それって誰の欲求?

やりたい!やった!あれ?

という経験ありませんか?

やりたことをやったら、幸せとか嬉しいとか感じるものです。ところが、何も感じなかったり、逆に不幸を感じたりすることもあります。

なぜでしょうか?

それは癒着の問題です。誰かに癒着しているか、誰かから癒着されているのです。つまり、自分の欲求ではなかったということです。

  • 親の期待に応える。
  • 子の期待に応える
  • パートナーの期待に応える
  • 社会の期待に応える

ということなんです。

よく聞くのは受験だったりします。親が私立の学校に行かせたくて子供に受験をさせるみたいなことです。しかも遊びたいのに、親の期待に背くのが怖くて、期待に応えられないことに罪悪感を感じたり、自分の欲求よりも親の欲求に応えようとしてしまうのです。

「勉強しなさい!」と怒る親も同じです。誰が困るかを考えたら良いのです。そう、子供ですよね。これは親の問題ではなく子供の問題です。なぜ怒るのかを考えてみるといいかもしれません。

人は誰かの役に立ちたいという本能があります。それの不健全な使い方ですね。誰かの欲求を自分の欲求と勘違いすることは。

自分の欲求を他人の欲求にも拡大されて応援されるのは健全な使い方です。この場合、欲求が叶えば自分も嬉しいし周りの人たちも嬉しいということが起きるのです。

義務教育は中学校までです。でも高校に進学する人は多いし、大学や専門学校に行く人も多いでしょう。その中で、本当に心から学びたくて通う人はどれくらいいるのでしょうか?

いや、僕も自身ありません。本当に学びたかったのか疑問もあったりします。だって、あれだけ寝てたり、サボりたかったりしてたのですもの。

大人になってから学んだことは自分の意思であることが多いという自負はあります。自分でお金を払って学ぶって大事なことなのかもしれません。また、自分から頭をさげてお金を出してもらうことも重要なことなのかもしれません。

いわゆる「良い子」と呼ばれる人たちは、他人の期待を生きている場合が多いです。優等生を演じている場合が多いです。それと同じくらい悪い子も他人の期待を生きています。他人の期待を生きていることの不満を表現しているだけだったりするんですよね。

僕はもったいないと思うのです。

誰かの期待を背負って嫌な思いをする時間とお金を、本当に心からやってみたいことに使ってみたらどうなのかと思うんですよね。もし、そんな社会になったらどうなるのだろうと想像するとワクワクしてくるのです。

もちろん、失敗もすることもあるでしょう。その失敗を受け入れる自分であり社会であって欲しいと思っています。はじめてのことは誰もが失敗の連続だからです。誰もが転ばずに立ち上がることはできなかったでしょう。そんなものです。

だからチェックして欲しいのです。

「それは自分自身の欲求なのか?」

という問いです。もし、あなたが幸せを感じていないなら、親の期待、子の期待、パートナーの期待、社会の期待ではないかと疑ってみて下さい。

期待して良いのは自分自身にだけです。もし、イライラしているなら誰かに期待しているサインかもしれませんよ!

それって誰の欲求? と問うのは時々やりたいことですね。

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