カテゴリー
映画

天気の子をいまさらながら観てきた

映画「天気の子」を鑑賞。
もうレンタルしているかなと調べたら、まだ劇場公開中でした。
映画館で観れて良かったです。

実写なのか絵なのか、リアルな映像で、ファンタジーの中に自然と入っていけました。
特に今年の台風の未来予想をしていたのではないだろうかと思うくらいの怖さもありました。

ネタバレが入るかもしれませんので、まだ観ていない方は、ここから後は観賞後に読むことをオススメします。

芸術やエンターテーメントって、時代の空気を読んでいるなと思うのです。
しかも、未来予想的な時代の変化を感じ取って、作品にしているものが名作と呼ばれるのではなかろうかと。

天気の子の天気は、晴・曇・雨のような天気だけではなく、時代の流れ・空気を読む・気という見えない世界を表しています。

今の時代を息苦しく感じている人がいるということ。
それが異常気象となって現れているのではなかろうかと。

異常気象と呼ばれているものも、本当に異常なのかわからない。

縄文時代の関東平野って、平野ではなく、海だったり湿地だったりしていたんです。
神社があるところは岬だったという説もあります。
余談ですが、山の尾根の入り口にも神社があって山岳信仰説もあったり。

川は低きを求めて自由に流れ、山も平地になるように崩れるって重力があるから当たり前のこと。

あの富士山でさえ、火山が爆発しなければ、遠い未来には平地になるのです。

今までの映画で、例えば、ジブリの「もののけ姫」は、人間vs自然の戦いを描いていたと考えています。

で、この天気の子は、個人性vs社会性vs自然性を描いているのです。

自然には逆らえないから受け入れるしかないという自然性。

生き残るために村や人類が大事だよねという社会性。

人間という抽象的なものではなく、個人が大切という個人性。

100人の人が亡くなった震災が1回あったという社会性や自然性、1人の人が亡くなることが100回あったという個人性という表現をしてもいいかもしれません。

人柱、生贄、人見悟空、スケープゴート、村八分、村などの集団のためには犠牲が必要だという考え方。

哺乳類だと仲間のための自己犠牲があったりするので、集団のために個人を犠牲にするということは、感情が関係しているのかもしれません。

この天気の子は、自然を受け入れ、社会とは何かと疑問を投げかけ、個人を大切にすることがテーマなんだと感じました。

個人の意志や幸せが大切なんだということです。

世の中は、どんどん豊かになってきています。

豊かになればなるほど、個人が大切になってくる。

まだ、社会のルールや空気感は、個人を大切にするということに慣れていない。

個人と集団の関係性に摩擦がたくさんあるのだ。
人類としては、過渡期にいるのです。
そして、まだ適切な解決策は見つかっていない。
今の生きている人たちの課題だということです。

集団よりも個人を大切にして良い時代が来ているんだよというメッセージを受け取りました。

ずっと雨が降っているのを見ているとブレードランナーだと思うのは僕だけかな?

天気の子公式サイト


カテゴリー
映画

映画ジョーカーから見るカウンセリング論

カウンセリングは役に立たないかもしれない。

映画ジョーカーを見て、そんなことを感じた。

この予告編にもそのシーンがあります。

ジョーカーになる前のアーサーは独白します。

「毎週、同じ質問ばかり
 仕事はどう?
 ネガティブになってない?
 ネガティブに決まっているだろう。」

このカウンセリングもアーサーがジョーカーになっていく原因のひとつになっています。

この予告編よりも実際に映画館で見た方が迫力と説得力があります。

このカウンセリング現場ではイライラするくらいに電話がなります。
「映画館では携帯の電源切れよ」と腹が立つくらい音響が良かったです。
自分もジョーカーのように悪の部分があぶりだされてくることも恐怖につながっていきます。

僕は映画を含む芸術と呼ばれるものは世相を反映していると思って見ています。
現代社会に起きている矛盾が作品に投影されている側面がある。
芸術家の社会での役割は、時代の空気を読むこと、未来を予見することだと思っています。

カウンセリングって、人を救うことができるのか?

答えはイエスであり、ノーであると言わざるをえないです。

アーサーの話をちゃんと聞いてくれる人がいたら、きっとアーサーはジョーカーにはならなかった。

では、話を聞くプロと呼ばれる人たち。
カウンセラー、コーチなどは話を聞いてくれて理解をしてくれるでしょうか?

これも答えはイエスでありノーであるのです。

話は理解してくれるし、共感もしてくれるでしょう。
これをできない人はいますが、それはひとまず置いておきましょう。

わかってくれるのか?

カウンセラーも人間です。
クライアントさんの言葉に同意しないことも多々あります。
それは一人一人が違う人間だから。

クライアントの話に同意するのがカウンセラーの仕事ではありません。

お互いが腹を割って話し合い親交を深めていくことではないのです。

カウンセリングの仕事を鏡に例えます。
クライアントの鏡になるということです。
つまり、カウンセリングって、クライアントが自分で自分を認識するために使う方法でしかないのです。

あなたと友達になるための技法ではないということ。

カウンセリングって社会を救う道具ではないのです。
個人が個人を受け入れ理解し人生を生きていくための道具なのです。
それができた結果、社会が良くなる可能性を持っているというものなのです。

では、対話があるじゃないか、ファシリテーションがあるじゃないか、という人もいると思いますが、これも社会を救う道具にはならないでしょう。

ジョーカーならこう言うかもしれません。

「毎週、同じ質問ばかり
 問いは何ですか?
 どうしたらわかり合えますか?
 わかり合えるなんて幻想に決まっているだろう。」

もちろん、どの技術にも可能性があります。
そのくらいの希望がなければ、何もやることはできない。

そんな希望を打ち砕くのがジョーカーです。

この映画で描かれているジョーカーは悪の権化ではありません。
ダークヒーローではないのです。

人々が持つ悪の心に火をつけるのがジョーカーなんです。

今でいうところのインフルエンサーです。
悪の病原菌を人々に感染させていく。

ジョーカーを殺したとしても何の解決にもなりません。
だって、人々の心の中にジョーカー性を持っているから。
ジョーカーを殺したら、他の人の中にあるジョーカー性が目覚めるだけだから。
彼はキッカケにしか過ぎないのです。

この映画を見て、恐怖を感じる人もいれば、安心を感じる人もいることでしょう。
愛があれば、悪は必ずあるのです。光があれば影はあるのです。
人間が持つ興味深い性質なんです。

悪の心に感染させられるか、感染させられていないか、自分自身に目覚めている必要があります。

世の中のノリで自分が悪に染まる必要はないのです。

自分自身に気づいていること。

これしか解決策はないのです。
自覚的に生きている人は、圧倒的に少ない数の人しかいないかもしれません。
それでもやるのか。ただそれだけです。

僕らカウンセラー、セラピスト、コーチ、ヒーラー、ファシリテーターの人たちは、自分に気づいているかどうかが大事なことだと思っているのです

そしてクライアントさんが、自分に気づいているのかを支援できるのかが大事です。

あくまで、僕の意見だけかもしれません。
少なくとも僕はそういうセラピストです。

カウンセリングは社会を救わないかもしれないけれど、自分で自分を救うための助けにはなるかもしれません。

ジョーカー。考えさせられる映画でした。

スッキリした気分であるのは、自分の中にある悪というジョーカー性と和解できたのかもしれません。

映画ジョーカーオススメです。
http://wwws.warnerbros.co.jp/jokermovie/

フリースタイル情報
■感情や思考から自由になる個人セッションを提供。
https://www.yoriyoku.com
■自分の好きを再発見・再定義して活用するためのソース・ワークショップ
https://www.asobilife.com
■Zoomサービス「あなたの才能を読み解く」顔読み
http://www.kaoyomi.com


カテゴリー
映画

ジョーカー

映画ジョーカーを観てきました。

映画を見終わった後の疲労感、しばらくたってから身体が爽快感を感じているという不思議さ。

心理学やヒーリング・セラピーを共に学んだ仲間と観劇後の対話をしたことでさらなる気づきがありました。
これ見て1人で消化するには厳しい映画なのかもしれません。

喜劇王チャップリンはモダンタイムスでスマイルという名曲を作った。
苦しくても笑おうよという悲劇を喜劇にするような歌詞である。

この名曲が流れるのだが、チャップリンの意図とは逆の意味で使われる。
喜劇は悲劇であるということ。

ジョーカーはジョークをいう人という意味であり、トランプのジョーカーはすべての存在であり、ジョーカーとは道化であるクラウンの意味合いのある。
(クラウンは日本ではピエロと翻訳されがち)

クラウンを学び施設などを訪問していた経験があるんだけど、喜劇は悲劇であるし、悲劇は喜劇であるということを学んだ。
表が裏であり、裏が表であるという経験をしたのだ。
例えば、プロで活躍しているクラウンの人たちがつまらない演技をするなかで、素人のクラウンが超面白い演技をしたりすることもあるのだ。

人が持つ美しさが残酷であったり、普段は隠そうとしてしまうエロやグロの部分が表現された時に笑いに昇華されたりするのだ。

映画の中でのジョーカーは演技なのか本当なのか、妄想なのか現実なのかわからなくなっていく。

人が持つ認知の力を超えた表現をしていくのだ。
正常なのか狂気なのか境界がどんどんとなくなっていく。

自分の中の思考回路がドンドン狂っていくのだ。
ある種の危険性がある映画だといえるのかもしれません。

この映画が喜劇的なのは、王道である主人公はたくさんの経験をするけれど、元の位置に戻るということがである。
つまり、何も変わらないという喜劇なのである。

ジョーカーは夢を叶えていくんです。
でも、全く幸せになれない。むしろ不幸になっていく。

ヒーローズジャーニー的な成功物語のように見えるんだけれど、全く幸せとは遠くなり、絶望しか感じられなくなるんです。

ロバート・デニーロがでてくるんだけど、彼は今までの映画の中で人をたくさん殺している。
出演作品である名画タクシードライバーなんて、ジョーカーそのものだと思うんだよね。
そんなデニーロにも因果応報が襲いかかる。運命の報いはあるのかと思ってしまう。
彼の出演作品である「キング・オブ・コメディ」も観るといいらしい。

話を聞かないカウンセラーの話も痛快です。
本当に話を聞くということは何か?その人を見るということは何か?
本人は真摯に聞いているのかもしれない。だけれど聞いてもらっていないと感じる。
ここにもコメディの要素がちりばめられている。だけど不幸なんだよ。

この映画は、人種、性別、貧富、虐待、殺人、格差、憤懣、今世界で起きている問題がてんこ盛りで入っている。
それは悲劇であり喜劇でもあり悲劇なのだ。

映画見る前から起きたことなんだけど、映画の時間を間違えるは、電車は遅れるは、クラウン的な道化状態になっているんです。

映画を見終わった後も、会計をまかされたのに払うお金をしまってしまったり、スケジュールをほったらかしたり、大ボケをかましているのです。

うちのかみさん曰く、

「ジョーカーは、人のコントロールを奪ってしまう物語なんだね。
 人は社会的にちゃんとしないといけないと気を使っている。
 それが外れちゃう映画なんだね。」

すごい映画でした。音響もすごいよかった。新宿ピカデリーよかったよ。

バットマンもちょっとだけでてきます。(わかるかな?)

ジョーカー役のホアキン・フェニックスの身体性にも注目。コンテンポラリーダンスかと思うくらいにウットリしたわ。

全くまとまっていないんだけど、この感覚を記録に残しておきたくて。

映画ジョーカーオススメです。
http://wwws.warnerbros.co.jp/jokermovie/

共に観て語った田中真理子さん。ありがとう!
彼女はシーターヒーラーです。
https://marikotanaka.jp/blog/

フリースタイル情報
■感情や思考から自由になる個人セッションを提供。
https://www.yoriyoku.com
■自分の好きを再発見・再定義して活用するためのソース・ワークショップ
https://www.asobilife.com
■Zoomサービス「あなたの才能を読み解く」顔読み
http://www.kaoyomi.com


カテゴリー
映画

ボヘミアンラプソディ

映画ボヘミアンラプソディ。ようやく見てきました。

感想は、ただただ感動です。

ラストのライブエイドに向けて、すべての物語が伏線として作り込まれています。

また、それがクイーンの楽曲に会うんだな。

映像、音楽、シナリオ、演出が素晴らしく、涙腺が崩壊するようにできています。

僕は、微妙にクイーン世代とはずれているんだけど、ベスト盤のCD持っていたりするくらいのファンです。

映画の冒頭のSomebody to Loveから涙があふれそうでした。

誰かから愛されているか。誰を愛するのか。そんな問いからスタートしました。

タイトルでもあり楽曲のであるボヘミアンラプソティ。

このオープニングがとても哲学的なのです。

Is this the real life?
Is this just fantasy?

これは現実なのか?それとも空想なのか?

と、人間の認知とは何かを問いかけてきます。

Open your eyes
Look up to the skies and see

目を開いて、空を見上げてごらん。

と、よく今ここで起きている現実を見ろと言ってきます。

Anyway the wind blows, doesn’t really matter to me, to me

風が吹いている。

と、行く川の流れは絶えずして・・・と世の中は常に変化していく無常を問いかけていきます。

僕のメンターであるゴードンから「本当の現実とは何か?」と問いかけてくるワークを4日間受けたことがあります。

そこでの理解は「現実は人の数だけあり、すべてが幻想である」ということ。

真実は自分の中にしかない。それは相手の真実ではないかもしれない。

衝撃を受けたことを思い出しました。

フレディって彼の人生を通じて多くのことを突き詰めていった人ではないかなと。

僕は誰もがマイノリティだと思っています。

わかりやすいマイノリティの人もいれば、わかりずらいマイノリティの人もいる。

僕は、本当の問題は、このわかりずらいマイノリティにあると思うのです。

実際に生きづらさを感じている人は、いわゆる普通の人たちです。

特別な人だったり、特種な人の問題だけではないということです。

映画ではセクシャリティとして表現されています。

セクシャリティのテーマは、僕のメンターであるダニエルから教わったことは、ボディタイプ、ジェンダー、性的好みがテーマになります。

ボディタイプは、体の構造です。それによる性別。

ジェンダーは、考え方の問題。常識とかステレオタイプ、思い込みや信じ込み。

性的好みは、何が好きかという個人の好みの問題。好きな食べ物は何?と同じことです。

セクシャリティの問題って、とてもデリケートであり複雑です。

関係性の中でも男女関係がややこしいのはセクシャリティが関係しているから。

また、もうひとつややこしい関係性もあります。

それは親子関係です。

これも複雑な問題です。

セクシャリティや親子関係を超えるのは、フレディも言っていた「フレンド」です。

自分で選んだ人が友人です。

正確にいうと映画ではセクシャリティが入っていたんだけどね。友人にセクシャリティが入ったものが恋人です。今はこれには目をつぶります。

フレンド・・・友人ってとても大切なんです。

なぜなら意識的に選べるから。

学生時代は選べない人も多かったかもしれません。

大人になってもしがらみに囚われている人は、本当の友人って何だと思っている人もいるかもしれません。

友人は選べるのです。

付き合うのも別れるのも自由です。

ライブで自分の居場所を見つけたフレディ。

彼にとって観客もフレンドだったのでしょう。

ライブの最後には、Don’t stop me nowです。

さらにその後に、show must go on。

ショーはスタートしたら終わるまで続けるべきなのです。

この世に生まれたら死ぬまで、死ぬまで続けるしかないのです。

コンプレックスはあるかもしれません。それでも・・・

人を愛することはもちろん、物も愛し、行動も愛することが大切です。

つまり、自分が好きな人やことやものに囲まれているということ。

それを追求するのが人生というものなのだと映画から学びました。

ボヘミアンラプソディ。これは映画館で見たもらいたい映画です。

音響がいいところで、良い席で見るのがオススメ。ど真ん中の席がいいです。

自分の好きを再発見したい人は
■幸せの源泉を見つけるソース・ワークショップ
www.asobilife.com

■個人セッション
www.yoriyoku.com


カテゴリー
ライフワーク 映画

体感するために人は生まれてきた!

最近映画館で見た映画は、バーフバリとグレイテスト・ショーマン。

どちらも素晴らしい映画で、これからの時代を占いようなそんな映画でした。

この共通点は何でしょうか?

 

メンタルトレーナー上田正敏です。

どちらもミュージカルです。

歌と踊りが随所にちりばめられています。

 

映画館の音響がとても素晴らしく、歌が体に響きます。

大スクリーンで踊る姿を見ていると、迫力に圧倒されます。

生命の動きは無意識で感じることがたくさんあります。

 

映画もストーリーやらセリフやらを追いかけていくようなものは、DVDやネットでリビングで見るのにいいですね。

なんならiPhoneやiPadで見るのもいいです。

アメリカのシリーズもののテレビドラマは家のテレビで見やすいように作られているそうです。

 

映画館で何を見るべきかを選ぶ時代が来ているのです。

 

演劇などライブで見るもの、映画館のようにデジタルでライブでみるもの、家で自由な時にみるもの、スマホで移動時間にみるもの。

アートやエンターテーメントの表現方法が増えていますね。

料金もまちまちです。

 

バーフバリやグレイテスト・ショーマンを見て、昔の映画は終わったなと感じました。

スターウォーズなんかも子供の頃は夢中になっていたけれど、今の時代に映画のスクリーンには似合わない作品になっています。

スマホで100円で見ればいいかと思ってしまいます。

昔のワクワク感を思い出すノスタルジーに浸りたい時にはピッタリです。

エピソード9までは見ると決めているから。

 

いつでも時代は動いています。

それに人は影響を受けています。

若いうちは自然に時代の流れを受け入れています。

大人になって成熟してくると新しいものに反感を感じようになります。

やっぱり時代を味わうことも重要だと思うのです。

今を生きているからね。

 

エンターテイメントは表現という手法の時代の流れに敏感です。

アートもさらに深い人間性を表す時代の流れに敏感です。

 

バーフバリやグレイテスト・ショーマンは、映画館で見たい映画です。

音響がよい大スクリーンでみることで感じることがありますから。

 

自然から受け取るもの、文化から受け取るもの。

どちらも必要だと感じる今日この頃です。

 

■フリースタイル上田夫妻公式ページ
個人セッションはこちらのページを
http://www.yoriyoku.com/

■ワクワクを発見し好きなことを仕事にするソース・ワークショップ
http://www.yoriyoku.com/source/

■自分らしく生きるライフチェンジプログラム
約半年間、人生を変えるために伴奏するコースです。
http://www.yoriyoku.com/LifeChangeProgram.html


カテゴリー
つぶやき 映画

FAKE@ドキュメンタリーby森達也・出演by佐村河内守

ドキュメンタリー映画FAKEを見て、映画deダイアログを開催しました。

真実とは何か?嘘とは何か?

そんな二元論に、はめられない人間とは・・・

善悪という二元論にはめたがる人間とは・・・

 

プロセラピストの上田正敏です。

映画館は満員でした。

ほとんどの映画をまるでプライベート空間で見ているようなことが多いので、満員の時にはテンションが上がります。

他人のワクワク感を感じるのでしょうか。

この映画、完全入れ替え制で、上映スケジュールがびっしり。

なので、前の会の上映を見た人が扉からでてくる表情が微妙。

出てくる人出てくる人が、何とも言えない虚ろな目をしているのだ。

 

モヤモヤ系の映画かなと思えば、モヤモヤ系かもしれない。

だからこそ、見終わった後に対話が必要なのだ。

 

僕の最初の感想は、何にも感じなかった(笑)

これの何が面白いの?

ふ~ん・・・

 

これが虚ろな目をした人の感じなのかもしれません。

 

映画deダイアログは5人でやったんだけど、みんなの話を聞いているうちに、あぁなるほど、そうかそういえば、へぇ、と気づきが起きる。

人の視点だけ見えるものが違う。

人に伝える手段をメディアと呼ぶとするならば、メディアは嘘をつく。

正確にいえば、真実は伝えることはできないということ。

事実も伝えられるかといえば無理だろう。

必ず嘘が入るのだ。

嘘とはメディアに関わっている人が持っている主観だ。

 

量子力学のように観察者によって、観察対象の振る舞いが変わる。

 

自分事として考えればそうでしょう。

一人でいる時と誰かがいる時では振る舞いが違うでしょう。

うちの奥さんにすら見せていない自分がいる。

それを嘘というならば奥さんにも嘘をついている。

知らず知らずのうちに嘘をついているのだ。

 

内弁慶なんて言葉も、家の中と外にいる時の振る舞いが違うのだ。

小さな子供のうちから社会性を持っている。

 

人は相手に聞かれない限り、答えることをしない。

ドラマでも

「なんで言ってくれなかったの?」

と問い詰めるシーンはよくみかける。

黙っているということを嘘だというならそれも嘘になる。

 

本当に伝えたいならば、生まれた時から今までを全部語らなければならない。

それは無理なことだ。

 

映画FAKEの中で真実があるとしたら、猫と食事だけだ。

ケーキは嘘がちょっとブレンドされている気がする。

 

対話の最後の最後に気づいたんだけど、

女性性は真実であり、男性性は嘘だということ。

この場合の女性性は、自分ひとりの時や親しい人や家族と共にいる時の顔。

衣食住という生活には真実がある。

これは今ここにいる感覚だから。

 

それに対して男性性という社会性。

社会にでる時に、人はペルソナという仮面を被る。

社会にでるということは嘘つきになるということだ。

嘘と嘘でつながりを持っているといっても過言ではない。

 

それが悪いことだとも思えない。

本音だけで生きていこうと思うと、生きづらいですよ。

まぁ、僕自身そういう生き方を選んでいるんですが。

 

言葉にした時点で嘘がその中に必ず入っています。

言語の限界なのかもしれません。

言葉は嘘をつく。

嘘の字も、口が虚と書きますからね。

 

あと思ったのは、日本と海外のジャーナリズムの違い。

日本人のインタビュアーは、その人を糾弾するための材料を集めるためのインタビュー。

外国のインタビュアーは、本題から入り、事実を確認をしようというインタビュー。

こうも違うものかと驚く。

日本語と英語の差なのかもしれないし、文化の差なのかもしれません。

ジャーナリズムって日本人には無理なことなのかもしれませんね。

カタカナだから外国の考え方だしね。

 

ライチさんも感想をブログに書いています。
http://ameblo.jp/lychee-tangerine/entry-12168322517.html

 

FAKE
http://www.fakemovie.jp/


カテゴリー
映画 深層心理学

スター・ウォーズ/フォースの覚醒って新しい時代の象徴だ!

ようやくスターウォーズを観ることができました。

小学校1年生の時に公開された「スター・ウォーズ( エピソード4/新たなる希望)」を見た時の興奮を思い出しました。

その時の懐メロを見ているかのような懐かしい気持ちになったんですよね。

まるでオマージュ作品!

あの頃の初めてみたど迫力映像を見てビックリした記憶がよみがえります。

 

プロセラピストの上田正敏です。

あんまり書くとネタバレになりますので、観ていない人は観に行きましょう。オススメです。

 

最近のヒットしたり話題になったりする映画をみます。

観る理由は世の中の動向を見るためというのもあるのです。

集合無意識の結晶が映画に現れているのでないかと思っているからです。

スターウォーズをずっと見てきていて、4〜6は英雄物語が大きなテーマで、1〜3は何が善で何が悪なのかわからないというのがテーマだと思っています。

今回の7を見ていると、女性と黒人が主人公なんです。

今まで社会で抑圧されていた人たちが立ち上がるというのが大きなテーマではないだろうかと予想しています。

つまり現実社会も対等な関係性である多様性が当たり前になっていくのではないかと思っています。

特に女性に対する認識がさらに変わっていくのではないかと。

 

男性は相変わらず、父と子の葛藤がテーマです。

ずっとここから逃れられないのが男性なんでしょうね。

これしかテーマがないのか思ってしまうんです。

 

女性が輝いていく物語が多いのです。

しかも男性の必要性があんまりなくなっているのです。

女性だけで完結できるようなそんな感じ。

 

究極的には女性を喜ばすことしか男性には存在価値がないと思っていますので、それさえも必要がなくなっていくのかと焦ったりしています(笑)

女性はフォースの光の面に覚醒しちゃうのです。

男性はフォースの暗黒面に飲まれっぱなしなのです。

 

次回どうなるのか。

スターウォーズを全部(9作品あると言われているのであと2作品)観るまでは生きたいな。

いろいろと読み解くと面白い作品だと思います。

 

あなたは、何を感じましたか?

そして、何に目覚めましたか?

■自分らしく生きる最初のステップ!ソース・ ワークショップ
http://www.yoriyoku.com/source

■よりよい人生を歩みたい方へ!ライフチェンジ・プログラム
http://homepage2.nifty.com/f-style/lifechangeprogram.htm

■心と体を統合して今が変わり未来が変わる個人セッション
http://homepage2.nifty.com/f-style/session.htm


カテゴリー
ライフワーク 好きを仕事に 映画

バクマン

映画バクマンを観ました。

感想は、、、超オススメです。

原作が漫画の映画化です。

 

ジャンプ世代の人にはたまらないです。

日本一売れている本ですので、誰もがジャンプ世代と言えるのかもしれませんね。

思い返せば1970年代後半から読んでいるんじゃないかなと。

それまでは立ち読みで、高校の時に購入し電車の中や授業中に読んで、宅間君に100円で譲っていたような記憶があります。

大学の時にも通学時にお世話になっていて、今でも電子書籍で定期購読しているという。

現代の神話がジャンプだと思っています。

誰かが道徳の教科書にジャンプでもいいのではと言ってたな。

友情・努力・勝利という方程式があるされているジャンプ。

最初にこれを知ったのはサルまんだったような気がします。

 

監督はモテキの大根監督。

映画モテキも良かったです。

その前のドラマも良かったんだよね。

久保ミツロウさんの原作の漫画も良かったです。

大根監督はサブカル大好きで、音楽とダンスの使い方が見事でした。

 

俳優さんたちもいい人たちばかり。

キャスティングも違和感があると言われていましが、観劇後はこれでいいのだと思えたり。

以前にワークショップでもお世話になったハイバイの岩井さんが教師役で出演したのもなんか良かったです。

 

音も良かったんだよね。

ペンで絵を描く音が良かったんです。

そして低音が響く音楽も良かった。

NHKでやっていた浦沢直樹の漫勉も見ていたのが良かったのかも。

 

映像もね。プロジェクションマッピングとかエンドロールとか最高です。

画面がいちいち濃いです。

役者さんも濃いですが、後ろの背景などに映り込んでいる、きっと映り込んでいないところの情報量がすごい。

映画館で迫力ある映像を見て、後でDVDで細かいところをチェックしたいですね。

 

冷めた時代に熱い映画が流行ってきているんだろうか。

時代は回りますからね。熱量があるようになる予感もあります。

 

僕は自分がやりたいことが見つかった人間は幸せだと思うのです。

大学とか大学院のデフレが始まったあたりで僕は大学院に進学しています。

大学院に行っている時にバブルがはじけて一気に就職難になったのを目の当たりにしています。

大学で卒業していればどこの企業でも入れたのですよ。

研究室にはリクルートで来ている先輩たちが差し入れてくれるお菓子で毎日が充実していたし。

それが、誰一人来なくなったからね。

 

今は何時でも何処でも勉強ができる時代。

やりたいことが見つかったら、前のめりでやり尽くすことも大事なんじゃないかな。

その経験ができることそのものが財産になるから。

 

学校で学んだことも基礎になっていますが、ずっと大人になっても勉強していきますからね。

勉強が楽しいと思えるには、好きなことを学ぶということが大切になります。

 

時代はワクワクを求めている。

そのワクワクを追求したい人は、やっぱりソースだ。

自分の好きなことを見つけて、前のめりにまり、仕事にまでしたい人。

そのプロセスの中で理想のパートナーや仲間と出会いたい人。

ソースワークショップは可能性の扉を開いてくれますね。

■10月24日(土)25日(日)ソース ワークショップ
http://www.yoriyoku.com/source/

■ライフチェンジプログラム(個人用プログラム)
http://homepage2.nifty.com/f-style/lifechangeprogram.htm

 

■個人セッション
http://homepage2.nifty.com/f-style/session.htm


カテゴリー
つぶやき ライフワーク 映画

インサイドヘッドで感情を学ぼう!

映画「インサイドヘッド」を見ました。

感情のこと、脳科学のこと、心の仕組みのこと、それを知りたい人は見るべし。

さすがはディズニー、さすがはピクサー。

頭の中で起きていることをキャラクターを使ってわかりやすく描かれています。

心を扱う仕事をしている人は必見です。

 

感情を、ヨロコビ(joy)、カナシミ(sadness)、イカリ(anger)、ムカムカ(disgust)、ビビリ(fear)とういうキャラクターに分けています。

頭の中の司令部に5人の感情がいるのです。

5って東洋医学的にも意味がある数字。五行の中にも感情があったりしますから。

映画では、それぞれの感情が記憶となって、短期的に記憶され、長期記憶に貯蔵されたり、忘れたり、性格を形成する特別な思い出があったり、夢を編集するスタジオがあったり、嫌なことを封印するための潜在意識があったり、実際の科学や心理学の分野の知識がさりげなく描かれている。

それが浅はかなものではなく、ちゃんと知っている人がシンプルにしていることがよくわかります。

脳の部位の形をデフォルメしてたりしてるしね。

 

物語の主軸はヨロコビとカナシミです。

ポジティブとネガティブの二人が織りなすドラマが描かれています。

ネガティブな感情がなければいいのに・・・ということをセラピーの現場でよく聞きます。

特に経営者、起業家、エリートの人に多い傾向です。

ポジティブな感情のエネルギッシュな推進力は魅力的です。

 

これだけだとうまくいかないんです。

ネガティブな感情は必要だからあるのです。

 

ポジティブの感情を忘れてしまって・・・ということもセラピーの現場でよく聞きます。

ネガティブな感情に支配されて一歩も動けなくなっている。

特に優しい人に多い傾向です。

ネガティブさは、本当に大問題が起きたときに頼りになる感情なのです。

ポジティブさにはないすべてを一気に解決するような策を持っているのです。

 

映画を見るとわかるのですが、この一見、相容れないポジティブとネガティブ。

この二人がきちんと出会った時に、本来の力を発揮するのです。

自分の中にあるポジティブとネガティブを統合する。

僕がセラピーで行っている方法と同じ考え方で共感を覚えました。

 

そして人間関係になると、自分のネガティブと相手のポジティブを統合したり、自分のポジティブと相手のネガティブを統合したいるすることもやったりします。

しなやかなニュートラルがとても大切になります。

 

スマホからインサイドヘッドのサイトに行くと自分の感情のキャラの力関係がわかります。

僕の場合・・・

インサイドヘッド

 

1)カナシミ 2)ビビリ 3)ヨロコビ 4)ムカムカ 5)イカリ

なんですね。意外に思った方も多いでしょう。

ワクワク推進委員会会長ですから(笑)

カナシミがあるからこの仕事で天才性を発揮することができるんだなと実感しました。

 

ドリカムの主題歌はいらないとか、大竹しのぶの天才ぶりだとか、前座の短編アニメが良かったとか、ポップコーンを食べながら見るとテンションがあがるとか、映画の話で夫婦で話が盛り上がったとか、原題がインサイド・アウトなのに放題はなぜインサイド・ヘッドなのかとかいろいろありますが、ぜひ観てください。

インサイドヘッドのキャラたち

 

このキャラクターも個人セッションで使えるように購入。

感情をわかりやすく紐解いていきましょう。

感情の専門家として映画本当に良かったです。

 

 

■個人セッション
感情をクリアにして頭とハートをつなぐことで本当の自分が見えてきます。
自分を知り、自分の才能を磨き、生まれてきた目的がわかります。
自分自身との対話をサポートします。親子関係、人間関係の葛藤も解消することが可能です。
http://homepage2.nifty.com/f-style/session.htm

 
■ライフチェンジプログラム
人生をスムーズに変えたい局面にいる方を個別にサポートします。
体系的に自分自身を見つめることで在り方が変わり未来が変わります。
自分らしく生きることを選びたい方にオススメです。
http://homepage2.nifty.com/f-style/lifechangeprogram.htm

■ソース ワークショップ
ワクワクという切り口から自分だけが持つ才能であり個性を見つけていきます。
自分自身がどんな人間なのかを知り、理想の仕事、理想のパートナーシップ、理想のライフスタイルを手にいれるためのワークショップです。
http://www.yoriyoku.com/source/


カテゴリー
つぶやき 映画

ルック・オブ・サイレンス@映画deダイアログ

不定期開催の映画deダイアログ。

今回は「ルック・オブ・サイレンス」。

この映画の監督の撮った映画「アクト・オブ・キリング」の続編の位置づけ。

この映画については2つブログを書いています。

映画アクト・オブ・キリングを観る

殺すことは演じられる〜映画で対話「アクト・オブ・キリング」

 

インドネシアで起きた事件の加害者側の視点を描いたアクト・オブ・キリング

被害者側の視点で描いたルック・オブ・サイレンス

どちらも見る義務があると感じたからだ。

 

この映画に根底に流れているのは罪悪感。

罪悪感が人間にどのような影響を与え、どのように使うのかが描かれています。

 

 

人間は追い込まれると3つの選択を迫られることになる。

だますしかない、盗むしかない、殺すしかない。

これは恐怖の感情から起きる選択です。

その選択の後に起きる罪悪感。

罪悪感を感じて正気でいられるほど人間は図太くはない。

上からの命令、自慢の体系化、直接関与の否定、迷信による思い込み、宗教の利用、見返りや地位の確立、親密さの演出、記憶を封印する。

起きた事実は事実として変わらない。

その事実をどう意味づけるかはいくらでも変えられる。

そう、記憶さえ変えることはできるのだ。

脳科学的には思い出す度に記憶は書き換わると言われています。

人が人を殺すということは禁じ手。

DNAにも刻まれていることではないかと推測しています。

 

禁じ手を超えるというのは、頭で都合の良い言い訳ができなければ決して行われるものではないのです。

でもね、感情は残るのです。

心は傷ついているのです。

それは被害者だけでなく加害者も同じ。

罪悪感でいっぱいになるのです。

 

それでは生きていけないので、さらに自己正当化をして心を守ります。

それがこの映画に描かれていることです。

 

僕がこの映画を見てハッとしたことは別にあるのです。

それは被害者が加害者になるということ。

加害者の罪悪感を逆手にとり被害者が加害者を責めていく。

被害者である主人公が加害者と対峙すればするほど、顔が怖くなっていくのです。

感情は麻痺し、相手を責めることに喜びを感じているように見えるのです。

これが復讐の連鎖につながるのでしょう。

 

主人公は「加害者に罪を認めさせたい。そのことで赦したい。」ということを言っていた。

僕のメンターから言われた言葉を思い出す。

「許すだって。それは権威者のポジションの人間の言い方だ。
許すことができるのは神のみなんだ。
人は人を許すことはできない。それは対等ではないから。
人ができることは、受け入れることだけなんだよ。」

ということ。

 

監督がアメリカ生まれということがすごいと思っている。

それは日本からみたら米国は戦勝国。つまり加害者。

監督は加害者側の人間なんだ。

人が亡くなったことに対して米国からの謝罪はない。

米国という国は、ネイティブアメリカンを滅ぼしている。

ネイティブアメリカンはさらに昔マンモスを狩り尽くしてしまった過去がある。

中国では政権が変わる度に敗戦国の人たちは親族皆殺しになっている。

ふと監督のことを調べた。

ナチスからみると被害者の立場の人らしい。

監督もこの映画をとることが癒やしになっているのか復讐になっているのか。

ふとそんなことが頭に浮かぶ。

 

とあるセラピーではドイツやイスラエルでワークをすると先の戦争での罪悪感問題が必ず浮上する。

そこに縛られて一歩も前に行くことはできなくなっているのだ。

戦争に関わっていない世代にその影響が色濃く残っているのだ。

世代を通じて罪悪感は継承される。

特に秘密にされて隠された罪悪感は消えることなく伝承されるのだ。

 

この復讐の連鎖を終わらせることはできないのであろうか。

そこに人類の叡智が試されているような気がしています。

 

この映画の唯一の救いは、お母さんが泣けたこと。

それだけで僕は希望が持てた。

感情を表現すること。そこには光がある。

 

僕も封印していた三大感情のセラピーを復活させよう。

多くの人の罪悪感を癒やして前に進めた人が多数のプログラムだ。

今この時代にまた必要なものだと確信しています。

 

三大感情を癒やして幸せに成功するセッション

 

■ソース ワークショップ
ワクワクという切り口から自分だけが持つ才能であり個性を見つけていきます。
自分自身がどんな人間なのかを知り、理想の仕事、理想のパートナーシップ、理想のライフスタイルを手にいれるためのワークショップです。
http://www.yoriyoku.com/source/

■個人セッション
頭とハートをつなぐことで本当の自分が見えてきます。
自分を知り、自分の才能を磨き、生まれてきた目的がわかります。
自分自身との対話をサポートします。親子関係、人間関係の葛藤も解消することが可能です。
http://homepage2.nifty.com/f-style/session.htm

■ライフチェンジプログラム
人生をスムーズに変えたい局面にいる方を個別にサポートします。
体系的に自分自身を見つめることで在り方が変わり未来が変わります。
自分らしく生きることを選びたい方にオススメです。
http://homepage2.nifty.com/f-style/lifechangeprogram.htm