世田谷パブリックシアターでおこなわれた台本をめぐるワークショップ。
うちの奥様が台本を読むワークショップに参加したので、発表+トーク会を観てきました。
とっても良かったのです。
生と性をめぐるささやかな冒険と題して行われた舞台の印象が悪かった。
ワークショップで共有するというのはいいのかもしれないが、それを観客に見せるのはどうかというものと僕は感じました。
癒されるわけでもなく、ただの欲求不満のガス抜きにしかみえなかった。
被害者意識から抜けられていない魑魅魍魎がうずまく後味の悪さがあり、演劇というものの限界を感じていました。
今回は、なんの期待も持たずに観にいったら、演劇として面白い作品がしあがっていたのです。
そしてアフタートークも建設的な意見しかなく、なるほどなぁと感心することばかりでした。
ゲストに世田谷区議の上川あやさんも参加して深い話が聞けました。
オフレコ話もたくさんでしたので詳細は割愛。
なぜ、良かったのだろう?
うちの奥さんの役がマダム・ボンジュール・ジャンジというドラッククイーンだったからではない。
今回の進行役である劇団フライングステージの関根信一さんの戯曲の良さだったのではなかろうか。
もちろん演出も。
台本の力ってすごいな。
関根さんも上川さんもカミングアウトをしている人である。
自分自身の生きづらさを世の中に問い、それを改善しようとしている人たち。
自分の中で葛藤し、それを勇気を持って世の中に開いている。
そのプロセスは壮絶なもだったのかもしれない。
でも、自分と向き合い、それを社会に表現しているからではなかろうか。
それを参加者が読んで演技をする。
悩んだままではなく、そこから一線を超えた世界に触れる。
それを演じることで何かが起きたのではないかと思っています。
お経って唱えてはいけないもの、読むものだと聞いています。
覚えていたとしても読むのが大事なのだそうだ。
この台本のリーディングも、覚えて演じるのが良いのではなく、読むことが大切なのだそうだ。
ちなみに読まずに演技するためには1ヶ月の稽古が必要らしいです。
言葉をそのまんま読むということ。
言葉の力を改めて感じました。
きっと、自分なりにアレンジしては意味が変わってしまうのではないかと予想しています。
誰もが世の中に生きづらく感じている部分はあるのだと思っています。
今回の戯曲はLGBTが主題。
関係性の視点からみれば、LGBTであろうが、それ以外の人であろうが、関係性の問題は同じだ。
出会って、関係を築き、別れるところにドラマが生まれる。
男であろうが女であろうがそれ以外であろうが全く同じ。
LGBT問題は僕が解決するメインテーマではないということがわかりました。
だから無視をするというわけではありません。
聞く耳は持っている必要があります。
人は誰もが生まれてきた意味があると僕は思っています。
それぞれ人には課題があると考えているのです。
僕には僕にとっても世の中の生きづらさがある。
「自分らしく生きる」というのが僕のテーマ。
その中でも「好きなことを仕事にする」「好きな人と共に暮らす」がライフワーク。
誰もが生きづらいと感じている人がいて、それを改善しようとしている人の邪魔をしないことが大切。
よくあるのは、わからないことを攻撃してしまうこと。
そうではなく、わからないことに、耳を傾けること。
何事も理解はできなくても受容はできます。
暖かく見守ることが健全な態度ではないかと思っています。
きっとできることがあれば手伝うこともあるでしょう。
ちょっとだけ応援はできます。
当事者が立ち上がること以上に力を持つことはありません。
問題があるということは解決策も持っているということです。
うちの奥様とこのテーマについて対話がつきません。
家族の定義が根本的に変わる時代が来るだろうな。
新しい集団の定義が生まれるかもしれません。
作品とトークが本当に良かった。
ありがとうございました。
気になったのは、スタッフや取材の人たちが撮影しているのは良かったのですが、一般観客がビデオ撮影をしていたのが気になりました。
◆WS・レクチャー中の写真・動画の撮影および録音はご遠慮ください。
ということじゃなかったのかなぁ・・・誤解だったらいいんだけどな。