今の学校って居場所なのか?

小学校・中学校は、義務教育だから行かねばなるぬと思っていた。高校はその延長で行かねばならないと思っていた。大学に入ってから「アレ?なんか違うぞ!」と思ったことを覚えている。

高校の時に駿台予備校に通っていた。そこは200人くらい入る教室に行き、先生がやってきて授業して帰る。とてもシンプルな構造だった。

大学も同じで、150人の教室に先生がやってきて授業して帰る。ホームルームや担任なんかはいない。自分たちで管理をして学生生活を送る必要があるのが新鮮だった。

居場所といえば、サークルと一人暮らしをしている友達の家。所属しているサークルは学校公認サークルだったので部室があった。古くて汚ないながらも自分たちで管理する場所は、授業がない時だったり、昼休みや放課後の溜まり場だった。今思うとサードプレイス的な居場所だったのだ。

大学に入って初めて、与えられるだけがすべてではないということを知った。学びたいことを学び、卒業したいなら必要な単位をとる方法を試行錯誤し、出さねばならぬ実験レポートに毎週大変な思いをしながらもやっていた。それでも、遊んでいたのだ。遊びは自分で選ぶ自分へのご褒美みたいなもの。自発的にやっていた。遊ぶためにバイトもした。もちろん生きるためにバイトをしている人もいたりした。状況によって人それぞれだった。

今、ご縁があって専門学校に関わっている。担任がいたり、部室はなく、至れり尽くせりな環境が整っている。先生たちも生徒に対して情熱を持って取り組んでいる。頭が下がる思いだ。学生の時には気づけなかったのか、今の時代だからなのかはわからないんだけど、よく考えられている。ただ、思うのはトップダウン方式だということだ。義務教育もそうですね。文科省が決めたことが現場に降りてくる。そのお陰で全国同じ教育を受けられる。基本的な話が通じるのはこの教育があったからだ。

最近よく聞く言葉である多様性とは反対のやり方なのである。きっとボトムアップな考え方で学校運営をしたならば多様な教育が生まれてくるだろう。実際にフリースクール系で斬新な教育が行われているところも増えている。例えばデモクラティックスクールなんか斬新な考え方だ。生徒が学校を運営しているのだ。構造的に社会に近いものがあるのだ。

今の学校に求められているのは居場所なのかもしれない。「何を学ぶか」が学校だと思っていた。だから社会人になってからも面白そうなことは学びに行く。学ぶ場として機能していれば良いと考えていた。現代の学校は居場所になっている。社会に出るまでの準備期間の学校だったのが、社会にでるまでの居場所になっているのではないかと思っている。

その間に何を準備するのかで未来が変わっていく。体験する質が変わるのかもしれない。これは選択の余地があるのだけれど体験することは明らかに違ってくるだろう。地域格差とか文化格差とか言われているけれど差はでてくるものなのだ。

この差を楽しめたら良いなと思ったのでした。

大学生の時の助手の先生からいただいた言葉「よく学び、よく遊べ」。今でも心にしっかりと残っています。感謝しかないですね。

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