言葉による呪縛

町を歩いているとガッカリすることがある。

言葉の多さだ。

看板、張り紙、案内板・・・

どれだけ文字表現が多いのだろう。

特に、禁止の張り紙のようなものが多いのに辟易とする。

「触っちゃダメ」

「入っちゃダメ」

「やっちゃダメ」

なんとも禁止だらけの言葉が並んでいる。

せっかくの景観も要らぬ文字のせいで台無しだ。

 

もっと残念なのは、この禁止の看板がないと、むちゃをする人が多いということ。

「何も書いていないからやったんだ。何が悪い。」と開き直る。

 

景観が悪くなるのも問題なんだけど、この問題の根っこは別にある。

それは、自分の頭で考えなくことだ。

禁止の言葉の向こう側への想像力がなくなる。

さらに、禁止に囲まれていていることで、抑圧が高まっていく。

 

言葉に縛られ、感情は抑圧されていく。

 

日本語の文字は絵に近い。

絵というのはイメージであり、潜在意識に刻まれる。

禁止だらけに魂は縛られていく。

 

自由に何かをする環境にない。

 

なぜ、ここまで張り紙の禁止に縛られているのだろう。

僕は江戸時代の立て札に由来するものだと思っている。

すべてはお上が勝手に決めて発表したことを受け入れるしかなかった庶民。

決められたことを守っていれば良いというのは、DNAに刻まれているんじゃないかと思うくらいに強力だ。

文化的にそうなっているのでしょうね。

 

子供の頃のお上は、両親だったり、先生だったり、大人だったり。

その言うことを聞かなければならなかった。

子供が生きていくためにそうしなければならなかった。

大人になれば自由になれる。

そう思っていたんだけど、実際にはそうではない。

子供の頃に縛られた精神は、大人になっても自分で解かない限り縛られたままだ。

 

人は言葉に縛られている。

そして、その言葉を破っている人を見ると怒りを感じる。

「自分は我慢して守っているのに、なぜお前は破ったのだ!断罪されるべきだ!」

とテレビでもネットでも否定的なものはそんなものばかり。

 

法律もそうだよね。法律ありきで人間が作られたわけではない。

はじめに人間があり、皆が幸せに生きられるように法律は作られた。

法律は時代と環境の変化で変わっていくものであるはずなのだ。

一応言っておくけれど、法律を破れ、と言っているわけではないからね。

その行動は思春期の青い衝動にすぎないから。

 

僕のライフワークは、自由を手に入れるお手伝いをすること。

魂の自由さだ。

そのために自分を縛っている鎖を解き放つ。

簡単だと思っていたんだけど、難しくもある。

個人の成熟さと社会の成熟さを高める。

やりがいがある仕事だなと思う今日この頃。

一歩一歩前へ。

 

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