本当に教育って必要なのか?

学ぶとは何か?
教えるとは何か?

そんなことを起業してから考えています。勉強が嫌いな社会人が8割くらいいるという調査を読んだこともあります。学ぶことが嫌いになる教育が問題だと思っています。

義務教育は中学校までで、高校とかも学びたくて通っているのか疑問に思うこともあります。あの10代の好奇心に満ちた時代を嫌なことに時間を費やす必要はあるのでしょうか。自分が興味ある分野を学ぶことが大事だと思っています。また、学ぶ方法も本を読んだり、教室に座って話を聞いたりする以外の学び方をしても良いのではないかと思っています。

大学も僕は研究機関だと思っているので、みんながみんな通うところではないと思っています。大企業に就職するには学歴は必要かもしれませんが、実際に肩書きではないと思っている部分も多いです。

これは僕が恵まれているからそう思うのかもしれません。実際に学歴コンプレックというものがあり、世間の偏見もあったりするので、精神面で学歴があったほうが得なことも多そうです。

僕も「ストレスがなければ勉強は簡単」というコンセプトで、個人セッションで苦手意識を取り除くことをしたり、セラピーの手法を教えたり、好きなことを発見分析するワークショップを提供してきています。

その場で感じるのは、勉強にトラウマを持っている人が多いということ。そして学び方はその人に合った方法が必ずあるという確信です。

学び合う友人のお子さんが、高校を中退して、欧州にバレエ留学しました。日本では中卒という学歴ですね。バレエ留学先でですね、なんと大学院卒までの資格を得たそうです。バレエという専門性を学ぶことでです。自分が興味ある分野を突き詰めてることが学びの本質だと僕は思っています。

偏差値教育に相性が良かった人たちが作るシステムは、自分たちを成功例にする仕組みしか作れないでしょう。無意識に自分達に優位な教育システムを構築しているのではないかと思っています。小学校から受験があれば、人間関係は偏差値による縦割り教育になっていくでしょう。僕自身は、偏差値が高い人たちは高い人たちで役割があると思っているので、そこで活躍していく人になってもらえば良いと思っています。

偏差値以外の評価軸が必要だと僕は思っているのです。科目でいえば、体育が得意だとか、音楽が得意だとか、主要語科目以外の分野に特化した学校があっても良いと思っています。

そして、学校で教えていないことに特性がある人もいるでしょう。そんな人が学ぶ場があっても良いのではないかと思っています。専門性を学ぶ上で、主要語科目が必要になった時に学べば良いと思っています。

自分がライフワークとして追求していきたい学びがでれば良いんじゃないかと思うのです。それには、自分が好きだとか、得意だとか、周りに喜ばれるとか、そんな軸があったら良いなと思ったりしています。

子供のうちに学ぶことは楽しいということがわかり、大人になってもどんな形であれ学び続ける人になってもらいたいなと思ったりしています。

それが自分自身を作っていくことになるのだと思っています。

教育が必要なんだけど、その方法は違うかもしれないというのが僕の答えです。

■フリースタイル・コンテンツ紹介

■個人セッション
潜在意識を探り、過去を癒し、今の行動を変え、理想の未来を手にいれます
https://www.yoriyoku.com/

■ソースワークショップ
自分が持つ「好き」を見つけて、それを仕事、伴侶、趣味に応用し、自分らしくなるためのワークショップ。
https://www.asobilife.com

■ハンモックフルネス
日々ゴキゲンでいるために自然の中で心身を整えます。ハンモック&マインドフルネス。
https://www.hammockfullness.com


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