みちくさvol 1「たいしたことない話だけど、私にとっては大事な話」観劇

地域の物語「ラップしようぜ!」のアシスタントで、本番当日は欠席者の代役に入ってくれたMCバンブーがここ数年温めきた演劇の発表会をするとのこと。しかも脚本は柏木陽さん。これは見に行かねばと三茶に行ってきました。

当初は6名くらいの観客を想定していたそうですが、なんと20名を超える人たちが集まりました。地域の物語ワークショップ参加者も4名、学芸の方々も5名の方が観劇。ちょっとしたプチ同窓会のようになりました。

感想は「めんどくさい!」

「たいしたことない」ことにしたい話のオンパレード。そう、誰の中にでもあるであろう隠したい感情が表出していました。僕がこの現場にいたら逃げ出したくなるくらい。めんどうなんだけど、その感情とは向き合っていくしかない大事な話だったんです。それをさらっと表現してるのがすごいところ。笑えるシーンも多い。

最初から話がループしているようで頭の中がバグっているのかと錯覚するような始まり。あっという間に終わってしまいました。印象に残る藁をつかむシーン。そうなんだよ。僕も小さな藁が流れてきたらつかむようにしている。何が流れてくるかは運、何をつかめるかは勇気と今の実力。幸福の女神は前髪しかないんだ。

終わった後に、脚本の柏木さんと話をしていて「生きづらさ」というものは、どの時代でもあって、それは受け継がれているんだなという話になりました。如月小春さんに始まり、柏木さんにバトンタッチされ、柏木チルドレン、さらに今回の2人であるグランドチルドレンに伝わる生きづらさ。

その生きづらさを隠さずに表現する勇気。そしてその道しか選べない宿命。

生きづらさは時代によって変わっているのかもしれないけれど、生きづらさはどの時代にもあるのです。社会の大多数の中に入っていればまだマシかもしれない。僕だけじゃないという孤独も味わう必要はない。だって、みんな同じだから。我慢もできるさ。

大多数の中から飛び出ちゃった人たちの生きづらさ。孤独も感じるだろう。社会と分離してしまっている感じは生きづらい。誰の役にたっていないかもしれないというイラダチ。就職してしまったトモダチ。

日常の中にあるちょっとしたこと。そこに本質的なことがつまっているんだなということがわかる舞台でした。日常そのものが演劇ですね。それを作品にまで高めることはすごいことです。ありがとうございました。

ふたりの役者さんは、まるでクラウンだったり、コント師だったり、俳優になったり、クルクル回る感じでした。僕的には赤い鼻をつけて三茶の大道芸にでてもらいたいコンビ。コメディア・デラルテをやらせてみたいなぁ。同じ中学の演劇部で出会い、高校も同じ、大学は別で、また卒業後に一緒になる。なのに2人の質は別々。1人が広ければ、1人は深いんです。デブとノッポみたいな対照的な2人なんです。いや太ってないですよ2人とも。メタファーです(笑)

今日はみちくさのvol1。これ2人がおばぁちゃんになるまで続けて欲しい。10年後、20年後と節目には今日の作品を再上演してほしい。その時の状況に応じて違う芝居になるかもしれない。それもまた面白い。

そうそう、作品の途中で100円をおしつけるシーンがあったので、そのオマージュとして1000円を押し付けてきました。感謝を伝えるためというものあるんですが、クリエイターへの応援の意味でもあるのです。

「好きを仕事にする」は僕のライフワークのテーマ。好きなことを仕事にする上でのメンタルブロックのひとつは、お金を受け取ることなんです。お金は道具であって目的ではないですが現代社会では重要なことです。お金を創るのも0から1が一番難しい。今日の1000円が1万円、10万円、100万円、1000万円、1億円…と増やしていくのは本人たちの運でしょう。最初のゼロイチをやってしまえばもうスタートラインは越してしまったということです。そう、プロフェショナルへの道なんです。

おめでとうございます、こちらの新しい生き方の世界へ。あとは続けていくだけ。

誰かが歌っていたじゃない

胸を張って歩けよ 前を見て歩けよ 希望の光なんて なくったって いいじゃないか


劇場と地域コミュニティの冒険~みんなイロイロ生きてるぜ!を観劇

昨夜の公演が終わり身体は疲れ切っている。だが、僕らのプログラム以外を観ないわけにはいかなと気合を入れて起き観劇してきました。

『劇場と地域コミュニティの冒険~みんなイロイロ生きてるぜ!』演劇上演会
(世田谷パブリックシアターWebサイト)

Dプログラム
「ともにゃの部屋〜中川陽子さん」
「支えることについての小さな劇3〜長見さんの話」
Eプログラム
「ともにゃの部屋〜黒田真史さん」
「受け入れる身体・うけいれられない身体」

障害がある方、障害がある方をサポートする方に、聞き書きを行い、それを俳優が芝居をおこなうというもの。普段の地域の物語は素人が集まってその日限りの開催なのだけれど、俳優が舞台を創るということは再演ができるということです。俳優さんの交代はあったとして可能だったりするのです。

障害者の方が講演をしたりするものとは違う情報が伝わってくる気がしたんですよね。ちょっと距離があるというか、いきなり障害者さんの話を聞くよりもニュートラルな状態になる気がしているのです。笑いあり、涙あり、障害者の人たちも僕ら健常者と何も変わらないんですよ。アホだったりスケベだったり口が悪かったり、僕らと同じ。ただちょっとだけ違うのです。

こういう表現をしたら怒られるかもしれないのだけど、社会には良い人もいれば悪い人もいるのと同じなんです。別の人たちではないということなんです。みんな個性があるのと同じで、障害者の方達にも個性があるのです。

僕らは前日にCプログラムとして上演した舞台と同じせいか、障害者の皆様の話している姿がラップに見えてきたのです。ちょっとビートのBPMが遅いだけでフロウは全く同じなんです。話す人が持つ独自のリズムとメロディで話すのです。これ顔が違うのと同じでみんな違うのです。なんか観ていて美しいなぁと思ったりしたのでした。

当事者の話はラップになるのでしょう。自分が感じていることを表現する。舞台の上に立つという意味で同じなんです。そして同じにしか見えなかったんです。役者と観客の両方の立ち位置をしたことでいつもよりも何か感覚が違うのです。ラップという視点から物事をみる新しい視点を手に入れました。これが今回のワークショップに参加した一番の収穫かな。

映像では伝わらない何かが劇場にありました。知らないからこそ偏見や差別が生まれるといいますが、実際に出会って同じ空間と時間を共有することが大事なのではないかと思うのです。演劇の意味があると思うのです。そして当事者の表現と役者が演じる表現と、どちらもあるほうが伝わる気がするんですよね。

ゆーじさんだったけな、障害者にも差別意識はあるようなことを言っていました。僕は誰もが差別意識や偏見を持っていると思っています。これは人類ならば逃げられない宿命だと思っています。人間の知覚は比較でしか認識できないから。上とか下とか、右とか左とかいうでしょう。上とは何といえば、下ではないこととなんですよ。差別や偏見はありませんという人は無意識にしていることに気づいていないということなんです。そんな人はヤバいです。この僕のヤバいという感覚も偏見かもしれません。

観劇をしたことでラッパーの自分が抜けられたのかも。10年前に地域の物語でダンサー演出家で進行役をしてくれたたまちゃんに「えっ?本当にまぁちゃん?昨日とは別人に見える!」と言われたんです。何かが降りてきていたのかもしれませんね。

観る観られる経験後にブログをかけてスッキリ。日常に戻れた気がした。

記録のために僕らプログラムを抜粋。この文章もよかった。


幕があがる@地域の物語2024ワークショップ「ラップしようぜ!〜コロナの日々をふりかえる」本番当日@

本番は19時。その前にラップ担当のFUNIさんが10時から稽古場に来てくれるという。もちろん朝イチから参加です。なぜと問われれば、本気でラップに取り組むと決めたからです。本番の舞台に向けて100%コミットすると決めたから。シンプルです。もし、舞台の神様がいるとしたら本気の人に微笑むと思うからなんです。

練習を前にユルユルと雑談から。僕は雑談にこそ、人の本質が表現されると思っているので大好物です。実際に雑談を通じて学ぶことが多いですから。人の話を聴くことは得意なんです。だって、面白いんだもの。興味がつきないということです。

FUNIさんのラップとの出会いだったり、仕事だったり、パートナーのことだったり、家族のことだったり、色々と教えてくれました。FUNIさんは聞けばなんでも教えてくれるオープンな人です。特にラップ・ワークショップをなぜ開いているかの話は感動的でした。自分自身の表現に限界を感じて、多くの人の表現をひきだすことに意味を見つけた話は感動的でした。

FUNIさんはワークショップ中はどんなラップでも「良かったです」という肯定的な人なんです。でも、少人数の時には「もっとこうしたらいい」ということも教えてくれます。よりちゃんとアドバイスが欲しい時には「もっとキレがあるように歌いたい」など具体的なリクエストをだすと教えてくれます。

少人数の練習では、他者のラップを聞いてフィードバックをするのが一番の勉強になります。MCレディーホープと僕はアドバイスをよくします。そして笑って話したのは「自分で自分のハードルあげているよね」「ブーメランになって自分に返ってくるよね」ということで盛り上がります。

つまり、他者にアドバイスをするということは、自分自身もアドバイスと同じことをやれという意味なんです。自分自身にアドバイスをしているのと同じなんです。

誰か他人を褒めるということは自分自身を褒めることにつながり、他者を批判するということは自分自身を批判していることと同じなのです。

朝練の仲間たちは、お互いに良かった点をシェアしたり、もっとこんなチャレンジをしてみたらということをシェアしたりするので、仲間で相乗効果で上達していくんですよね。それを間近で見聞きできたのは、今回のワークショップで得たことですね。昨日のゲネの時よりもみんなのラップがさらに良いものになっていたんです。

これは個人の練習というよりも共同練習になり、切磋琢磨してみんなのレベルが上がっていきました。ワークショップって個人作業よりも集団作業を大事にすることが多いです。グループの一体感が増していくのを肌で感じました。僕はこの事前に集まった人たちが全体の成功を導いたのではないかと思っています。参加者側から良き場に貢献したと思っています。よきよき。

僕はフリースタイルの練習をしました。決まったラップのところはそのままで、フリースタイルの部分をその時の感情でラップするということを何回かしました。そう、フリースタイルなので毎回歌う歌詞も違えば内容さえも変わっていきます。頭に浮かんだことを口にする、口が動くままにしていることを楽しむ感じなのです。即興性が優れているんです。逆に適当なことを言うのが苦手で、きっちりと台本を書き、そのように演じることが得意な人もいます。参加者は、みんな個性的な人たちなので、何が優れているのか違うのです。お互いを尊重しあえたにはラップの世界にある尊重しあう文化があるのでしょう。

ぼちぼちと人が集まっていき、それぞれが自主練をしました。まるで、本番が来るとは思えないほどの緊張感で。なんかこんな時間が続くといいなぁ。

で、この時にFUNIさんのパソコンを借りてDJみたいなことをしました。ただ音出しをするだけなんですけどね。指名して曲をかけるとみんなすぐに歌い出せるんです。ノリの良さも最高でした。MCとかDJの楽しさをちょっとだけ知ることができました。

本番はいきなりきて、いきなり終わった感じ。

パブリックシアターの地域の物語は、遊んでいて楽しくて、これ作品になるのかなと疑問を持ち、なぜか本番がうまくいくスタイルなんです。この理由は今わかります。アーティスト、進行役や学芸の人たちが僕らの見ていないところで徹底的に話し合いが行われているのでしょう。パブリックシアターのワークショップ製作陣はすごいとしかいいようがありません。

本番はうちのかみさんが来ていたので、ちょっとフリースタイルに採用。もっと話を言えばよかったかな。そしてアンサーソングを歌ったグッダンと合わせて自立した女性讃歌をラップにできたらよかったなと。もっと照れずにパートナー褒めのラップもできたかなと反省。まぁ、この時点ではベストなできだったので良しとしよう。

なんかね、みんなね、本番が一番良かったんです。まじめなのみんな。練習してきた量がわかるのです。自己表現をするということにプライドを持っているんです。カッコイイのです。うちのかみさんにも感想を聞いたら「想像以上によかった!あれはいいよ!」と言ってくれました。彼女はダメなものはダメと正直に言う人なので有難いお言葉です。

あぁ、夢のような時間が終わってしまったんだな、お客さんたちも優しかったな、こんなワークショップに参加してよかった、まじよかった、ラップやってよかった。

終演後のロビーでは地域の物語で知り合った仲間たちがいました。ラップはじめに「Yo Yo ! シアタートラム10年ぶり舞台に立つ 地域の物語」みたいなことを言ったんです。その時にいた人たちは「あれは10年前の出来事だったんだなとジーンと来たみたいなんですよね」時をまたいでつながりがあるのも地域の物語の良さですね。続けることの大事さです。ありがとう世田谷パブリックシアター!

ワークショップ後にはMCダユーと世田谷線にゴトゴト揺られながら、ワークショップの振り返りを行うのが定番でした。振り返りって学びが深くなるし、新たな気づきが生まれるので好きなんです。

なんとなく今夜は、後ろ髪をひかれる思いがあり、MCバットマンみたいに缶ビールでも飲もうぜと、MCダユーのご子息が通う小学校の前で立ち飲み。もちろんビールは金色のエビス。プチ打ち上げでもあったし、ラップ、演劇やワークショップのマニアックの話に花が咲きました。

そうしたらなんとMCおたからちゃんが目の前を通り過ぎていく。なんていう偶然、なんという必然。地域の人たちとのつながりが生まれるのが地域の物語ワークショップの魅力ひとつ。俺たちの物語は終わらないぜという感じ。舞台本番は通過点であり、これからの人生にそれがどんな意味を持つのかゆっくりと考えたいよね。

進行役のMCおじさん、ラッパーのMCふにさん、パブリックシアター学芸チームMCダブルラブ、MCリネンビューティー、MCよーよー、MCバンブー。

参加者のまじよかったMC DA-you、抑圧から解放されたミューズMCグッダン、俺ことMCマサー、元気勇気木木MC Tree Tree、会社復帰できたぜMCジャルダン、お前はスターだMCお宝ちゃん、やだやだやだやだーMCスノークリスプ、だめでもいいぞCalling you MCこりんゆー、姫たる秘めたる非メタルMC LADY HOPE、若いっていいねMCたまめずら、妖怪MCのっち、気品が漂うMCシルバーロブスター、本当は良い人MC BAD↓MAN、参加できず残念MCハイナンチャーハン、その代役OZ3おっかけMCバンブー、まじよかった!

自己表現って大事ですね。この場を与えてくれた世田谷パブリックシアターよ!ありがとう!


ゲネプロ当日にみんな仕上げてきたぜ@地域の物語2024ワークショップ「ラップしようぜ!〜コロナの日々をふりかえる」

ここ1週間はラップ漬けの毎日でした。興味を持つと集中するタイプです。自分がやることには全力を尽くすと楽しいのです。それが仕事だろうが遊びだろうが同じ。その境界が僕にはありません。生きている間にワクワクすることをやり尽くしたいのです。

正直、前回のワークショップでは、人様にお見せするようなものではありませんでした。どうなっちゃうんだろうと不安しかなかったです。

なので、毎日自分で作ったラップを歌い、ラップを作り直し、録音して聴くみたいな毎日。散歩しながら歌詞を覚える作業は演劇の友人から教わりました。

散歩しながらラップを歌っていると、ラップ先生であるfuniさんが言っていた「僕が選ぶビートは、散歩しながら自分の心象風景を歌えるような速さなんですよ。」と言っていた意味がわかりました。散歩のリズムとラップのビートがぴったりと重なるのです。アフリカではじまったダンスや歌は歩くことから生まれたのではないかというルーツが見えたんですね。感動です。

で、ゲネプロという実際の舞台でのリハーサル。舞台に慣れるために通しでラップを歌いました。みんなカッコいいんだよ。きっちりと仕上げてきています。みんな大人ですね、真面目ですね。大人が本気で何かに打ち込む姿ってカッコいいのです。100%全力でやっている人って輝いていますね。特に遊びに夢中になれるって最高です。遊びって無駄なのではなく、充実した人生を送るのに必要不可欠です。特に自己表現って誰もが大事なことだと思うのです。学生の時で卒業するにはもったいないのです。

無料です。当日券もあります。可能な限り人をいれてくれると言ってくださっているので間違いなく入場できます。無料です。

『ラップしようぜ!~コロナの日々をふりかえる』
【出演】ワークショップ参加者
【進行】柏木陽 FUNI
一般公募で10代から70代のみなさんが集合。ワークショップを経て、参加者それぞれにとって「コロナの日々」はどういったものだったか、ラップを通じて発表します。どんな形になるかはまだまだ未定。後半は、観客の皆さんにとっての「コロナの日々」も伺えたらと考えています。
3/16(土)19時 Cプログラム  
https://setagaya-pt.jp/stage/2174/

明日も10時から自主練稽古にいってきます!
劇場で会おうZe!


踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら踊らにゃ損損

この週末、ラップで劇場に立つので、猛練習中です。

世田谷パブリックシアターで行われる地域の物語ワークショップの発表会は阿呆なんですよ。だってちゃんとした劇場なんですよ。つまり出演者以外はプロフェッショナルということ。ここのシアタートラムは前衛的なアーティストが立つことでも有名なんです。

今回のプログラムは、世田谷区内の社会福祉法人や障害当事者の方々などと連携してつくりあげてきたレパートリー作品を発表する中に僕らの発表会もあるのです。詳細はこちら。僕らが出演するCプログラム以外はプロの役者さんが演じるんです。僕は日曜日に観劇予定なんですが、今までのこと考えると期待できる作品なんですね。

今の問題は自分でラップを作っておいて言うのもなんだけど、覚えられないんです。ただだか20小節のラップなんです。それでも覚えられない。実際にやってみてわかるんです。ラッパーな人たちはすごいんだってことが。猛練習しているはずなんです。ラップそのものが不良文化なんで努力を見せないんです。楽勝だぜという顔をしていますが絶対に違うんです。

ラップとかも、今夜はブギーバックとか、DAYONEとかからはじまり、最近ではクリーピーナッツとかもう次元が違う世界になってきてますよね。聞いていてすごいなとか思うんです。耳で聞いてできそうだと思っても、実際に口にするとできないんです。

インプットとアウトプットの差だと言われています。人間は身体よりも頭の理解のほうが早いんです。だから頭ではできると思う。けれど身体は頭でイメージしたようには動かないんです。だからスポーツ世界のトップ選手でも練習は必要なんです。

学校でもできるように練習しましたよね。九九とかハーモニカとか漢字の書き取りとか。練習が必要なんです。

僕が自分で作ったラップは、ラップバトルなどを聴きまくって良いなというものを作りました。そしたら技術が全く足りていないんです。歌詞を見ながらだとできるレベルにはなりました。ところが記憶だけでやろうとすると口が動かないんです。早口パートを作ったのであっという間に詰みます。噛んじゃうんですよね。それでジエンド(笑)

記憶力と技術力の問題だということがわかりました。これは練習あるのみです。

演劇関係の友人から教わったのは、歩きながら台本を覚えるということです。今から歩きながら歌詞を覚えてきます。

やらない人はやる人の批判をしたりします。これ簡単なんですよ。実際にやってみて難しさを知るとリスペクトしかないんですよね。

踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら踊らにゃ損損

という歌が日本にはありますが、やってみること大事なんです。
見るだけじゃダメ!やるんだ!アホになるんだ!

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徹底的に個人練習@地域の物語2024ワークショップ「ラップしようぜ!〜コロナの日々をふりかえる」

いよいよ来週が本番。最後の練習日です。自分で作った作品をブラッシュアップする日でした。本来の練習は午後。午前中からラッパーのフニさんが来てくれて相談にのってくれるとのこと。もちろん、朝イチで行きましたよ。

「ラップとは何か?」という基本的なことから、ビートの乗り方、言葉の使い方、あえてのビートのずらし方など、ワンツーマンで教わるという贅沢な時間。ラッパーの英才教育です(笑)

ラップで、ハンズ・アップをして、上下に手を降る仕草があります。どうも調べると「プチョヘンザ」というものらしい。英語だと”Put your hands up”。これ日本のリズムだとペッタンコ、ペッタンコと餅つきのリズムになります。2拍子ですね。ラップだと単調になるんだそうです。

では、そうするのかというと、手を上下に振るのではなく、円を描くように回すのです。これをすると、拍のところだけでなくどの言葉も聞こえやすくなるんです。粘りが生まれるのです。他の人のを見てたりすると円の動きをするだけで全くラップが変わってしまうのです。急にグルーブがでるというか気持ち良いリズムになるんですよね。

さらに、ヒザを柔らかくしてヒザで音を取ります。これも円を描くようにすると発声が変わりラップが変わるんですよ。どうもラップって身体が一番最初にあるみたいなんです。身体の動きが声になっていくという順番みたいなのです。ついつい口で歌うというか頭で歌というかになりがちなんですが、身体の動きから言葉が生まれるみたいな状態になるのです。これがラップというものなのでしょう。

キング牧師の「アイ・ハブ・ア・ドリーム」という有名な演説はラップですね。これ聴くといつも涙がでちゃうんです。何か心に響くものがあるんです。言葉よりも伝わるのがグルーブであり感情なんです。

フニさんには細かい技まで伝授してもらい、とても良い時間を過ごしました。あと、フニさんが他の人に指導しているのに、混じって一緒にラップをしたのも良かった。他の人の指導ってなぜか自分のスキルアップするんです。しかも共にラップするって楽しいのです。

あとは歌詞を覚えて、8小節で演劇ができるようになるだけです。

で、肝心のワークショップは、MCオジサンの土下座からスタート(笑)今回ゆるくやろうと思っていたのに、フニさんがみんなに合わせたビートを選んでくれていたので、自動的に構成が決まってしまったということ。製作陣が考えられるベストの構成ができあがっちゃったとのことでした。

僕自身は、これで良かったんじゃないかと思うのです。僕ら演者側は材料を提供して、プロの製作陣が料理を提供してくれるみたいな感じがいいと思うんですよね。個人表現ではあるのだけれど、観客がいて成立するものにするって大事なこと。自分だけの想いだけなら1人でやればいいんじゃないかと思ってしまうのです。まぁこれは僕の一意見にすぎません。

でもね、やっぱりね、僕たちに合わせたビートを選んでくれたことが嬉しくて。「マサーのアンサーラップに相応しいビートを選んできました。」と言われたもうそれだけで感動ですよ。みんなのラップにあったビートで歌うと雰囲気がガラッと変わります。こんなにもビートがフローにエモーションに影響があるなんてビックリです。

あとは個人練習の時間があり、マイク練習の時間があり、照明さん音響さんのチェックも含めた全体練習がありました。

ワークショップが終わった後にもマイク練習をしてもいいよということで、多くの人が残ってやってました。でもね、なんかね深刻なんですよ。雰囲気が。ラップって元々は不良文化であり、殴り合い殺し合いよりも「言葉と表現で戦おうぜ」ということから始まったそうです。ラブ&ピースですよ。なので最後にフリースタイルでラップして帰ってきました。

YO YO フニさん ありがとう ラップの腕があがったぜ
YO YO みんなも ありがとう 楽しい時間をすごせたぜ
(中略)
ばーい!ばーい!

いやー気持ちよかった。ビートに合わせて歌う楽しみを知りました。

ふにさん、おじさん、みなさん、学芸のみなさん、ありがとさん!

この発表会のチケットはこちらから。僕らはCプログラムで出演します。
地域の物語2024シアタートラム
『劇場と地域コミュニティの冒険~みんなイロイロ生きてるぜ!』演劇上演会

バックナンバー

第3回ワークショップ
第2回ワークショップ

アンサーラップを作る@地域の物語2024ワークショップ「ラップしようぜ!〜コロナの日々をふりかえる」

ラップのワークショップに参加しています。感性を磨くために参加しています。創作して演じることって学びが大きいのです。

今回は第3回目。僕的には初回を休んでいるので2回目。あともう1回(3/10)で作品を作って、ゲネ(3/15)があって、本番(3/16)。なんということでしょう。このスケジュールでやろうと思ったなんて、スタッフチームすごいなぁ。パーツを作っている僕たちには未だに完成形はみえません。そして、参加メンバーが全員集合したことはありません。よくないこれ、これよくない、よくなくなくなくなくSayイエス!

いつもはじめにやるコール&レスポンスのラップがあります。これがいいのです。声をだすウォーミングアップになるし、安全と安心を担保するための守秘義務をラップでやるのはお洒落ですよね。もちろんこのブログも聞いた話は書いていません。僕が感じたことのみを書いています。

きいたはなしは ネタにしない
きいたはなしは もちださない
きいたはなしは こころのなかで
だいじに だいじに
だいじに だいじに

今日は初回に作ったラップを最初にみんなに披露。みんなしっかりと仕上げています。初回に聞いた感動のインパクトは薄れて上手さが目立ってきました。聞いていて気持ちが良いのです。これってそういうものなのかしら。

そうそう、ラッパーのふにさんに「今回使っているラップのビートで、コロナ禍に対する怒りはでずに、なぜか癒される気がするのですが、そんなリズムがあるというか、トラックに影響を受けるのですか?」という問いをしました。答えは「イエス」。MCふにさんがヒップホップセラピーを軸にして活動しているということなのでそうなのでしょう。「僕が好きなリズムは、例えるなら景色を見ながら歩けるスピードなんです。すべてを描写できる速さなんですよ。」みたいなことを言っておられました。なんだかわかる気がするんですよね。僕自身もセラピーの現場で音楽を使うものをたくさん経験してきたし、音楽の力を借りたりすることがあります。古来から歌とか踊りとかは癒し効果があるんですよね。

演劇ワークショップの師匠でもあるMC OZ3(おじさん)

そして、近いテーマの仲間のアンサーソングを作る時間がありました。これがまた良かったんですよね。ラップのアンサーソングって相手をディスったりするものなのですが、尊敬を持ったものを作ろうということで始まりました。

僕は相手を尊重しながらも、ちょっとラップバトルのような強い言葉を使ったり、ビートに合わせずに言ったりすることに挑戦してみました。ラップでも印象に残るところがあるんですよね。そこを引用したり、名前を引用したり、韻を踏んだりして、面白いものができました。作って行くうちにうまくなっていきますね。習うよりも慣れろみたいなことなのでしょう。みんなのレベルが上がって行くのを感じます。もしかして、これがバイブスっていうやつ?

あとは前回組んだグループでのラップも作りました。個人よりも全員で考えるとまた違った感じのラップができますね。韻を踏んだり、みんなで盛り上がる箇所があったり、これまた良い感じのができました。レベル高いよこれ。

あとは、ヨーとかエイとか使えたらカッコいいなぁ思っています。

普段と違うことをやるって使う脳や体が違ったりするので心地よい疲れを感じます。また自分の中の感受性の扉が開くのか。楽しみだったりします。

だよねでも聞いて寝よう(笑)

チケットはこちらから。僕らはCプログラムで出演します。
地域の物語2024シアタートラム
『劇場と地域コミュニティの冒険~みんなイロイロ生きてるぜ!』演劇上演会

以前のブログはこちら


地域の物語2024ワークショップ「ラップしようぜ!〜コロナの日々をふりかえる」に参加しています。

世田谷パブリックシアターで行われている地域の物語ワークショップに参加しています。この劇場は1997年にできてからずっと地域に開かれた劇場として運営していて、このワークショップも歴史があるのです。僕自身も10年ぶりの参加です。

2012年 1960年代の世田谷 Cコース「カラダの未来」、2013年 みんなの結婚「ふたり」に続き3回目の参加です。なんとその時の出演者であるタカノッチとダユウも参加しているではないですか。十年一昔なのかみんな変わったのか変わっていないのかわからないんだけど、それぞれの道で楽しんでいるなという感覚。同じ作品を作った仲間との関係性は不思議なものですね。

今日は2回目。なんと1回目は風邪をひいて欠席をしてしまいました。あまりにも楽しみにしすぎた子供のように知恵熱がでたのでしょうか。それとも、、、(ちなみに、お医者さんの診断ではアレではなかったのでした。)

今回のワークショップは僕が演劇ワークショップ界の2大巨頭だと思っている方のひとり柏木陽さんが進行役を務めるということで参加しました。彼のワークショップの進行は神技としか思えないんですよね。参加者の中にどっぷりとつかり、誰のことも見過ごさない洞察力がすごいのです。最近ではサポートをしている高校の演劇部が全国大会に出場して話題をかっさらうような結果を出している方なんです。時代が追いついてきましたね。

今回のラップの専門家であるFuniさんは、世界一腰が低いラッパーだとか。予習としてラップバトルの動画を見まくっていたのですが、全く違う世界に住んでいるお方のようです。時代は多様性ですね。ちなみにfuniさんのYoutubeチャンネルはこちら

はじめてのラップ体験は、ままごとの柴さんから受けた円周率をラップにしたワークショップでした。人にはそれぞれリズムがあり、それは気持ちが良いものなのだという体験が強烈でした。リズムにゆだねるある種の独自の浮遊感がありますね。

ほんと楽しみにしていたのです。

一回目に作った自己紹介ラップを完成させたものを発表するというのが今回のほとんどでした。さすがは地域の物語の参加の人たち。メッセージ性が強い人もいれば、技術的に上手い人もいて、また独自の体験を語ってくれる人もいて、このコロナ禍で人それぞれドラマがあっただなぁと感心するかなかったです。形としてラップになっているとかいないとかよりも、お前の魂を表現しているのかとつきつけられるようなそんな時間でした。

4人1組で作ったラップも良きものができました。コール&レスポンスがあるのが好きですね。バトルではなかったとしても個人だけでなく掛け合いというのがリズムが生まれますね。ペアダンスと同じで2人になることで相乗効果が生まれるようなグルーブが生まれるような気持ちよさがあります。集団になったらもっと違った何かがあるのかもしれませんね。

この地域の物語の特徴は、舞台での発表があるのです。場所はシアタートラム。出演者以外はすべてプロフェッショナルな人たちが関わってくれるのです。照明も音響も演出も。その緊張感もたまりません。

チケットも発売されています。太っ腹の無料です。

まだチケットはありますが、いつも1週間前までには完売してしまいます。興味がある方はお早めにご予約を。すべて自由席になっています。今年は他の作品もあるそうです。僕たちラップは「3/16(土)19時からのCプログラム」です。

チケットはこちらです。電話予約のみとなっています。

あと1ヶ月。どうなるんだろう?ライムに悩む毎日。思いつかず沈む1日。

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■ソースワークショップ
自分が持つ「好き」を見つけて、それを仕事、伴侶、趣味に応用し、自分らしくなるためのワークショップ。
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日々ゴキゲンでいるために自然の中でマインドフルネス状態になることで心身を整えます。ハンモックの心地よさが評判です。
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介護にかかわる人のための演劇ワークショップに参加してきました。

世田谷パブリックシアター“地域の物語〜1960年代の世田谷”ワークショップ「カラダの未来」で同じシアタートラムの舞台に立っただゆうこと土田悠さんがワークショップのキックオフをするというので参加してきました。

介護と演劇を融合することで、介護職の人に役立ち、さらにそれが介護される利用者さんたちにも恩恵が伝わっていくようなそんなワークショップでした。

だゆう曰く、認知症の人の振る舞いと演劇とは同じだ。なぜなら同じことを何回も繰り返していく演劇の稽古と似ているから。

面白い視点です。

 

メンタルトレーナー上田正敏です。

僕がワークショップから得たものは、呼吸と動作を合わせた身体性のワークで肩こりが楽になり、キャッチボールのワークでアイデアを積み重ねていくことの面白さを再認識し、人間の欲求から動きまでを台本にしていくワークで脳内が前職であるロボットをプログラミンするような脳の使い方状態になってます。

キックオフのワークショップらしく、これでもかこれでもかと様々なワークを通じて、だゆうの思いが詰め込まれたワークショップでした。

 

だゆうの職場である介護の現場とライフワークである演劇を組み合わせるってアイデアが良かったです。

仕事をクリエイティブに創れる人がこれからの時代に必要な人材になることでしょう。

この掛け算が未来を創るんだなと思いました。

 

認知症と聞いて、あなたは何を思いますか?

僕は認知症って病気ではないということに改めて気づきました。

僕が病気というと、がん28.5%、心疾患15.1%、肺炎9.1%、脳血管疾患8.4%、老衰7.1%・・・という死亡原因のことを思い出します。

ここに認知症はないのです。認知病ではないのです。

 

だゆうの説明によると

認知症とは、原因となる病気があり、脳そのものが壊れることにより、一度獲得した知能が減衰することで起こる、生活障害のこと。

とのこと。

言葉の定義をしてくれると、助かりますね。

和文和訳大事です。

改めてぼんやりとしていた認知症のことを考えるキッカケになりました。

認知症について調べると、2012年で65歳以上の7人に1人の割合、2025年には5人に1人の割合になると言われています。

認知症は人ごとではないですね。

そんなことに気づきました。ありがとう!

 

このワークショップは、10回シリーズになるくらいの勢いです。

ワークショップ形式って、頭でわかるだけでなく、腑に落ちるのが好きなんですよ。

身体性を取り戻すことが大事ですね。

演劇ワークショップにその可能性を感じています。

だゆうのパートナーであるズッキーニも面白い演劇人でこのコラボがどのような化学変化を起こすのか楽しみです。

 

介護・認知症・演劇・ワークショップに興味がある人は、だゆうのブログをチェック。

定期的にワークショップを開催するそうです。

http://www.tsuchidayu.com

(追記)今回の土田さんのワークショップレポートはこちら。

 

さて、僕も来週の大阪のワークショップの準備、今月の東京でのワークショップの準備をしましょう。

■個人セッション、ワークショップ情報、講演などの依頼はこちらから
フリースタイル公式ページ(www.yoriyoku.com


あなたにとって、家族とは?@世田谷パブリックシアター

世田谷パブリックシアターでおこなわれた台本をめぐるワークショップ。

うちの奥様が台本を読むワークショップに参加したので、発表+トーク会を観てきました。

とっても良かったのです。

 

生と性をめぐるささやかな冒険と題して行われた舞台の印象が悪かった。

ワークショップで共有するというのはいいのかもしれないが、それを観客に見せるのはどうかというものと僕は感じました。

癒されるわけでもなく、ただの欲求不満のガス抜きにしかみえなかった。

被害者意識から抜けられていない魑魅魍魎がうずまく後味の悪さがあり、演劇というものの限界を感じていました。

 

今回は、なんの期待も持たずに観にいったら、演劇として面白い作品がしあがっていたのです。

そしてアフタートークも建設的な意見しかなく、なるほどなぁと感心することばかりでした。

ゲストに世田谷区議の上川あやさんも参加して深い話が聞けました。

オフレコ話もたくさんでしたので詳細は割愛。

 

なぜ、良かったのだろう?

 

うちの奥さんの役がマダム・ボンジュール・ジャンジというドラッククイーンだったからではない。

今回の進行役である劇団フライングステージの関根信一さんの戯曲の良さだったのではなかろうか。

もちろん演出も。

 

台本の力ってすごいな。

 

関根さんも上川さんもカミングアウトをしている人である。

自分自身の生きづらさを世の中に問い、それを改善しようとしている人たち。

自分の中で葛藤し、それを勇気を持って世の中に開いている。

そのプロセスは壮絶なもだったのかもしれない。

でも、自分と向き合い、それを社会に表現しているからではなかろうか。

 

それを参加者が読んで演技をする。

悩んだままではなく、そこから一線を超えた世界に触れる。

それを演じることで何かが起きたのではないかと思っています。

 

お経って唱えてはいけないもの、読むものだと聞いています。

覚えていたとしても読むのが大事なのだそうだ。

 

この台本のリーディングも、覚えて演じるのが良いのではなく、読むことが大切なのだそうだ。

ちなみに読まずに演技するためには1ヶ月の稽古が必要らしいです。

言葉をそのまんま読むということ。

言葉の力を改めて感じました。

きっと、自分なりにアレンジしては意味が変わってしまうのではないかと予想しています。

 

誰もが世の中に生きづらく感じている部分はあるのだと思っています。

今回の戯曲はLGBTが主題。

関係性の視点からみれば、LGBTであろうが、それ以外の人であろうが、関係性の問題は同じだ。

出会って、関係を築き、別れるところにドラマが生まれる。

男であろうが女であろうがそれ以外であろうが全く同じ。

 

LGBT問題は僕が解決するメインテーマではないということがわかりました。

だから無視をするというわけではありません。

聞く耳は持っている必要があります。

人は誰もが生まれてきた意味があると僕は思っています。

それぞれ人には課題があると考えているのです。

 

僕には僕にとっても世の中の生きづらさがある。

「自分らしく生きる」というのが僕のテーマ。

その中でも「好きなことを仕事にする」「好きな人と共に暮らす」がライフワーク。

 

誰もが生きづらいと感じている人がいて、それを改善しようとしている人の邪魔をしないことが大切。

よくあるのは、わからないことを攻撃してしまうこと。

そうではなく、わからないことに、耳を傾けること。

何事も理解はできなくても受容はできます。

暖かく見守ることが健全な態度ではないかと思っています。

きっとできることがあれば手伝うこともあるでしょう。

ちょっとだけ応援はできます。

当事者が立ち上がること以上に力を持つことはありません。

問題があるということは解決策も持っているということです。

 

うちの奥様とこのテーマについて対話がつきません。

家族の定義が根本的に変わる時代が来るだろうな。

新しい集団の定義が生まれるかもしれません。

 

作品とトークが本当に良かった。

ありがとうございました。

 

気になったのは、スタッフや取材の人たちが撮影しているのは良かったのですが、一般観客がビデオ撮影をしていたのが気になりました。

◆WS・レクチャー中の写真・動画の撮影および録音はご遠慮ください。

ということじゃなかったのかなぁ・・・誤解だったらいいんだけどな。