人のワクワクを笑うな!

自分の中にあるワクワクという感情や身体感覚を再認識し、理想の仕事やパートナーを見つけ自分が望むライフスタイル創りだすソース・ワークショップ開催中です。

多角的に自分のワクワクを見つける発見編とそのワクワクを実生活に応用する活用編に別れています。

このワクワクって自尊心とつながっています。

 

ソーストレーナー上田正敏です。

ソースを知って19年、トレーナーになって12年。

好きという感情を大切にする生き方を実践し、また多くの人に伝えてきました。

ワクワクとか好きという感情はその人そのものです。

とても個人的なものであり尊重すべきものです。

 

久々にワークショップで怒りが爆発しました。

それは参加者のワクワクする気持ちを、馬鹿にして笑った人がいたという話を聞いたから。

 

人のワクワクを笑うな!

 

自分のワクワクする気持ちを表現することは勇気がいることです。

自分の好きを否定されたら立ち直れないくらい傷つくものです。

自分を全否定されたような気持ちになるのです。

 

他人のワクワクを笑う資格がある人は、この世にはいません。

唯一できることは尊重することだけです。

 

言われた本人がドン引きするくらい僕の中で怒りが湧いてきたのですが、これ本当は言われた本人が怒りを感じているのです。

自分の尊厳を守るために怒りを感じているのです。

その怒りを抑圧していると周りの人に伝染することがあります。

それを僕が感じ取ったので、本人に代わって怒りを表現しました。

 

さらに心理学的にいえば、笑った本人も大問題があります。

それは他人を笑ったことではありません。

自分で自分自身の尊厳を笑って馬鹿にしたのと同じことです。

 

きっと自分のワクワクする感情や身体感覚を否定している人です。

自分の自尊心を失い、自己不信に落ち入っている人なのです。

他人のワクワクを笑える人は、それ以上に自分のワクワクを笑っています。

どれだけ自分を罰しているかと思うとやりきれません。

本当は誰も悪くないのです。

あるとすれば自分のことを大した奴だと思っていない自分です。

 

どうすればいいのか?

 

答えはシンプルです。

自尊心を笑われた時に怒ればいいのです。

それがどれだけ罪があることなのか自覚していない人が多い。

それを伝える必要があるのです。

健全なる怒りというものがあるのです。

 

セラピーの手法を使ってリプログラミングしました。

自分自身のソースとつながり生き生きと力が湧き上がっているかのよう見えました。

感情はとても穏やかだったそうです。

自分の源とつながることが、好きな仕事をしたり、好きなパートナーと共にいたり、好きなことを好きなだけ好きな時にできるようになる鍵を握っています。

 

ワークライフバランスを超えたワークアズライフをソースワークショップで手に入れることが目的です。

自分らしさを発揮して生き生きとしている人を一人でも増えることが僕のワクワクのひとつです。

 

■ワクワクを発見し好きなことを仕事にするソース・ワークショップ
http://www.yoriyoku.com/source/

 

■自分らしく生きるライフチェンジプログラム
約半年間、人生を変えるために伴奏するコースです。
http://www.yoriyoku.com/LifeChangeProgram.html

■フリースタイル上田夫妻公式ページ
個人セッションはこちらのページを
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自分に自信を持つためには言葉使いに意識を向けること

人間の意識って何でできているでしょうか?

僕の答えは言葉です。

人は言葉で世界を認識しています。

 

メンタルトレーナー上田正敏です。

人は言葉でできていると言っても過言ではありません。

どんな言葉を使っているかで、その人そのものがわかります。

 

だから、自分の言葉に責任を持つことが重要になります。

 

愚痴、不平不満を口にしていると、愚痴や不平不満を言いたくなるような場面に出くわすことが多くなります。

感謝を口にしていると、感謝を言いたくなるような場面に出くわすことが多くなります。

 

世の中はプラスもマイナスもありません。

ただニュートラルにあるだけ。

人がプラスに解釈するか、マイナスに解釈するだけなのです。

使っている言葉によって、プラスに動くか、マイナスに動くか決まってきます。

使っている言葉によって、何が拡大されて見えてくるかが決まってきます。

 

ネガティブ思考でいれば、ネガティブなことがよく見えたり聞こえたりするようになります。

ポジティブ思考でいれば、ポジティブなことがよく見えたり聞こえたりするようになります。

 

偽ポジティブ思考は、無理やりネガティブをポジティブに変えようと努力をしているので、ネガティブ思考だったりもします。

ポジティブもネガティブも超えてニュートラルになることが究極の目的です。

まずは、自分がポジティブな言葉を使っているか、ネガティブな言葉を使っているか、自分の言葉に意識を向けて見ることが大切です。

 

そして、特に意識を向けてもらいたいのは、語尾です。

例えば、

僕がお菓子が好きだ。

という言葉の語尾を変えてみます。

 

僕はお菓子が好きじゃない。

僕はお菓子が好きかもしれない。

僕はお菓子を好きだったらいいな。

僕はお菓子を好きに違いない。

僕はお菓子を好きだと思うんだけど、、、。

僕はお菓子が好きだなんて言わないよ絶対。

 

何が何だかよくわからなくなります。

自分で自分に煙幕をはることになります。

自分の意識がわからなくなります。

自分自身を誤魔化すことができます。

 

僕は◯◯が好き。

 

というシンプルな思考が大切です。

これは思考というよりも感情であり本能です。

余計な語尾はいらないのです。

 

世の中一般の人たちはお菓子が好き。

というのもどうでもいいことです。

誰が?私がなのです。

これが自分自身を確立していくことにもつながります。

 

そして、自分自身を信じることになります。

つまり、自分に自信を持つことができます。

 

どんな言葉を話しているのか?

自分がどんな言葉を言っているのか?

これに意識を向けると自信がつきますよ!

 

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アデニウム2018シーズンスタート

今年はシーズンスタート前に株が腐っているのを発見。

冬はめちゃくちゃ寒かったから植物へのダメージも大きかったです。

砂漠の薔薇であるアデニウムも室内管理していても弱っていました。

見るだけでなく触って確認することが大事ですね。

気にかけていなかったことが悔やまれます。

詳細はこちらこちらに書きました。

修復作業で満足したので今年の植え替えはなしです。

様子を見ながらですね。

 

さて、恒例の測定タイムです。昨年の結果はこちらになります。

赤レンジャー君。身長:19cm、胴回り:33cm。

青レンジャー君。身長:11cm、胴回り:17cm。

上の部分もブヨブヨで20cmほど剪定しました。冬明けでは31cmでした。

シワシワなので復活を願っています。生命力に期待。

植え替えの時に鉢も一回り小さくしました。

黄レンジャー君。身長:19cm、胴回り:34cm。

この株も2箇所ほど傷んでいたので手術しました。

個性的な株に育ってもらいたいものです。

株が大きいと根腐れのダメージは比例して大きくなりますね。

桃レンジャー君。身長:22cm、胴回り:39cm。

一番大きな株に成長しています。彼女は無事でした。

緑レンジャー君。身長15cm、胴回り:30cm。

この株は比較的に損傷が低かった株です。

表面だけが傷んでいたという。

幼少の頃からベランダからダイブしたり、葉っぱの形がおかしかったりと超個性的な株に育っています。

この株も植え替え時に鉢を一回り小さくしました。

まぁちゃん。身長:20cm、胴回り25cm。

けいちゃん。身長:20cm、胴回り28cm。

このコンビは身長変わらず、胴回りがそれぞれ2cmアップです。

多分、地中の芋の部分が大きく育っているはずです。

植え替えをどうするのか思案中。

ぶーちゃん(ファンキーシスターズ)身長:12cm、胴回り:20cm。

ふーちゃん(ファンキーシスターズ)身長:11cm、胴回り:13cm。

うーちゃん(ファンキーシスターズ)身長:15cm、胴回り:22cm

この子たちも植え替え検討なんですが、今年はこのままかな。

自然界に自生しているわけでもなく、日本の気候にも合わない種ですので、今年は特に気にかける必要がありそうです。

人の手を借りて育つ植物たち。

都会にある自然を大事にしたいなと思ったりしています。

2018年シリーズもお楽しみに。

 

■ 他のアデニウムの記事は
実生アデニウム・アラビカム(砂漠のバラ)インデックス」へ

 


アデニウムが腐ってしまった時の対処法(その2)

4月12日に、他のアデニウムにも幹腐れが発見されました。

一番太ったお気に入りの株です。見た目は元気そうです。

よく見ると・・・

わかりますか?

ちょっとだけ色が変わっています。

もう一箇所のほうがわかりやすいかも。

ひび割れています。

 

アデニウムのチェックは触れることが大切です。

ブヨブヨとしているんですよね。

 

前回と同じように対処します。

大きな部分から処置していきます。

次の部分も

思った以上に傷は深かったです。

真ん中のほうの根っこが問題だったみたいです。

3つ干しています。

 

約1ヶ月後の4月28日に植えました。

鉢も浅鉢7号から6号と小さいものに代えました。

シワシワになってますね。

どうなるのかドキドキです。

他の株も

こんな感じで植えました。

個性的な株に育ってもらいたいと思っています。

追加レポートもしていきます。

 

他の元気な株も紹介していきます。

 

■ 他のアデニウムの記事は
実生アデニウム・アラビカム(砂漠のバラ)インデックス」へ

 


皇居勤労奉仕に行ってきました。

昨年に引き続き、今年も皇居勤労奉仕に行ってきました。

今年もとても素晴らしい体験をしてきました。

東京都チームロータスの一員として平成30年4月24日〜4月27日まで参加させていただきました。

 

メンタルトレーナー上田正敏です。

貴重な体験を今年もしてきました。

この会に参加できることって、この上なく幸せなことです。

なぜなら、平日の4日間連続で参加できることが条件だから。

自分自身が物心共に平和であり、パートナーや家族が健康であり、健全な関係性が構築されている人が参加できるものです。

心が豊かである人だからこそ奉仕ができるものだと思っています。

 

実際には天皇陛下や皇后陛下から奉仕をされているような気分になります。

これほど学びになる機会はないというくらいにステキな時間でした。

企業研修をするなら皇居の勤労奉仕が一番いいのではないかと思うほどです。

それほど学びが深いものがあります。

実際には企業さんが来ているところを見たことはありませんが。

 

今回の勤労奉仕は、自分とは何か?、社会とは何か?を考えさせられる時間が多かった気がしています。

 

僕が参加した団は総勢33名でした。

33名も人がいると社会を作り出しています。

それぞれの個性が豊かな人たちが多いです。

才能がバラバラな人たちが多いともいえます。

 

草取りをしたり、掃除をしたり、お弁当を配ったり、お茶係があったり、鍵当番がいたり、団長、副団長がいたり、それぞれ役割があります。

それが自然と集団として機能していきます。

ノンビリ奉仕する人からテキパキ奉仕する人まで、多様性にあふれています。

出来る人から出来ない人までいたり、真面目にやっている人から適当にやっている人までいるんだけど、ちゃんと最後にはできているのです。

これが面白い。

誰もが必要な人であり、誰もがいていいのです。

当たり前といえば当たり前なんだけど、人として生まれて来たからには社会に必要とされて生まれて来るのです。

 

その精神的なリーダーとして天皇家があるのだという認識があります。

前回から感じていることで、日本人のDNAなのでしょうか、心の支えになっているのです。

神社で神様に祈るように、生きている神様なのかもしれません。

 

世界一のヒーラーが天皇陛下であると僕は思っています。

いるだけで、人を癒せる力を持っています。

医療関係者はもちろん、人を癒す仕事をしている人の頂点に立っている人だと確信しています。

僕の目指す究極の姿が陛下です。

 

ただいるだけでいい。

 

これは、特別な人だけでなく誰もが、ただいいるだけでいい。

八百万の神の世界と、多様性に富んでいる人間世界は同じです。

本当にそうなんだと確信を持ちました。

 

特別なことをしなくてもいい。

社会に役立つことをしなくてもいい。

がまんしなくていい。

良いことでなくてもいい。

完璧でなくてもいい。

ただ、そこにいるだけでいいのだ。

そんなメッセージをもらった気がしました。

 

あとは気づきのメモを

  • 初日は園遊会前日の赤坂御所のご奉仕。舞台装置を作るお手伝いができたのが感無量。テレビの画角の外にある景色を生で観れたのは良かったです。
  • 皇太子のご会釈では、皇太子の覚悟を感じることができました。選択の力を感じました。
  • 2日目は大雨の東御苑地区を見学。土砂降りの雨が気持ちよく、滝行で浄化されたような気分。
  • 午後は中止で帰るも疲れていて爆睡
  • 3日目は吹上御苑地区。ここは一般の人が入れない分野。幸運なことに昨年に引き続きKに参拝できる。このチームは確実に持っています。
  • 4日目は宮殿地区。見事な庭を見ることができました。午後は窓明館のお掃除。勤労奉仕団の控えの場としても使われるところ。自分たちが使ったところを掃除できるのもいいですね。

 

勤労奉仕ってご縁がある人だけが来れるものだと思っています。

日本人なら誰もが1回は体験することをオススメします。

この経験は何事にも代え難いです。

 

チームロータスの皆さま。ありがとうございました。

貴重な体験と気づきを得ました。

周りの人たちに得たものを与えていきます!

人に優しくなれました!ありがとう!

夫婦で新しいことしていこうっと!

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正直は最大の戦略である

正直は最大の戦略である

山岸俊男(社会心理学者)

この言葉は仕事をする上で、一番大切なことです。

 

起業コンサルタント上田正敏です。

最近、研究していいることは、人気と人徳です。

 

人気とは、第一印象のこと、

第一印象で好感を持ち好きになってもらえることです。

 

人徳とは、関係性を継続させること、

ずっと好感を持ち続けてもらえることです。

 

人気は技術でなんとでもなるところですが、人徳はすぐに身につくものではありません。

人気がある人は人にすぐ信用され、人徳がある人は一生信頼されるということでしょうか。

 

理想は人気があって、人徳があることです。

それには「あり方が大事」といいますが、あり方って何を言っているのかさっぱりわからない。

「Be だよ、Be」と言われても、let it beしか思いつかない僕には難しい。

 

そこで、最初に戻ります。

人徳を磨くためには正直であることです。

 

自分自身に正直であり、周りの人に対しても正直であるということです。

この正直であることって、言うは易し行うは難しです。

 

人によく思われたいと思っていると、周りに嘘をつきます。

あるがままの自分ではなく、こう見てもらいたい自分を演じます。

嘘をついていると人気はでるかもしれませんが、嘘はバレることがあるので人徳は積み上がっていきません。

 

人は自分にさえも嘘を言います。

がまんをしたりしていると自分の本音がわからなくなります。

自分の好きさえもわからなくなることがあります。

自分で自分をだますということさえもあるのです。

 

仕事をするとは社交をするのと同じです。

基本は人間関係です。

他者とつながることで社会が生まれます。

その一番大きな手段が仕事です。

 

仕事をするって信頼なんです。

安心ではありません。

 

安心している相手とだけ仕事をする。

以前の日本の村社会であれば可能でしょう。

 

現代は世界とつながる時代になったので安心を求めるのは難しくなってきます。

まず相手を信頼することがとても大切になります。

 

仕事は信頼で人とつながっていきます。

信頼を裏切ればそれまでになりますし、信頼を積み重ねていけば人徳も生まれます。

 

信頼で人とつながる時に重要なのが正直であることです。

 

社会心理学者の山岸さんによると、武士道は官僚の考え方であり正義かもしれないけれど人徳とは別です。

商人道が信頼を高めていく上で重要になってきます。

 

ドラマを見ていても活躍している人って政府であり官僚なんですよ。

水戸黄門、大岡越前、銭形平次・・・武士って官僚ですからね。

バッドマン、サンダーバード、チャーリーズエンジェル・・・これお金持ちの民間人です。

つまり商売をして成功した人たちです。

 

水戸黄門を見ているとわかるんだけど、悪者は越後屋であり商人であり、それを武士であり権力者である黄門様が成敗するという仕組みなのです。

商人が悪者にされがちなのは、士農工商の名残があるからなんでしょうかね?

ちなみに日本人って信頼するのが苦手な国民性なんですよ。

基本、疑っています。

 

仕事をする上で一番大事なことは、正直であることです。

社会心理学で証明もされちゃったことですしね。

 

正直者であろう。

 

この2冊オススメです。

 

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好きなことをするのか?できることをするのか?

「好きなことを仕事にしよう!」という話をすると聞かれる質問があります。

まず最初に

好きなことをするのか?

できることをするのか?

という問いです。

 

メンタルトレーナー上田正敏です。

僕の答えは、どっちでも良いです。

迷う時点でどっちでもいいのです。

好きな方を選べばいいのです。

 

好きという感覚を研ぎ澄ませていけば、どちらを選ぶという問いはなく、自然と好きな方を選んでいます。

 

好きなことをしてたどり着く道。

できることをしてたどり着く道。

どちらを選んでも同じ可能性が高いです。

自分に正直にいればね。

 

アドバイスを求めてくる人に問うことがあります。

明日食べる米に困っていますか?

どのくらいの期間、余裕がありますか?

 

困っている。という人は、できることをするのをオススメしています。

できることの中に好きなことと嫌いなことが混じっている。

できることをやりながら好きなことの比率が多くなるように改善していく方法が現実的です。

 

大丈夫です。1年以上は余裕があります。と答える人は好きなことをすることをオススメしています。

嫌なことを辞めて、好きなことをする。

人によっては「好きなことだけしなさい。」とアドバイスします。

 

僕のライフチェンジプログラムなどの長期間のセッションでの基本方針となります。

できることから始まるタイプの人は、なぜ好きなことができないかを掘り下げて、障害を取り除いていきます。

さらに好きなことは何かを探っていきます。

そして、好きなことを仕事にできるようにサポートしていきます。

 

好きなことだけするから始まるタイプの人は、自分についている嘘を掘り下げていきます。

やらねばならないことではなく、やりたいことができるようにサポートしていきます。

好きなことを仕事にするためのノウハウを伝えながら、実際に行動を起こしてもらいます。

お金の本質や仕事の本質の話しを対話をしながら伝えていきます。

 

人それぞれ状況が違うので、これは一例でしかないのですが、大きく分けるとこんな感じです。

どのポジションにいるかで答えは変わるのです。

みんなにとって同じ答えはありません。

この多様性が興味深いところです。

 

共通に言うことは、仕事にならないような好きなことをやることは大事だということ。

人には生まれて来た目的があるなら、誰もが好きなことをするために生まれて来たと思っています。

楽しい、嬉しい、感動する、満足する、ツイてる、気持ち良い、ワクワクするというゴキゲンで笑顔あることが重要でないかと。

今日もゴキゲンでいきましょう!

 

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誰もが好きなことを仕事にできる

昨日はナチュラルメディカル高崎院長の福田先生のセッションでした。

その様子をブログに書いてくれました。

ブロク「さいきん肩がすごく楽です!」

 

 

好きなことを仕事にする起業家を支援する上田正敏です。

福田さんと初めて出会ったのは彼が企業の研究所勤務の時でした。

過度のストレスから体調を崩されていた時だと記憶しています。

 

「好きなことだけして生きていきたい!」と思って、ソース・ワークショップに来てくれました。

その後もライフチェンジプログラムを受けてくれたり、共にナチュラルメディカルカレッジで学んだり、その後も毎週起業支援コンサルティングと毎月対面セッションを継続しています。

 

ソース・ワークショップで、好きなことを再発見して、好きなことを仕事にするノウハウを学び、

ライフチェンジ・プログラムで、過去の自分を向き合い、徹底的気に癒し、

ナチュラルメディカルカレッジという心身を健康にするための技術を学ぶことを選択し、

起業支援コンサルティングで仕事を軌道に載せるために学びを深めています。

 

起業する時って、営業職の人が成功しやすく、技術職の人は失敗しやすいと言われる場合があります。

さらに研究職の人が起業するのは無謀と言われたりしています。

 

えぇ、僕は、研究職から起業して、今まで生き延びています。

周りの人たちや社会は色々と言ってくれているけれど、自分の声に従うことができるのはセラピーのお陰です。

それは自分の声なのか他人の声なのかハッキリさせるだけで大き差が生まれます。

他人の期待を生きる人生から、自分を生きる人生にシフトすることは重要なのです。

 

僕自身も起業していく過程で様々なことを学んでいます。

貯金ゼロで起業をしたので、有料のサービスを頼むことはできませんでした。

だから自分で何でもやってきたのです。

お金に余裕ができればセミナーに行ったりしてさらに学びを深めて来ました。

学んだことを試して、自分のものにしてきました。

僕は、新しいことは自分自身でやって体験したいのです。

 

幸運だったのはうちの奥様もセラピストなので、メンタルのケアをずっとしてもらっていました。

メンタルのケアって病気を治すということではなく、新しいことにチャレンジする時の勇気を手に入れることだったり、自分の軸がブレていないかチェックして自分軸に戻ることなのです。

 

好きなことで起業する時に大切なことが3つあります。

ひとつは、自分の好きなことを追求すること。

好きだからやってしまうという感覚を大切にすることです。

仕事なのか趣味なのかわからないくらいに楽しむことが重要です。

 

ふたつめは、ビジネスのことを学ぶことです。

ビジネスを考える時に大切になるお金も学ぶことが大切になります。

ノウハウも大事ですが、もっと大切なのはその本質的な部分です。

ノウハウに関する情報は本でもネットでもあふれています。

それを実行するのは自分自身です。

知っているとやっている差は大きいのです。

 

みっつめは、市場で自分を試すことです。

実際に自分の好きなことを求めている人を探すのです。

仕事って誰かの他人の必要や欲求を満たすことです。

 

「こんなもの欲しい人いないかな?」と実際に世の中に表現することが大切です。

欲しいという人がいれば与えるのです。

 

誰も欲しくないという時もあります。

そんな時には、何かが違うので考えて、また試すのです。

 

自分の好きなことを市場で試すことはとても重要なことです。

これは仕事を作る筋トレみたいなもの。

小さく試して、たくさん失敗することが大切です。

キズは浅ければ立ち直りも早いからね。

試すことで、はじめて知識が知恵に変わり、成功したり失敗したりすることで経験が積まれていきます。

これなしに成功している人っていないのですよ。

 

一番、起業に向いていないと言われたいた研究職だった人間でも起業はできます。

当たり前のことをコツコツとやれば誰でもできます。

その時にコアな部分に自分の好きがあることが大切なことなんだと思っています。

あとはちょっとの勇気です。

そうすれば幸運が訪れますよ!

 

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個人セッションの感想をいただきました。

心理セラピスト上田正敏です。

感想をいただけるのは、とても嬉しいです。

心の深いところまで感じることができる感性を持った方です。

食による予防医療を提唱していてナチュラル中庸ごはんというサイトを運営している歯医師さんです。

これからのご活躍が楽しみです。

ご感想はコチラです
http://hiroshima-iimono.seesaa.net/article/458858012.html

東京にカウンセリングを受けに行ったら因果がとれた話

こんばんは、ゆきじです。
昨年12月~2月まで、月に1回東京に個人セッションと呼ばれるカウンセリングのようなものを受けに行ってました。これがけっこうヤバかったので、何がヤバいのかを書いていこうと思います。ちなみにこの記事による利益相反はありませんし宗教的なものとも一切関係ありません。あやしいので信じても信じなくても良いです。でも全部事実です。上にも書きましたが、セッションはカウンセリングのようなものです。感情に不調の原因がある場合、それを取り除いてくれます。心理的なロックを外して、前に進みやすいようにしてくれると言いかえることもできます。
わたしは特にこの時心理的なロックはなく、困っていることもなかったのですけれど、セッション自体に興味があったので行きたいな~行きたいな~とボヤいていたら、ひょんなことから行く機会が降ってきました。たいへんありがたいことです。
そういうわけで、さっそく予約を取り、航空券もとり、始発の広島空港行きのバスにドナドナされ3回ほど日帰り東京したわけです。「なんにも悩みないんです」
「じゃあ、未来を創るというテーマでやりましょう」先生は優しかったのです。悩みのない元気な患者に対して「なんで来たの?」とは言わずに、明るいテーマをつくってくれました。

一回目、二回目では「過去の因果」を取ってもらいました。こう書くしかないっていうか、因果って何って言われたら「知らず知らずのうちにわたしを生きにくくしていたもの」なんですけど、それは両親から受け継ぎ、きっと両親はその両親から受け継ぎ…という形で、先祖代々繋がってきていたであろうものでした。呪いとかじゃないですよ。いや最初は呪いだったのかもしれないけど。因果です。因果。
この因果はわたしでないと発生し得ない因果で、そしてわたしでないと解消できない因果でした。わたしで因果が解消できたであろうことには意味があって、その意味は今後より明確になっていくんじゃないかと思うのですが、ついでに母の因果も若干解消したようです。DNAの二重螺旋と同じで、繋がっていたものがどこかで途切れたら、その上も下も自然にほどけていくように、繋がってきた因果はほろほろとほどけていきました。どのくらいほどけたのかはわからないし、多分父のほうの因果も少しほどけているんでしょうけれど、この辺は実感としてはありません。これから実感していくのかもしれないし、実感しないままなのかもしれない。けれど、因果が取れたということだけは確かです。

セッションには「一瞬で人生変わりました!」みたいな即効性はないらしくて、それは体感として本当だと思うのですが、マジで因果が取れたなあ~って思うようになったのは最近です。突然わけのわからないことを質問するのですが、「ここで終わらせなければ」って思ったことありますか?何に対してそう思っていたのかわからないんですけど、わたしは中学生くらいのころからずっとそう確信していました。科学的な理由や遺伝的な理由があったわけではないのですが、漠然かつ盲信的に血を終わらせなければと思っていて、だから子供が絶対に欲しくなかった。でも因果が取れてからはそれを思うことが少なくなりました。因果って、気づいたらそれを受け継ぐか受け継がないか選べるそうです。わたしはもう受け継がないことを選べるから、子供欲しいなとは思わないけれど、もし神様が授けるのであれば産んじゃおっかなっていう感じになっています。

別にね、セッションの中で「あ~これが因果ですね。じゃあ取りましょう」っていって祈祷してもらったわけではないんですよ。因果が取れたことは結果であり、セッションの中では自分のトラウマをネガティブなイメージからポジティブなイメージに置き換えただけです。これは精神科とか心療内科とかでも(方法は違うと思いますが)やってることです。
トラウマは学級崩壊のことだったり、数学が出来なくて自殺しようと思ってたことだったんですけれど、そのトラウマを取ったら因果が取れたんです。この二つの相関関係はわかりません。先生もわたしも因果が取れると思ってセッションをやったわけじゃなく、結果的に勝手に因果が取れたんですよね。でもこういうものらしいです。セッションはどこに影響が出るかはわからないけれど、どこかに、(そしていずれすべてに、)影響があるものだそうです。

事前情報により過去に受けた傷、いわゆるトラウマを取り扱うと聞いていたので、何が出てくるか楽しみでした。だってトラウマって言われても「思いつくことないけど…」という感じだったのです。でも実際に行ってみて、過去の出来事がふたつ出てきて、これは別にトラウマだと思っていなかったし日常生活において思い出すことすらなかったことなんですけど、「乗り越えたと自分が思っている状態」って実は「傷自体は癒えていないけど無視してる状態、あるいは時間が経ちすぎて傷に慣れてしまっている状態」なのかもしれないなと思いました。傷だって思っていないものが癒されるって不思議な感覚ですが、これも広義の「予防医療」ですね。気づかないうちにゆっくりと真綿で首を絞められて窒息してしまうまえに、真綿をほどいていく作業に似ています。

3回目になるころにはすっかり元気になっていました。もともと元気だったんですけれど。3回目では因果から離れて、「受け取り上手になる」ためのセッションをしてもらいました。これに対する理解はまだ浅いのですが、セッションから一か月後くらいに「あ、欲しいものを欲しいと言って良いんだな」ということがストンと腑に落ちた瞬間がありました。欲しいということに対して罪悪感を持っていた自分が居て、「欲しいけど欲しいって言っちゃいけないな」と思い込んでいた部分があることに気づきました。欲しいってどう言えばいいのか、誰に言えばいいのか、いままで言ってこなかったのでまだよくわかっていないのですけれど、でももっと受け取っていっても、受け取れることを信じてもいいんじゃないかと思い始めました。ここから「受け取り力」が開花していくのか?自分を観察していきたいと思っています。

先にも書いたのですが、セッションって即効性があるわけではないし、時間も1回1時間半程度なので、セッションだけで変わった感じじゃないんですよね。セッションを受けた後の先輩や友達との会話だったり、読んだ本だったり、見た映画だったりに「いまの自分に必要なこと」や「セッションの理解を深めるもの」が散りばめられていて、視界と認知がぐぐーーっと押し広げられた感じです。日々自分に必要なことや理解を深めるものってそこらじゅうに落ちてると思うんですけれど、なかなか気づけない。でもセッションを受けたあとは、「あっここまで拾えるようになったんだ」と言う感じでした。アンテナが高くなっているというか、もともとアンテナが高すぎてへし折ってきた部分もあるんですけれど、賛美すべきは攻撃性でなく美しさだったっていうか、難しくしないように歩き出せるというか。すみません後半は趣味で書きました。でもそういうことです。

一言でまとめてみると、すべては繋がっていて何一つ関係ないものなんてない、一つにアクセスできれば他のどこへでも行ける、変わっていくということが今回のセッションで得た本質的な理解です。これは希望でもあり絶望でもあるなあと思います。セッションを受けたあと完全に調子が良かったかと言われたらそうでもなく、この絶望の側面にも触れてしまい、仕事において自分ではどうすればいいのかわからない症例にあたることが怖く介入を悩む日々が続き、1か月くらい食生活が乱れたり下顎前歯が傾いたりするくらいには落ち込んだりもしましたが、なんやかんや筋トレやら音楽やら誰かから返ってくる優しさに救われ今は回復して落ち着いています。できないんじゃないかって不安になる時って、わからないからなんですよね。わかったらわかった分だけわからないことも増えていくんですけど、できることをできるだけやっていけばどうにかなることも多いのかなと思います。過小評価もしなければ過大評価もせずに言いますと、おかげさまで、教えてもらったからこそできることだってたくさんあるなと思うのです。

この螺旋の中で、世界に返していくことが必然であるような気がしているし、必ず善くあるように変わっていけたらいいなと思います。終わらせることではじまる、殺すことで産まれる、真綿で絞めてゆくことももしかしたら産まれるための(かなりドMな)手段なのかもしれないけれど、セッションは真綿で自分の首を絞めていた自分を泣きながらよく頑張ったねって赦すと言うよりは、首を絞めてる自分に向かって「そんなことよりもっと楽しいことせん?」って肩を叩く感じです。陶酔しないっていうか。因果が取れるって字面完全にあやしいんですけれど、この点ではとても健全なセッションだったように思います。

せっかくなので最後に語らせていただくんですけれど、わたしの夢は綺麗な海の見える場所に歯医者兼中庸カフェをつくって、そこで歯より上の概念も含めた健康についての発信をしていくことです。ユニット(歯医者に行ったときに寝かせられる椅子)の前、海なの。絶対座りたいな~。わたしは治療する側なのでユニットには座れないのですが、印象硬化待ちの間に海を見てほっと一息ついちゃうと思う。「院長は海で今晩のおかずを取ってるので、ご用の方は裏へお越しください」みたいな張り紙もたまにしちゃいます。綺麗な海の近くの物件とカフェのほうやってくださる方募集中です。

http://hiroshima-iimono.seesaa.net/article/458858012.html

 

ご感想、ありがとうございます。

自然と彼女の夢を応援したくなります。

そしてそれは夢ではなく予定なのかもしれません。

 

歯って食べるためにある道具です。

食から歯を見てくれる歯科医って貴重な存在です。

健康であり続けられることが重要ですよね。

 

僕は応援しています!

 

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医学と医療

医学と医療は違うという話を聞いて調べてみました。

この単語は僕にとっては同じもので違いを考えたことなかったです。

何が違うのでしょうか?

 

メンタルトレーナー上田正敏です。

僕が耳にした話では、

医学=科学

医療≠科学

科学とは測定可能であり観察できる根拠をベースにして考えるのが原理原則だそうだ。

ということ。

 

僕自身は「医学=科学」と定義していません。

科学とは、何時でも誰でも何処ででも同じ結果がでるのが科学と定義しているからです。

物理化学を専攻していたので、科学とはこうだと思っているのです。

生物学に関しては、複雑な要素が多すぎて科学的に説明するのは困難であると考えています。

医学は人間の命に関することを研究している学問であり、人を治すためにあるものだと認識しています。

 

疑問に思ったら調べることが大事です。

僕は、まず辞書を引きます。。

医学(medicine、medical science)
生体の機構を調べ、生体の保健や疾病・傷害の診断・治療・予防などについての方法を研究する学問。大きく基礎医学・臨床医学・社会医学に分かれる。

医療(medical treatment [care])
医術で病気を治すこと。

医術(the medical art; medicine)
病気や傷を治療する技術。

科学(science)
一定の目的・方法のもとに種々の事象を研究する認識活動。また、その成果としての体系的知識。研究対象または研究方法のうえで、自然科学・社会科学・人文科学などに分類される。一般に、哲学・宗教・芸術などと区別して用いられ、広義には学・学問と同じ意味に、狭義では自然科学だけをさすことがある。

調べたらよくわからなくなりました。

 

人によって言葉はどのように定義するかで変わってきます。

言葉の定義をしてから議論しないとズレていく可能性が高い分野です。

 

医学とは学問である。

仮説検証をして学問的に体系化されていることに使われています。

エビデンス(医学的根拠)があるとは、仮説検証されたものであるということですね。

ただ、学問というものは、学説が沢山あって、多くの専門家が支持されているものが正しいとされています。

つまり、AはBという学説もあれば、AはCだという学説もあることです。

学会などで議論されたりすることで、常識的にどの学説が正しいかは変わることがあります。

理由を証明しているのが医学と言ってもいいかもしれません。

 

では医療とは何か?

辞書を引いてわかったのはアートである要素があるということ。

科学のように誰でも同じというのではなく、芸術のように誰もが違うという要素が含まれるこということ。

科学的に証明されていないかもしれないけれど、病気や治療する技術を使うということ。

 

辞書で定義が曖昧ならgoogle先生に頼ってみます。

医療と医学の違い
医学は科学である。しかし、医療は科学ではない。ただ、客観的に集積された証拠に基づく医療(EBM)は、限りなく科学に近づくことができる。それでも病状把握の正確性、過去に報告された論文の評価、個体間較差を考慮すると到底、科学にはなり得ない。一+一=二にはならないのが医療である。
http://www.med.or.jp/nichinews/n110805i.html

医療と医学の本質的な違い
医療を科学として扱おうとする前提をつくったのは誤りです。医学はテクノロジーですから、そのほとんどは科学の領域です。しかしそれは医療を支えるひとつの手段にすぎません。医療は生きることそのものを扱うのですから、そのほとんどは科学ではないのです。
カバーする範囲となれば、医学に比べて医療のほうが、ずっと広大なのです。それなのに少なくても日本の医療の中では、医学がすべてであるかのような錯覚がまかり通っています。医療のほとんどが医学で占められてしまったのです。
現代の便利で快適な物質的生活。それは科学の恩恵として素直に感謝するとして、人間らしくのびのびと生きることのほとんどは、科学とは関係のないことです。しかしそれが病気というステージに入った途端に、科学、科学と言われて右も左も壁で仕切られ、文字通り八方塞がりで、窮屈そのものです。
http://vitalmore.co.jp/integrated-care.html

 

次に紹介するのが一番納得した説明かなと。

II.医学とは?

皆さんは、学問としての医学(Medical Science、看護学・福祉学を含む)を学んだ後で、医療者として医療に携わることになります。その意味では、「医」の中心は確かに医学(看護学・福祉学を含む)です。

しかし、医学が他の自然科学と基本的に異なる点は、「人間を対象とする学問」であるという点です。

人間は精神を持ち、その精神が肉体と密接に関係しているために、自然科学のように物質を対象とした学問より複雑にならざるを得ないのです。したがって「医」とは、病める人(病者、患者)、つまり精神を持った人間を癒すことに関連する領域の全てを包含することになります。しかも病気の予防や健康一般に関する問題までも取り組む幅広い範囲を意味する言葉です。

治と治癒の違いは何か?(治すだけではなく、治して癒すのが治癒です)

医学も同様に病める人を癒すことができるようになるために学ぶべき学問ということになる。
www.hoku-iryo-u.ac.jp/~mkobaya/kobayashi/…to…/医学原論講義ノート1.doc

ここにあった図が良かったので作成しなおして提示します。

この図はわかりやすいですね。

僕の中では腑に落ちました。

医者と代替医療者の区別は社会学的なものだと考えるとわかりやすいかもしれません。

 

すみません。今回は全く結論がでません。

医学と医療の違い。

医者と医者でない人の違い。

科学と商売の違い。

切っても切れない大きなテーマでした。

ちょっと考え続けます。