廃集落を凌ぐに参加してきた

凌のイベント森勝企画「廃集落を凌ぐ」に参加してきました。
洞窟を凌ぐ以来の奥多摩でした。

子供の頃は奥多摩が好きだったのですが、最近の奥多摩はなんか魅力が薄いのです。
奥多摩ライナーも青梅止まりで直通がなく、街もさびれています。
東京都の自然として頑張って欲しいなぁと思ったり。

で、廃集落を凌ぐですが、人に歴史や物語があるのだなと実感。
なぜ?ここに住み、なぜ?去ったのか。
そんなことに思いをはせました。

はじめて靴で釘を踏み抜き、危うく足に穴が開くところでした。
ゆっくりと歩いてすぐに足をあげたので、ちょっと赤くなったくらいで助かりました。
山の中の人工物には要注意です。

道のないトラバースが多かったのですが、トレランシューズのアルトラは向いていないですね。靴の中で足は動くし、横のグリップが効きません。
ミッドカットのヘリが土に食い込むような靴が良いのだということがわかったり。
アルトラはシノギングには向いていないかも

水も1リットルしか持っていないことも反省。
ギリギリアウトの量でした。
気温もそれなりにあり湿度が高く風がないと汗がとまらず。
シャツもストールもビシャビシャになりました。

着乾すのが流行りなのかもしれませんが、着替えるのが良いですね。
夏も着替えを持って、帰りは着替えて快適に帰るのが吉です。
夏へのアップデートができました。

シノギング的には帰りにバスの時間のプレッシャーがあったから道迷いをしました。
ひとつ尾根を読み違えたり。
途中で気づき元の道に戻りことなきをえました。
あのまま行ってたら崖があったであろうし、谷に降りたら面倒なことになっていたでしょう。

道間違いがあっても誰も責めず、自己責任を全うする仲間みたいな感覚が気持ちよかったです。
一人一人が注意深くいることが重要ですね。

ということで動画を。

学校教育にマーケティング感覚は必要なのか?

学校教育って、大人が理想である社会を創るために子供たちに行うものだと思っています。

教育基本法をちょっと調べると

第1条(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

人格形成、社会性、心身の健康を育てるということでしょうか。

なるほど、間違ってはいませんね。

子供達の意見が反映されているかと言われると、ほとんどの学校教育は取り入れていないのではないでしょうか。

大人の意見がほとんどではないかと。

マーケティング感覚で言えば、子供の希望を反映させることが大切だと考えます。

デモクラティックスクールというところでは、先生も生徒も同じ1票を持っていて民主的に運営されていると聞き、そこの生徒さんたちと話したことがありますが、大人のような、いや大人よりも思考ができる子たちばかりで驚いたことを覚えています。

マーケティングの考えをさらに深めると、誰がお金をだしているかという視点も重要です。

学校教育で考えると親ですね。
税金が投入されていると考えると、社会の大人も含まれます。

やりたくない勉強ばかりするのは、どうなんだろうと思うことがあります。

勉強が面白い、学校が面白いという子は良いのです。
今の教育にはまっているから。

勉強が面白くない、だから就職しようもOKです。
早いうちに専門職に没頭することも重要だし、知識を得るには様々な方法があります。

勉強が面白くない、だけど学校には来ているというのが問題なのかもしれません。

これを勉強が楽しい、学校も楽しいにするにはどうしたらいいのか?

そんな問いを考えたりしています。

僕のひとつの答えは体験型の教育なんですよね。
フィールドワークもそのひとつだったり。

自分で考えたり、自分で動けたり、自分で気づいたりする力を育むことです。

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愛がゆえのコントロールを手放そう

先生が生徒をコントロールしようとする行為をよく見かけます。

生徒のためを思って「あーでもない」「こーでもない」と親切に手取り足取り教えてくれるのです。

説明をしたり、実践をしたり、勇気づけたり、様々なことをしてくれます。

熱心に指導をされているなと思うのです。

で、一方、生徒のほうを見ると、先生を無視するか、嫌そうな顔をしています。
もううんざりみたいな感じなんです。

自分ごととして考えると、あれしろ、これしろと指図されるのは鬱陶しいです。

思い返せば、親にそうされたことを思い出します。
これもやっかいなことに愛からの行為なんですよね。

教えるという行為は尊いです。
それは間違いありません。
ただ、違う方法も身につけると良いのかもしれません。

それは、見守るという方法です。

見守るとは放置するとは違います。
あれこれ口は出さないけれど、ちゃんと見ているということです。

愛がない場合、放置を選ぶかもしれません。
愛がある場合、干渉を選ぶかもしれません。

その中間にあるものが見守ることです。

コントロールを手放すということでもあります。


期待を手放すと言ってもいいかもしれません。
結果にこだわらないということです。
できてもできなくも良いのです。

ついつい手を出しちゃう、ついつい口を出しちゃう。

手放してみるのもいいかもしれませんよ!

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