高校生向けワークショップについて考えた

学生向けのワークショップは難しい。

なぜなら初めから聞く気がないからだ。いや、本当を言えば、知らないことを知りたいという知的好奇心を持っている子もいる。そして、興味ないことは徹底的に興味がないという子たちもいるのだ。

普段のワークショップは、知りたいから来ている人たちに提供している。参加者自らが積極的な人たちばかりなので、勝手が違うのだ。

俺が悪いのか?生徒が悪いのか?教育が悪いのか?

ついつい犯人探しをしたくなるモードになっていました。こういう時に、犯人を見つたとしても何も解決はしない。誰か何かを悪者にして自分のプライドを保つことに躍起になるからだ。

そもそも、なぜこの仕事をしているのか?

こういう時には、自分の原点に立ち戻る質問をする必要がある。だって、嫌だったらそんな仕事を断ればいいだけなのだ。仕事を選ぶことができるのが今の日本だ。

  • メンタルの不調に陥った時に、自分で対処できる方法をしってもらいたい
  • 話を聞くことの大切さやコツをしってもらいたい
  • 子供たちが自分の望む未来を選ぶ力を知ってもらい、幸せな人生を送ってもらいたい

という相手にフォーカスをした目的からスタートした。それと同時に個人的な欲求はもちらんある。

  • 今の子供たちが何を考えているのかを知りたい

という僕自身の知的好奇心だ。最近、読んだ本「先生、どうか皆の前でほめないで下さい」という本を読んだこともあるし、ワークショップデザイナープログラムの苅宿先生がいっていた「褒めてもダメ、叱ってもダメな生徒にどう接したら良いのか?」と言っていた言葉を思い出す。時代を読むには今の10代が何に興味を持っていて、どのような考え方をしているのかが鍵を握っている。もちろん親世代の保守的な影響もあるが、そのカウンターで新しいことを求めているのが若者なのだ。新しいものに対する好奇心を自然と持っている。

自分の原点に立ち返ったら、問題がなくなった。

全員に話が届かなくてもいいのだ。一人でも必要な子に届けばいいのである。興味がある子もいればない子もいる。みんな一緒でなくもいいのだ。「みんな違って、みんな良い」なんだけど、みんな違うから大変なのである。

長期に関われない制約もある中で交流が起きる仕組みは作れるかもしれない。それは今後の課題だ。だけれど、生徒の反応を見ていればわかることもたくさんある。仕事柄、人を観察するのは得意なのだ。そして集団の求めている意識も観察すればいいのだ。何かひとつでも心に残ってくれる人がいればそれで良い。そして、自分が気持ちよく仕事ができるように最大限の努力をしよう。寝ているのは良いけれど、隣の人と話をしているのは苦痛だからね。

セラピーの基本は、自分のニーズを変えること。それは本当に望んでいるものは何かを知るということなのだ。

もやもやしていることを言語化すれば良い。そのために僕らみたいな仕事がある。言葉を通じて、自分の内面を言語化する。身体言語を使って、自分自身の感覚を言語化することもできる。自分との対話をするメソッドを使えるのが一番の特徴なのである。

この仕事していて良かった!

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おとなの砂場ダブリンワークショップに参加してみた

ワークショップデザイナー育成プログラムのコミュニティで、近所でワークショップをやるというので参加してみました。参加の決めては、講師のプロフィールを見て、フェルデンクライスメソッドとジャックルコック演劇学校を学んだ人だから。ボディワークやルコック卒業生のクラウンのワークショップにエネルギーを注いでいたことを思い出したから。参加したワークショップはこちら

当日に知ったのですが、「自分アップデート」がテーマだったんですね(汗)

僕自身がテーマよりもメソッドに興味があったワークショップでした。

午前の部は「からだをほぐすこと」がテーマ。ずっと過去に参加したエサレン研究所のワークショップを思い出しながら受けていました。自分の体を向き合うことの楽しさを再び思い出したりしていました。自分の手で、自分の身体に触れるって不思議なんですよ。例えば、右手と左手を合わせたりした時に、右手が左手を触れているのか、左手が右手を触れているのか、それを味わっているうちに何かが溶けていく感じがするのです。脳が驚くというか、感じ方が変わっていく。

感情と身体について味わっていく。ロルフィングだったり、スリーインワンだったり、痛みと脳と感情についても深く学んできた。感情は筋肉に逃げ込むのです。痛みには感情があり、感情が解放されれば痛みも解放される。そんな体験を思い出しながら、体を味わっていました。

セルフで解放すること、他者の手を借りて解放すること。どちらも味わいました。自分ですることと他者と共にすることは明確に違います。他者の手を借りることは客観的になれますね。身体って本当に興味深いです。

軽くなった身体で、昼休みは、まず散歩にでかけました。やっぱり、身体は動かしてなんぼのものです。肉体を持つということは、この世のことを深く味わうためだから。身体を動かして五感で感じることが、シンプルに喜びですね。

午後は「からだで表現すること」がテーマ。演劇やダンスのワークショップは会場をよく歩きます。人と人がぶつからないように、なるべく大きく自由に歩くように、これも身体を感じることになります。人の感覚は面白い。

印象的だったのは、宿題がでていて「自分の持ち物(所有物)の中から必需品じゃないけど、新たな人生を新たな場所でスタートさせるとしたら持っていきたい物」を一つ選んで、その写真を持ってきてください」というもの。だんだんと寒くなってきたし、アグラスカートを実際に持っていこうと選びました。アグラスカートは山で使う防寒着でアグラがかけるスカートです。これサイズアップしたものだと上にも着れて雪だるまみたいに可愛くなります。ウールなのでジワっと温かいのが好きなんですよね。在宅ワークで使う人も多いアイテムです。

このアイテムを他の参加者に何も説明せずに見せて、「このアイテムは何をしてくれるものか?」を考えて、それをワンアクションの動きにするというワークをしました。

僕の番になると、他の参加者が踊りで表現をしてくれます。真剣に一生懸命にアイテムが与えてくれるであろうアクションをしてくれるんです。大の大人が何をしているだろう。そう思うと笑えてきました。その心のフッとした緩みから、僕が選んだアイテムは僕の役に立とうと真剣に愛を与えてくれているんだなということに気づきました。ちょっと感動しちゃいましたよ。

このアイテムのアクションは3つの動きをしてもらって、1回目はただ単に受け取る、2回目はレスポンスの動きを返す、3回目は相手の動きを楽譜として自分が自由に身体を動かすというものをやりました。自分が選んだアイテムとペアダンスを踊るということ。影響を与え合う関係性なんですよね。これ道具をもっと大切に扱わないといけないと思ったのです。友人を選ぶのと同じように道具も選ぶ必要があるんだなと。自分が本当に好きなものに囲まれるのが大事だなと思ったりしました。

そして、コンタクトインプロをやったりも。頭で考えて動く人、身体で感じて動く人。コンタクトインプロはやっぱり感じて動くことが大事だと思いました。思考で動くと説明的な動きにしかならない気がするのです。そして、ペアダンスを踊るのではなく、ソロのダンスと同じだということ。ペアダンスは触れ合いではなくエネルギーの交換なんです。以前にサルサの先生にそんなことを聞いてダンスって面白いなと感じたことを思い出したりしていました。

色々なワークをやったのだけれど、特に全体でシェアがないワークショップでした。これはヨーロッパ仕込みの個人主義だからなのか。感じるというのは個人のものだからなのかと考えたり。感覚は言葉にすることで消え去ってしまうこともありますから。僕自身はワークショップは体験をシェアする形が好きなのだけれど、使い分けをするのもありなのかもと思ったりしました。

「自分アップデート」するって、過去を捨てるわけではないのです。過去をしっかりと味わって、その積み重ねで今があることを思い出す作業でもあるのです。そして、未来に向けて、今できることをする。この今することは、自分を解き放つことでしか起きないんですよね。過去が自分の圧力を高めるプレッシャーとし、未来に向けてその反動で解き放つ。これは爆発するという暴力的なことではなくエレガントなものなんだなと感じました。

未来を創り出す作業って、自分を解放していれば、とても優しいことなんですね。思考に偏りすぎていると爆発して破壊のエネルギーにしかならないのではないかと感じました。未来を引き寄せるのではなく、未来が勝手にやってくるみたいな。ただそれを踊るように楽しめば良いということなんだなと。

自分の原点を思い出したような1日でした。ありがとうございました。

■ダブリンワークショップ
https://dublinworkshop.hatenablog.com

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哲学とは何か?

「哲学とは何か?」という問いをソクラティック・ダイアローグに参加してから考え続けている。どうも世の中で開催されている哲学対話とか哲学カフェというものは哲学の一歩手前のようなものらしい。自分の内面を言語化するだけでは哲学と呼べないのかもしれない。

平田オリザ著「ともに生きるための演劇」の読書会をワークショップデザイナー育成講座受講生同期とした。この本には

「哲学」は、異なる価値観を持つ人たちが、その異なる「概念」をどうするあわせていくかを突き詰めたものです。(略)「演劇」は、「哲学」だけではすり合わせることができない、異なる「感性」のすり合わせだと私は考えています。

と書かれています。読書会の参加者が公務員経験者であることが哲学を現実に引き寄せてくれた。なぜなら、公務員って法律に基づいて仕事をしているからです。つまり文章で規定されたことに基づいて仕事をしており、迷った時には法律が拠り所になります。

「哲学は法律に似ている」という言葉に納得しました。法律は誤解が極力ないように規定している言葉です。哲学とは誤解のない文章で物事を考えるので非常に似ています。

誰が読んでも矛盾のない文章で物事を定義してはじめて成り立つのが哲学。

日本で哲学をする難しさがここにあるのです。日本語って詩のようですから。日本語ってすべてを曖昧にしがちな言語であり、行間を読み合い、書かれていないことを想像で補いながらコミュニケーションをしていく言葉なんです。つまりは、何となく伝わっていればいれば良い言語。

なんとなくなので、数学のようにハッキリとした定義は不可能と言っても良いし、正確に表現しようとすると主語述語をちゃんと書くと違和感のある文章が出来上がる。

言葉を話すのは誰もができるけれど、言葉を書くのが苦手な人が多いのです。これは話し言葉と書き言葉が違うから。自分で書いた言葉を音読すると何か変な感じがしませんか。なんで話し言葉と書き言葉は違うのでしょうね?世の中には不思議がいっぱいです。

最近、文章を書けないし、読めない人が多いという話を聞きます。ネット上で炎上するのはこれが原因だとも言われています。最近の情報ソースとして求められていることがブログから動画になったことも関係するのでしょう。本を読むよりも講義を聞く方が理解しやすい人が多そうです。そうなると演劇って哲学では取りこぼされる人たちをフォローするものなのかもしれませんね。演劇は言語以外の非言語も使いますから。

哲学って誰もが誤解されない文章レベルまで精査してはじめて哲学をしたということになるのでしょう。

体験することって大事だな。ソクラティック・ダイアローグの体験は改めて良かったんだなと振り返り、多くの人と対話することが理解を深めるのだと読書会をして良かったなと思っています。

他者がいるから対話をして深めることができる。これも哲学の入り口なのかもしれない。

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ソクラティック・ダイアローグ体験ワークショップに行ってきた(その2)

前回のブログに書いた体験記では書ききれなかったことをまとめておきます。

ソクラティック・ダイアログは、根本的な問いに対して答えを見つける共同の試みです。
今回のテーマは「尊重」であり、尊重とは何かの答えを参加者全員で考える体験でした。

僕にとって、むちゃくちゃ日本語を意識する時間でした。

小学校の頃から国語が嫌い。
高校の時に駿台模試で偏差値29を叩き出して自分でもビックリしたことを思い出します。
大学院の時には英語4級の実力でも、論文は日本のものより海外のものがわかりやすかったり。
最近では、演劇に興味を持ち、体験をする中で、話し言葉と書き言葉が違うったり、映画や音楽の翻訳でも意味がかなり違ったりすることに衝撃を受けています。

日本語って不思議な言語。
主語がはっきりしないし、言葉の順序も適当で十分に伝わります。
意思決定をしなくても、自然と場が流れていき、なんとなくうまくいくという文化が生み出した怪物なのかもしれません。

哲学とは言葉を使い思考の探究をする世界。
どうも日本語は哲学をするのに向いていない言語なのでしょう。
このブログを書いている現在でも日本語に対する意識が変わって、日本語がちょっとおかしくなっています。
「その主語は何やねん?」と思いながら書いています。

事実とは?

ソクラティック・ダイアローグでは、最初に探究する例を決めます。
その時の指針は「いつ・どこで・誰が・何をして・どう思った」という体験を語ります。
もう、ここからが難しい。
事実を書こうとすると、言った言葉と動いた行動という現実社会にアウトプットされたものになる。
ここに自分の中の内側の、考えたことや感じたことを書こうとすると、膨大な量になっていく。

どうも、この内面の部分を丁寧に解きほぐしていくのが、ソクラティック・ダイアローグの醍醐味のようだ。
僕の場合、「どんな思考をしているのか?」「どんな感情を感じているのか?」「どんな思い込みがあるのか?」「どんな背景があるのか?」「どんな価値観を持っているのか?」を無意識に観察しています。
これはセラピストという職業の性だと思っています。

なので、自然の中でただ一人で思考を止めるた世界に浸るのは重要だったり。

ソクラティック・ダイアローグでは、無意識にしていることを意識化してやるので、自分の中の情報量が多くなり脳がフル回転しました。

で、他の参加者さんが質問してくれるんですよ、体験について。
この質問が丁寧で細やかであり、自分の思考プロセスがよくわかるんです。
曖昧にしていたことを、考えて、順番に自分の思考だったり感情だったり意思決定だったりについて考えます。
その行動した理由に「なんとなく・・・」は通用しないので、「なんとなく・・・」していることがなんと多いことか。
さらに、「なんとなく」の中にものすごい量の思考・感情・選択をしているのか。

それがわかったことが収穫のひとつです。

合意形成とは?

もうひとつソクラティック・ダイアローグに参加して手に入れた収穫は、合意形成することで、自分の価値観がわかり、他の参加者の価値観もあぶりだされていくこと。
持っている価値観に良い・悪いはなく、ただ、何を大切にしている人なのかわかるのです。

合意形成って仲間になるための通過儀礼的なものなのかもしれないと感じています。
合意形成は、参加者全員のコミットがあればあるほど実りがあるものだと思いました。
他者がいることで「自分とは何か?」がよくわかる体験でした。

そして、これからも日本語の探求は続きます。
あれっ?日本語を好きになっている!

今回の体験したソクラティック・ダイアローグは、ダイナミクス・オブ・ダイアログLLCさん主催です。

興味のある方はチェックを。

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ソクラティック・ダイアローグ体験ワークショップに行ってきた

ソクラティック・ダイアローグと呼ばれる哲学対話の会に参加してきた。
なんと10時間もずっと頭を論理的に使う時間を過ごしてきたのだ。
脳が沸騰するんじゃないかというくらいに言葉を厳密に使う時間であった。

「これが哲学なのか?」という濃密な時間を過ごした。

僕の一番の学びは、僕自身は哲学に向いていないかもしれないと思ったこと。
探求をすることは好き。僕にとっては4コマ哲学教室くらいがちょうど良い感じ。
ただ、このワークショップは、僕にとって大きな分岐点になったと思える体験があった。

ソクラティック・ダイアローグは、僕の言葉で言えば、合意形成のプロセスを知的探求に使おうというもの。
また、反対に知的探求で合意形成をすることにも使えるツールだともいえる。
詳しく知りたい人は、ソクラティック・ダイアローグを。

僕は、合意形成の場で大切なことは、積極的に場づくりに協力すること、疑問を残さないこと、自信を持って行動することだと考えている。

このソクラティック・ダイアローグのワークショップの中で、なぜか過去のやり残しについて思い出すことがあったのだ。
これは、僕らが仕事にしている心理セラピーを学んでいる時に、問題の原因となることとして出てきた記憶だ。
その問題自体は解決しているのだが、リアルな成功体験として味わっていなかった。

今回、その体験ができるチャンスが来たのであろう。
頭の中で過去の体験を思い出した。
実際に過去の自分を受け入れて未来の自分に向けて行動しようと決めた。

その体験は3つある。

我慢

ひとつは、イヤだという意見を表明したこと。
過去の相互支援の場で、周りの人たちに遠慮して、我慢して意見を言わなかった人がいた。
後にそれが大問題となりその会は解散することになった。

イヤなことをイヤだと言わなければ誰もわかってくれない。
こちらが良かれと思ってやったことが、その人にとってはイヤなことだったのだ。
そんなことを思い出したので、イヤなことはイヤだということを表明したのだ。

そしたら気分が楽になった。
イヤだと言ったら、相手にイヤな思いをさせるんじゃないかと思っていた。
それよりも自分に正直であることが重要なのだ。

この対話の場は、頭に負荷をかけるのでストレスになる。
なので、なるべく、心理的なストレス要因がないほうが良いのだ。
表明ができたことで気分が軽くなり対話に集中できたのが良かった。

遠慮

2つ目は、全員した体験談の中で、ひとつだけ体験を選ぶ機会があった。
僕自身の体験が今回のテーマである「尊重」に相応しい体験だと思った。
そう思った時に小学校の時の記憶がよみがえった。

本を読んだ感想文を市のコンクールに出すのを誰にするかを選ぶ場だった。
クラスで一番優秀な島村くんも候補になっていたのだけれど、なぜか担任が僕の感想文を推していた。
「昔も今も母が子を思う気持ちは変わらない」
というようなところが良かったらしい。

恥ずかしかったのでしょう。
「絶対にイヤだ!」と全力で主張したのを覚えている。
そして多数決になった時に、島村くんの感想文に手をあげた。
結果、僅差で島村くんの感想文がコンクールに出展された。

で、今回、自分の例が良かったと思ったので、自分の例に手をあげた。
そして僕の例が選ばれたのである。

補足しておくと、このワークショップでは多数決は最後の手段であり、みんな何を根拠に選んだ理由を話す。
「なぜ、そうするのか?」
意見の背景も語るのが対話にとても重要なのである。

自分で自分に手をあげたら小学生の自分のやり残しが終わった感があった。
「もしも、あの時に、やっていれば・・・」
そんな経験は誰しもあるだろう。
実際に大人になってからも、やり直すチャンスはあるのだ。

自分のために立ち上がる

ワークショップのルールとして、手をあげて発言するというものがあった。
そして進行役が発言を許可して初めて発言ができる。
もちろん、これは会がスムーズに進行し、場の安全を担保するためだ。

僕を含めて2人の人が手をあげた。
僕の発言は2番目にすることになっていたのだ。
一人の目の発言に色々と質問があがり話題は盛り上がった。
そうして僕の挙手は忘れられた。

「まぁいいか・・・」と一瞬頭にその言葉浮かんだ。

そうしたら、小学校の学級会で発言を無視されて、さみしい思いをして、やる気も何かもなくしただ拗ねて、誰にも協力しないと決めた自分を思い出したのだ。

それは子供の態度であり、大人は違う選択ができる。

「手をあげていたのに、忘れられて、さみしいです。」と口走っていた。
今思えば、もうちょっとマシな言い方はできたのかもしれないが、正直にそのままの気持ちを表明した。
そうしたら、なんか気持ちが晴れやかに。
思っていることを自分の内側にとどめず、外側に声としてだすこと。
それは自尊心につながっているのだと改めて感じた。

この3つの体験が起きたのは、安全な場作りになっていたから。
自分で自分に驚いている。
全く、趣旨とは違うことで、自分ができなかったことをすることができたのだ。

きっと昔の自分の想いは成仏しているでしょう。

ソクラティック・ダイアローグは、自己探求の要素もあるのではないか。

  • 自分の体験を事実だけで簡潔にすること
  • 自分の物語を手放し、普遍的な物語にすること。
  • 物語の主人公が、どんな前提で行動しているのか探求すること
  • その前提の奥にある原則を見つけること

これを個人作業ではなく、集まったメンバで合意形成をすることで、普遍性が高まっていく。

常日頃、個人的な問題はない。
自身の問題は人類の問題であり、自身の問題解決は人類の問題解決につながる。
そう考えている。

きっと僕自身の3つの体験は、参加者全員にも影響を与えているかもしれない。
それが相互作用してひとつの場を作ったのではないかと考えている。

とっても充実した時間でした。
主催者の方々、参加者の方々、ありがとうございました。

ちなみに10時間も対話をしたのに、家に帰ってうちのかみさん3時間も対話をしたのでした。
体験したことに興味を持ち、夫婦でも哲学ができたことに感謝です。
さらに気づきと変容が起こった気がしています。

「尊重とは思い込みである」という僕の結論の反論ができません。
思い込みの一部に尊重があるのですが(笑)
まだまだ哲学は続きます。

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ワークショップへのこだわり

ワークショップデザイナー育成プログラム修了生と話をしていて、自分のワークショップ遍歴を振り返った。

出会いは1998年。外国から心理セラピーの講師のワークショップに参加。ワークショップの最初に、全員が今感じていることを自由に話をする。周りはただ聞いているだけ。どんな話であろうが話し手の邪魔をしない。講師の方はただ「ありがとう」しか言わない。ワークショップの最後にも全員が話をする時間があった。自分を感じたこと、気づいたこと、考えたことなどを共有する。「なんだこれは!」という衝撃を受けた。とても居心地の良い空間だった。

ワークショップが面白いと思ったのだけれど、その手法はまだ体系化されてなくワークショップという言葉だけがあった。その経緯を知らべていくと、セラピーの源流に行きつく。その世界はニューエイジと呼ばれていた。ベトナム戦争の帰還兵に対するPTSDの研究からセラピーは生まれている。

そこから精神について探求が米国で始まったのだ。さらに源流を探れば、ビートニクやヒッピー文化が関係してくる。これは東洋思想が西洋思想に出会って生まれている。この時期には目に見えないものについて探求をされた。スピリチュアルについて興味を持つ人が増えたのだ。

と書いていると進まないですね(笑)

ワークショップ視点からすると、セラピーで探求していたことって、自分自身との合意形成という意味合いが強い。自分の頭で考えていることと自分の身体で感じていることにズレが生じると、心身に問題が起きると考えています。自分自分自身の探求は大好きだけれど、もっと外に視点を持っても良いのではないかと考えた。

自分自身のライフスタイル、パートナーシップ、ライフワークという自分の外側を変えること。また、夢を持つなど未来を創り出す手法に興味を持ち、その分野を研究していく。自己実現とか自己啓発と呼ばれる世界だ。

ここから子供の頃から好きだったアウトドアが合流してくる。セラピーは内側の冒険だと僕は感じていたのだ。自分を発見していくプロセスがたまらなく面白かった。外の世界にも冒険をしたい、探検がしたいとアウトドアの世界に興味を持ってやっていく。ここでもワークショップの匂いがする参加した。第一次世界大戦の兵隊をケアすることを源流に持ったものであった。戦争とスポーツが同じ匂いがする。いわゆる体育会系の価値観が重要視される。上下関係とかね。上下関係があるワークショップってちょっと窮屈なんです。俺に従えモードが強かったので。

その関係性が嫌で芸術系のワークショップの門を叩いた。「みんな違って、みんないい」みたいなノリがあった。自分の内側を外側に表現するという点は良かった。ただ、みんな自己主張が強いので、まとまりはない。私が正しい、あなたが間違っているという罠にはまっている人たちを見てきた。正確にいえば、他人の意見なんか聞いちゃいないみたいな。

ただ、ここでもワークショップがでてくる。合意形成という考え方だ。みんな違って大変だからこそ、お互いが歩み寄り、チームを作っていく。そんな学びをしていくのが楽しかった。

運動会でみんな横並びでゴールする、学芸会で主役がたくさんいる、みたいな、みんな平等ということではないことが重要なんだ。

ワークショップデザイナー育成プログラムでは、グループに分かれてワークショップを作った。1日講師から雛形となるワークショップを受けて2日目にワークショップを作る。参加のみんながこだわりがあり、紆余曲折があり、最後の最後で振り出しに戻る。講師がやったワークショップをやろうと。ある意味1日が無駄になったということであり、お互いの価値観を知り合った有意義な時間であったということでもある。

お互いの情報共有を大切にするために、実習の1週間前はネット上の書き込みだけでワークショップを作っていった。その時に、できる人ができることをしよう、気づいたことは言おう、迷ったらやってみよう、みたいな方針だった。その中で僕はワークショップの台本を書いてみた。もちろん誰かに言われたわけでもなく、やったらいいなと思いついたからだ。台本を書けば、全体を把握できると考えたし、事前のリハーサルにもなると考えたからだ。おそろいのジャケットを作ってきてくれた人もいた。否応なしに盛り上がり、ワークショップは成功のうちに終わった。

僕自身のワークショップは、精神世界、自己啓発、冒険教育、芸術教育の4つが混じってできている。それぞれの良さを活かして、それぞれの欠点を補っていく。

ワークショップそのものが手垢がついた言葉になっている。だからこそ、ワークショップが大事なのではなく、ワークショップをやっている人が誰なのかが重要だと僕は考えています。

ワークショップの原点は、人は個性的であり、自分の個性を認めて、相手の個性も尊重する、それでいいのだ、と思っているからだ。

これがハンモックフルネスの参加者の対話で気づいたこと。感謝しかない。

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呪いを解き自分らしくライフワークを生きるために
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チームビルディングのためのファシリテーション

歯科医院などの院内研修や任意団体でファシリテーションの仕事を時々させていただいています。

ファシリテーションって何?
と聞かれたら会議などの集まりで進行や整理する人のことだと答えています。

ファシリテーションで大切なことは2つ

  • 発言を促すこと
  • 発言を整理していくこと

欧米で生まれたファシリテーションは、発言を抑制する必要が多いそうです。
なぜならみんな自己主張するのに慣れているから。
そして主張が強すぎるので抑制することが必要となるそうです。

日本は発言しないことが美徳とされています。
秘すれば花という言葉もあるくらい。
自己主張が良いという文化がないからです。
会議で対話をして物事を進めるよりも、裏の根回しで決まる風潮があります。

チームビルディングで大事なことは、参加者は一人一票を持っているということなのです。

例えば家族を例に考えると、父親、母親、子供と3票あるのです。
多くの場合、子供には票がなく、合意形成されることなく親だけで物事が決まっていきます。

会社の場合だったら、社長が10票を持っていて、社員が1票しか持っていない。
この場合10人の会社だったら社長の一言で物事が決まるということがわかるでしょう。
いわゆるワンマン社長ということで、チームを作ることは難しくなります。

チームは一人一人が力を持っていることが重要なのです。
社長も1票、社員も1票持つことで対等な関係性を作ることができます。
これがいわゆる民主主義なのです。

議題の内容によっては、社長が一人で決めなければならない案件もあるでしょう。
そういうものは、ここではいったん脇に置いておきます。

1人1票持つということは、一人の人間として認められるということ。
なので、必要なのは意見を表明する必要がでてきます。

以下同文のように周りの人に合わせていれば良いというものではありません。
自分の意見を話すということが重要なのです。

ファシリテーターの役割として、この発言のしやすい場作りが大切となります。
そのために様々な仕掛けをしていきます。

家族でも1票を持っている。会社でも1票を持っている。地域でも1票を持っている。
この考え方が重要なんですね。
特に小さなチームでは1票の重みが大きいのです。

誰かが正直であるのではなく嘘をついていると、チームが崩壊することさえあるのです。
嘘じゃないとしても思っていることを表現しないことで崩壊することもあるのです。
こういう静かなる革命みたいなものは不健全です。

自分の意見を正直に言うこと。

これがチームビルディングのスタートです。

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子供たちからのフィードバック@高校でのワークショップから

断捨離祭りをしました。その時に昨年、高校で行った心理学ワークショップの感想がでてきました。改めて1枚1枚感想を見ていると嬉しいものがあります。

感想が厚い!

感想で一番多いのは「わかりやすかった」ということ。次が「早速やってみます」、三番目は「好きなことを追求します」という結果だった。

メンターからの「人に伝える時は、小学校5年生にわかるようにしなさい。そうすれば誰もが理解できるから」という教えを守っているからかもしれない。僕自身がこの位に噛み砕かないと理解できないからという理由もある。

短い時間ながら、「メンタルを整えるために重要な3つのこと」「これができればカウンセラーになれる3つのこと」「進路を決める時に大事な3つのこと」「僕自身の高校生の時に思っていたこと、やったこと」というものを詰め込んでいる。

実際に書いてみるとこんなに濃い内容になってます。どんな進路に進もうとも必要なスキルを伝えることを目的にしています。健康を整えること、話を聴くこと、夢を叶える方法、それを自分の体験も踏まえて話をするので物語としてもつながるものになっています。

高校生がよく知る大人って、親と教師だけだと言われています。なので、その二者とは違う第三の大人の存在が必要になります。多様性がある世の中で、多くの大人と接する経験そのものが重要です。

感想ありがとう!

何を話せばいいのかを考えると、高校生の時の自分に対して、自分が好きで追求して仕事としてやっていることを伝えることが大事ですね。

どんな大人も子供たちに伝えることはあります。それを言語化しておくと良いかもしれません。自分自身のためになるし、そこに生まれてきた意味があるかもしれません。

このようなワークショップを高校生に提供したい。そんな主催者の方はご連絡下さい。打ち合わせの上、最適な形で開催しましょう。

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仲間意識を持つために何をすれば良いのか?

ワークショップを開催する時には、デザインをする。
持ち帰ってもらいたいテーマが伝わるように設計するのだ。
それを言葉で言わずとも伝わる形がベターだと思っています。

よくワークショップでありがちなのは、起きて欲しい結果を強制すること。

例えば、みんなが仲良くなってもらいたい、そのためにお互いが交流してもらいたい。
そんなことを思った時に

「みなさん!対話して下さい!」
「みなさん!交流して下さい!」
「みなさん!仲良くなって下さい!」

進行役の人がそんなことを言ったら興醒めです。
だいたい場は凍り付きます。
そしてそんな言葉がなかったかのように、元の状態に戻ります。

僕たちは恥ずかしがり屋の日本人です。
ほとんどが、自分自身が見知りだと感じている国民性があるのです。

知らない人に興味を持つことは難しいし、何を話せば良いのかわからないのです。

いきなり出会って自己紹介をして一緒に遊ぶという経験ができる人はごくわずかでしょう。
何回か会うことがあり、少しずつ話をしていくことが多いのではないでしょうか。
少なくとも僕はそうです。

では、どうするのか?
答えはデザインするのです。

どうしたら対話をしたい状態になるのか?

これを考えば良いのです。

例えば、一緒に作業することです。
自己紹介でも良いのですが、自己紹介だけでは実際には難しいことが多いです。
自己紹介にも工夫が必要です。

少しずつ人と人が知り合えるような工夫が必要なのです。
そのために僕がオススメなのが同じ作業をすることなんです。
ゲームをすることもそのひとつです。

言葉よりも行動が如実にその人を表すことが大きいのです。

僕は、言葉は潜在意識を現し、行動は無意識を現すと考えています。
潜在意識は思い込みであり、無意識はその人の癖みたいなものです。

なので、共同作業を行なってもらうことが、自己紹介につながる行為だと思っています。
出会いって少しずつで良いのです。
言葉を使わないことで、自分のペースで相手を観察することができますから。

ワークショップをデザインするって楽しいことです。
何が起きてほしいのかを設計したり、何が起きるかわからない設計をしたり、自分で自由にデザインすることができます。

ワクワクするという身体感覚が重要だと僕は思います。
このワクワクが、人間の本能である、知りたい、つながりたいという欲求を活性化させますから。

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褒める・褒められるだけでいい

本年度最後の高校でのワークショップを行なった。
僕らの時代とは違い様々な学校がある。
多様性のある方向性になっているのが嬉しい。

人には誰にも個性がある。

それは長所と呼ばれたり、短所と呼ばれたりする。
長所・短所というのは価値判断に過ぎない。
ただの特徴にすぎないのだ。

なので短所は長所につながり、長所は短所につながる。
特徴を周りに役立つように使えば長所と呼ばれ、周りに迷惑になるように使えば短所となる。

なので、その人が持つ特徴を褒めたらいいのだ。

平均的な特徴ではなく個性の部分を褒めたら良い。
人は短所に対して怒られることが多い。
親は先生が愛があるゆえに、短所を指摘して直そうとする。

半世紀近く生きてきた思うのは、短所はなおらない(笑)

開き直っているように思われるかもしれないのだが、治らんもんは治らないのだ。

ならば、どうすれば良いのかと言えば、長所を伸ばしていくしかない。
自分が良いところを伸ばし、悪いところは目立たないようにするだけ。
また、短所だと思われている部分も知恵を働かせて良いこととして使うように工夫する。

とある学校で
「私の長所は何ですか?」
じーっと見つめて観察し、頭に浮かんだこと言ってみた。
「可愛いところ」
と感情を交えずに冷静に伝えた。
「きゃー」
と周りも含めて盛り上がって喜んでいる。こちらが驚くほどだ。
「ただ、これだけ面接につかえないですよ」
と冷静な言葉。
「そうか。内面的な部分を長所と呼んでいるかもしれない。
 私の長所は可愛いところですと言ったらドン引きされるかもね。」
と気づきがあり伝えた。

実際には、内面も外面もどちらも長所。
自分を肯定的にみることは、とても重要なのだ。

最近、自己肯定感という言葉が生まれたが、褒めることをしていないのではないかと思う。

褒められても拗らせて受け入れることができない人たちを心理学を学ぶ過程で多くみてきた。
そんな人はすべての不幸を受け入れているように見えて、大変そうだし、実際に問題が山積みであった。
どれだけ褒められても受け入れられずに否定をしてまう。
何年もかけてだんだんと受け入れらるようになると表情が全く違い、まるで別人のように変わっていく。

学生時代に、自分の良さに気づき、受け入れることがなるような教育制度になったら良いなと思う。

そのために、褒める教育は大事なことではないだろうか。
ここで大事なのは嘘を言うことではない。
子供たちを観察して観察して観察して良さを見つけるのだ。
そして、良さをただフィードバックしていく。

しかもこれは継続することが大事なこと。
なぜなら人は成長するから。

正直に褒めることができたら。
褒められたことを素直に受け入れることができたら。
お互いが褒め合う世界になったら。

創造的な社会になるなと思うのです。

僕は人の良い面によりフォーカスしていく。プロとして。

そんなことを感じたワークショップでした。

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4/6(水)〜6/7(水) オンラインで望む未来を手に入れるためのテーマについて対話をする会です。
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