の共感です。

 

人から共感されたい時には2つのタイプがあります。

1)ビジョンに共感する

2)在り方そのものに共感する

というものです。

 

この2つの共感は別物です。理想はどちらの共感があったほうがいい。

でも人にはタイプがありますからね。

ビジョンを持つことはどちらかと言えば簡単です。持てばいいだけ。

この在り方に共感されるには、人格を磨くこともさることながら、有限実行する行動力だったり、周りに対する気遣いだったりが大事になります。

一朝一夕にはできないことです。

多くの人に共感されるということは、生き方がすべてなのかもしれません。


人は何に共感するのか?(その1)

人は何に共感するのでしょう?

考え方だったり境遇だったり経験だったり。

それは大きく分けると2種類のあるのです。

「喜び」と「苦痛」です。

共感というくらいだから感情が関係しています。

感情的に言えば「快(good)」か「不快(bad)」なのかです。

あなたはどちらに共感しやすいですか?

快の感情に共感しやすい人は、良いものを広めていきたいと思う人です。

こんなにいいんだから、多くの人に伝えたいのです。

 

不快の感情に共感しやすい人は、問題を解決したいと思う人です。

痛みを取り除き喜びを感じるように変化させたいのです。

 

どちらのタイプになるかは、今まで経験して来た人生によります。

恵まれていた人は恩恵を伝えたいと思うし、不足をしていた人は変化したいと思う傾向があるのです。

自分が何にワクワクするのか?

それを知ったならば、あなたが社会でしていくべきことが自然と見えてくるかもしれません。

今日は自分が何に共感するのかについて書きました。

明日は、人に共感してもらう方法について書きます。


愛は地獄を共に歩む覚悟である。

友人から聞いた話がある。

「世の中コミュニケーション不足と言われているが、そんなことはない。ないのは関係性だ。そして関係性とは他者と関わるということは良いことも悪いことも含めて関係を続けることである。」

僕はこの話を聞いて・・・

恋は天国を共に歩む喜びであり、愛は地獄を共に歩む覚悟である。

という格言を思いついた。

恋なら相手の良い所だけを見るだけで良い。

ところが愛は相手の良い所も悪い所も含めて共に歩む覚悟なのだ。

パートナーと何があろうが共に歩む覚悟。

それは茨の道なのかもしれない。

でも、共に歩むことを選んだ仲間がいればそこは天国になるのかもしれない。

いや、その物語が地獄と天国をつなぐ架け橋になるのかもそれません。

恋は天国を共に歩む喜びであり、愛は地獄を共に歩む覚悟である。

自分で書いておきながら考えてしまう格言です。


自分は代表であるということ

外国に旅行して、外国の人と話をしていると感じることがある。

それは日本の代表として扱われるということ。

「お前の国はどうなんだ?」

そういう意見を求められることもしばしば。

 

「いやいや、普通の人だし、日本のことなんて知りませんよ。」

と答えると、不思議そうな顔をされてしまう。

そう、その場に日本人がいなければ、僕は日本代表なんだということがわかったのです。

少なくともその中では日本のことを一番知っているのは僕なのです。

だって、住んでいるんだからね。

 

これは日常でも起こります。

仕事をしている人には当たり前のことなんだけど、新人だとかベテランとか関係ないのです。

お店に立てば店員さんとして扱われます。

普段、いろんな人と話をしていても、僕は心理セラピストとして扱われます。

答える時には専門家目線での振る舞いが期待されています。

これが肩書きの力です。

仕事をしている人は、その道の専門家として周りの人は見ているのです。

その人の立ち振る舞いを見て、周りの人たちはその業界の人はこんな人なんだと判断しています。

「心理セラピスト」のイメージが人それぞれあって、それまでに出会って来た人を無意識に頭の中のデータベースと照合して、きっとこの人はこういう人なんだろうと予想を立てるのです。

尊敬の眼差しを向けられたり、白い目で見られたり(笑)

 

僕も代表なんだと自覚することはとても大切なんだということが大事なことだと思っています。

なんの代表かはその人が歩んで来た道そのものです。

自分が代表である。

この覚悟がプロフェッショナルにつながってきます。

あなたは、どんな代表ですか?

たくさんの代表である可能性がありますよ!


才能を表現すること

ドラゴン

才能には大きく分けて2種類あります。

持って生まれた才能と生まれてきてから身につけた才能です。

持って生まれた才能はギフトです。
これは神から与えられた天賦の才ですね。

そして身につけた才能は強みです。
人生経験により培われた努力の才ですね。

一番力を発揮するのは「ギフト×強み」の状態です。

このギフトは特別なものではありません。誰もが持っているものです。

強みも特別なものではありません。誰もが持っているものです。

才能に気づいている人もいれば気づいていない人もいます。

才能を探して旅にでても見つかりません。だって、もう持っているから。

旅にでることも経験になっていくので、強みが育つことはあるし、ギフトに気づくこともあります。

ギフトは感性の部分。何に興味を持ち、何に心を動かされるか。

強みはスキルの部分。何回も繰り返すうちに身に付いたもの。思考的なものや身体的なものは、やることで磨かれていきます。

個人セッションを通じていつも思うことは、才能は表現されたがっているということ。

人それぞれ様々な理由があって、才能は封印されている場合もある。

でもね、才能は表現されたがっているのです。

表現を受け取ってくる人がいるなら、いつでも発揮したいと思っているのです。

人間というものの本能的なことなのでしょう。つながりたいのです。

何でつながるのが健全かといえば、才能でつながったらステキなことです。

自分の才能を表現したい。

最初は思うように表現できないかもしれない。

それでも表現をしているうちにスキルが磨かれる。

上手くなっていく。そして、その人の味がでてくるのです。

自分を表現できた時に、そこに感謝が生まれます。

才能で他者や社会に貢献していきたくなるのです。

最初の一歩は表現することです。

誰も観てくれないかもしれない。でも、表現するのです。

もしかしたらお天道様が観ていてくれるかもしれません。

表現をしているうちに観たい人が現れるのです。

これは自らが表現しないと現れないものです。

ドラゴンに退治するくらいに恐いことかもしれません。

ドラゴン

ここで勇気を持って表現するのか、怖くて逃げていくのか。

大きな分かれ目です。

怖くても勇気を持って才能を表現していきたいものですね。

自分の中に表現をしたいという想いが宿るということは、誰か受け取りたい人がいるということ。

それは同時に起きています。

あなたの才能は表現されるのを待っています!

 


平凡な人生と波瀾万丈な人生

OTAYORIちきりどん

ソース・ワークショップ活用編に参加してくれたちきちゃんがブログで感想を書いてくれました。

苦楽園でhealing salon vegespiritをやっています。そう、関西から来てくれたのです。ありがとう!

彼女がワークショップ中に話をしてくれたエピードが印象的でした。

「あれは、高校生の時だった。

 学校からの帰り道、親友と2人で自転車で走っていた時に、友達が

 『私は平凡な人生がいいな。』とつぶやく。

 それを聞いた私は

 『私は波瀾万丈な人生がいい〜っ!』

 と叫びながら全速力で自転車を漕いだということがあったんですよ。」

というような話をしてくれました。

僕はこの話を聞いた瞬間にその場にいるかのような錯覚を覚えました。

自転車の風を感じ、高校生のなんともいえない感覚を感じたのです。

平凡な人生がいいと言った彼女はその後いろいろとあったんだけど幸せに暮らしていて、波瀾万丈な人生がいいと言ったちきちゃんも幸せに暮らしています。もちろんワクワクする様々な魅力的な経験を積まれています。

平凡な人生を選んでも、波瀾万丈な人生を選んでも、変化と安定は同じように経験をし、結局は幸せはどちらも道にあるんだなぁとしみじみ思いました。

自分がワクワクするほうを選べばいいのです。

何を選んだにせよ、自分の人生に必要な経験はしていくのですから。

だったら、僕はワクワクするほうを選ぼうと思った約12年前の会社を辞めて好きなことを仕事にすると決めた日のことを思い出しました。

参加者のワクワクに刺激を受けると僕も初心を取り戻します。「そういえば!」と昔に決めたことも思い出したりして。

ちきちゃんの感想を書いてくれたブログを見ると・・・
『プレゼントはワクワクの源泉』

「いじわるばあさんになりたい」と思ってしまったことを思い出してしまったようです。

そして、その思いは今でも脈々と根底に流れていたんですね。

うちの近所はいじわるばあさんの作者である長谷川町子さんゆかりの土地だったんですよね。シンクロですね。

ソースワークショップ活用編のメインテーマのひとつが「ワクワクすることを仕事にする」という方法を学びます。

彼女の発行しているニューズレターが秀逸なんです。らしさがつまっているんです。

OTAYORIちきりどん

もういつもぎっしりしたお弁当みたいな役立つ情報がいっぱいなんです。

コレ全部仕事にすることができるレベルです。(というよりもしていた人だから。器用な人で、なんでも仕事にしてきちゃった人なんです!)

ちきちゃんも引き出しが多いのは、波瀾万丈の人生でいろいろなことを体験してきたからこそのものですね。

たくさんの可能性を見せてもらいました。

ありがとうございます。

誕生日プレゼントで自分自身に経験をプレゼントするなんて粋ですよね!

■ちきちゃんのブログ→プレゼントはワクワクの源泉
■ソース・ワークショップ→上田正敏が贈るソースワークショップ

 


代官山T-SITE は「人が集う場」であった!

代官山蔦屋書店

いわゆる代官山蔦屋に行ってきました。

代官山蔦屋書店

とっても居心地がよく、平日の昼間だというのに人がいっぱい!

洗練された村がひとつできた感じです。

 

売っている本もアーティスティックな本がいっぱい!

表紙を見ているだけで嬉しくなるようなそんな本がいっぱいです。

電子書籍では表現できないようなそんな質感を持っている本が並んでいます。

美術館のようなそんな感じにも見えてきます。

本ってもしかしたら芸術品?

 

あちこちに座るイスがいっぱいです。

本屋というのは立ち読みが当たり前だと思っていたんだけど、ここは座ってゆっくりと読むことができる。そして、気に入ったら買えばいいという仕組み。

しかも本がセルフで買えるようになっているし、不思議な空間でした。

建物も最近のよくわからない曲線を使って迷路みたいにしちゃった不便な建物ではありません。

形はほぼハコなんだけど、とってもいいんです。機能美がありますね。

 

ゆったりと座って周りを見て気づきました。

ここは「人が集う」というのがテーマな場所なんだと。

何かを売るというよりも居心地の良いスペースを提供しているのですね!

セミパブリックな場を作り出しています。

公共施設用のように誰もが利用できて、そこに個人のグループがおしゃべりを楽しむようなそんな場所。

 

今の時代は「場」がひとつのキーワードなんですね。

 

人が集まれば何かが起きるのです。

それを実験している場所なんだと思いました。

 

現代は人が集まりたいんだね。

そんな流れを感じました。

うちの奥様は蔦屋を堪能されてましたよ。

うちの奥様


言い訳

カベはない

夢を現実にしようと思う時に、それを邪魔する物がでてくる。

それが「言い訳」です。

自分が自分自身に言っている言い訳と他人に言っている言い訳があります。

自分で自分を納得させようとする個人的な言い訳と、周りの人たちに受け入れてもらいたいと言ってしまう社会的な言い訳があるのです。

 

言い訳がどれくらい自分に影響を与えているか?

 

やる気がアクセルだとすると言い訳はブレーキに例えられます。どちらにエネルギーを注いでいるのか。

アクセル100%/ブレーキ0%が一番前に進みます。

アクセル0%/ブレーキ100%だと止まって前に進みません。

この間のどこかにいることが多いです。

アクセル20%/ブレーキ80%くらいで頑張っていたら疲れるだけです。

そうなんです!言い訳は自分自身を消耗させてしまうのです。

時にはアクセル0%/ブレーキ0%とかアクセル100%/ブレーキ100%の人もいたりもします。どちらも大変ですね。

どんな感情をを感じているか?特にネガティブな感情が鍵を握っています。

反感、怒り、恨み、敵意、恐怖、罪悪感、無価値観、分離感・・・

この感情が言い訳の言葉を作っています。

感情がわかってくると自分に言い聞かせていた長年の言い訳があぶりだされていきます。

なぜ言い訳を言っているのでしょうか?

その原因は、幼少期にあります。それはすでに忘れてしまっている出来事かもしれません。

この言い訳の火種は思春期にさらに強化されていきます。

これも忘れてしまってるかもしれません。

忘れてしまっても言い訳のパターンが自分の中に残り、今でも言い訳を言ってしまうメカニズムになっています。

この忘れてしまっていることを自覚することが最初のステップです。

 

誰に言い訳を言っていたのでしょう?

何に言い訳を言っていたのでしょう?

 

言い訳の一番の問題は、犠牲者になることです。言い訳を言うことで被害者になることなんです。

被害者とは、自分の問題を自分で解決できない、自分のテーマを自分で実現できない、そう思っている人が人が被害者です。

言い訳の言いなりにならないという潔い態度を決めるのが第2のステップになります。

覚悟がいることです。

 

そして、第3のステップは自分自身を癒すことなんです。

癒されていない感情は体の一部になっています。体に傷ついた記憶が残されていくのです。

その感情を癒して手放すことがとても重要になります。

 

言い訳にどれだけエネルギーをそそいできたのか。

そのエネルギーは莫大な量。

それをただ自分が心から望む興味に注げば未来を創りだすことは簡単です。

自分の前に立ち塞がる壁はもうない。

カベはない

言い訳を辞めたい人は個人セッションで。
http://homepage2.nifty.com/f-style/session.htm