不義理をした人たちは、きっとバチが当たるに違いない。
という話を立て続けに聞きました。
バチって当たるのでしょうか?
プロセラピストの上田正敏です。
僕の今の答えはバチが当たるかもしれないし、当たらないかもしれないというもの。
バチが当たる場合は、不義理をした本人に罪悪感を感じているかどうかが関係してきます。
人は自分の真実以外のことをすると罪悪感をするようにプログラムされているらしいのです。
罪悪感は進化学の視点からみると、集団を形成するために必要な感情なのです。
これがあるお陰で周りを淘汰して1人で生きていこうしないで、集団で協力しあうことができるようになるからです。
罪悪感を感じている人は、無意識で自分を罰します。
自分で自分に罰を与える。バチが当たる場合です。
罪悪感を感じない人は、バチが当たらないでしょうね。
不義理なことを誰にでもしていれば、それだけ人から恨まれることが増えていきます。
そのうちに誰からも信用してもらえなくなる。
それでバチが当たるという場合もあるでしょうね。
自分自身が不義理なことが当たり前としているならば、自分にも不義理をされる場合もあるでしょう。
自分がするということは、他人にもされるということ。
それでバチが当たるという場合もあるでしょうね。
バチが当たれと思っていなくても自然と起きることは起きるでしょう。
問題は「バチが当たればいい」という思考です。
これって呪いみたいだと思いませんか?
祝いではないですよ(笑)呪いです。
呪いって言葉なんです。
これは思考が作り出した幻想でもあります。
でもね、幻想であっても実際に自分の体を蝕むこともあるのです。
呪いは、ノロイから呪わない方がいいよという話を聞いたこともあります。
そう効果が現れるのが遅い。
その前に自分自身がダメージを負ってしまいます。
呪うのではなくどうしたらいいのか?
セラピーなどの精神世界の人たちは許せといいます。
僕のメンターは「許すなんて、大それたことはできないんだ。」と言っていました。
「許すのは神のみができること。人ができることは受け入れることだ。」と。
起きたことは受け入れるのです。
受け入れるというのは我慢するのとは違います。
起きていることは受け入れて、自分が望むように行動するということです。
行動すれば思い通りになるということが大事なのではありません。
それこそ神のみぞ知ることです。
自分のために立ち上がり行動することが大切なのです。
ここで守られるのは自尊心です。
自分を尊重する感情です。
自分を尊重出来れば相手を尊重できるようになり信頼することができるようになります。
自分ができることは自分のゴキゲンをとることくらいです。
自分のゴキゲンを他者に委ねるなんて馬鹿げたことです。
このブログのタイトルどおりに「ゴキゲンでいこうぜ!」なんです。
自分がゴキゲンであれば、他人にバチが当たろうが当たるまいが神のみぞ知る。
つまり、どうでもいいことになるのです!
■ソース・ ワークショップ
発見編:3月19日(土)20日(日)
ワクワクという切り口から自分を知るための現代版自己探求プログラムです。
http://www.yoriyoku.com/source
■個人セッション
心と体を統合することで過去が変わり今が変わり未来が変わります
http://homepage2.nifty.com/f-style/session.htm
■ライフチェンジ・プログラム(個人向け)
よりよい人生を歩みたい方へ!
http://homepage2.nifty.com/f-style/lifechangeprogram.htm