3月11日

7年前のことを思い出そうとして、記憶が曖昧になっていることに気づく。

人の記憶は思い出すたびに変わると言われていますが、忘れることは人には必要なことなのかもしれません。

ふと思ったことを書いておこうかと。

 

メンタルトレーナー上田正敏です。

7年前の今日はインフルエンザでひとり寝込んでいました。

熱は下がってきていたのに、グラグラと揺れているので熱がまた上がったのかと思いました。

いや、それにしては周りが騒がしいと思い、揺れていた机を支えました。

そして揺れが収まると何事もないように眠りにつきました。

 

そしてウトウトとしているうちに、うちの奥さんは隣駅の歯医者に行っていたなと思って、電話をする。

通じない。

まぁ、隣駅だし帰ってこれるだろうと眠りにつく。

 

そしてまたウトウトとしているうちに、うちの親父はどうしているのかと思って電話をする。

通じない。

まぁ、大丈夫だろうと眠りにつく。

 

親父は整体にでかけていて帰宅難民になってた。

公衆電話に並んで電話をしてくれた。

電車が動いていないので体育館だかかなんかの施設に泊まったらしい。

 

夜になって祖母は大丈夫だったのかと心配になった。

何回か電話をして、数日後に大丈夫だったと連絡がついた。

瓦が全部落ちちゃって大変だったみたいだけど。

 

心にショックなことがあると、人は自分の身の安全を第一にするのだろう。

自分のことだけしか考えられなかった。

 

余裕がでてくると、少しずつ周りが見えてくる。

身近な人たちの安否が気になってきたのだ。

それも時間の経過と共に少しずつ。

 

明後日に演劇ワークショップの発表会があった。

青年団の演劇入門という1年カルチャーセンターに通った成果発表でもある。

そこにも参加する人、参加しない人、様々な考え方があった。

参加希望者だけで発表会が行われた。

ひとつの目標があったからこそ正気を保てていたのかもしれない。

まだ体調は万全ではなかったものの参加できて良かったと今は思っている。

 

義理の両親が仙台に住んでいて、昨年ようやく訪れることができた。

そして、今年に入ってから盛岡にも行けることができた。

自分でも驚くほど、それができたことが嬉しい。

まだ直接的なことは何もできていないかもしれないが、少しずつ何かできるようになっていくのだろう。

そんなことを思った今日1日。

 

 


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