やりたかったけれど、できなかったこと(その2)

前回のブログの続きです。

やりたかったけれど、できなかったことで大切なことは何でしょうか?

 

それは、 なぜやりたかったのか?

 

やりたい理由があるのです。

人は感じるために行動すると言っても過言ではないくらい、感じることがとても大切。

さらには、心が動いて感動するくらいに強烈な感情を感じたいと思っています。

 

動物を見ていると、生きるために必要なこと以外は無駄なことはいっさいしない。

暇があるなら寝ています。

ところが、人間は遊んだり、無駄なことをいっぱいします(笑)

仕事も食べるためというよりも感動したくて仕事をしている人もたくさんいます。

 

感謝も感動から生まれています。

感情を動かしてくれて有り難いから感謝するのです。

人に感謝したり、自然に感謝したりしてますよね。

やりたかったことというのは、心を動かしたいからなのです。

 

どのように心を動かしたいかのでしょうか?

 

それが、なぜ、やりたかったのかということにつながるのです。

僕がワークショップでネタにしていたことがあるのです。

僕のやりたかったけれど、できなかったこと。

それは、大学時代に同棲というものがしたかったのです(笑)

学生時代は、どちらかというと男女関係には疎い人でした。

興味はあるけれど、恥ずかしいのです。

男性としての自信もなかったし。

だって、小学校の頃は、足が速い男子か、頭の良い男子しかモテなかったからね。

高校は別学で教室には男ばっかりだったり、大学は理系だったので女子はほぼいない。

ものすごく憧れてたんです。

周りの友人達も同棲をしている人はいませんでした。

でも、男女が一緒に暮らすって普通のこと。

結婚して共に暮らしてって、うちの両親もそうでした。

ところが、男女が共に暮らしをするって、自分にとっては未知の世界だったのです。

それはいったいなんなんだ? わからないことだらけです。

僕は未知のことに興味を持ちます。

知らないを知ることにワクワクするのです。

そう感情が動かされて感動するのですね。

もし、学生時代に同棲していたら、きっと幸せだったり心が穏やかだったのだろうなぁ・・・

そんな話をネタにしていました。

これも、ある時にこの話をしていて気づいたのです。

うちの奥さんとは、結婚する前に一緒に住んでいました。

今、考えるとそれは同棲ごっこみたいなものです。

確かに幸せだったり心穏やかな毎日でした。

ロマンスを味わっていたのですね。

ちょっとでも長く時間を共に過したかったのです。

やりたかったけど、できなかったことは、いつかやることになるのです。

それを痛感しました。

友人も役者になりたいという夢をあきらめて違う道を歩んだ。でも、やっぱりそれを忘れられなくてまた役者の道を選んでいる人がいます。仕事をしながら役者もしています。

 

今はできないかもしれない。

それは今できないだけなのかもしれません。

いつか、どこかで、できる可能性があるのです。

それは、時代の問題かもしれないし、場所の問題かもしれないし、自分の実力の問題かもしれません。

どれかをクリアすれば解決する可能性が大きいです。

 

もし、今、やる気が起きないと感じているなら、昔やりたかったことをやってみるのもいいかもしれません。

自分の中に眠っていたワクワクした気持ちが甦るかもしれませんよ!

自分の内側にあるワクワクを見つることが、自分を知ることための近道です。それを見つけるためのワークショップです。
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やりたかったけれど、できなかったこと(その1)

今までの人生で「やりたい!」と思っていたのに、様々な理由でできなかったことはあるだろうか?

そして「できなかった」ことを忘れることはできただろうか?

 

なぜ、「やりたい!」と人は思うのでしょうね。不思議です。

しかも、この「やりたい!」という気持ちは、人によって何をしたいのかが違うのです。

これを個性と呼ぶのでしょう。

 

本当にやりたいと思っていたことは、本人がやる必要があることだからやりたいと思うのでしょう。

 

時にはそれができないこともあります。

あきらめる事情があったり、誰か他の人の助言に従ったり・・・

それは、自分に準備ができていない時だったということです。

脳神経学にいうと人は選択するのに1秒もあれば十分だと言われています。

この選択は、意識的に選ぶというよりも、直感的に選んでしまうに感覚。

選べない時は準備ができていないこともあるのです。

 

あぁ、できなかった・・・

 

そんな想いで人生が終わるのでしょうか?

いいえ。いつでも選びなおすことができます。

 

形は変わるかもしれないけれど、選ぶチャンスは必ずやってきます。

「それは何時か?」と聞かれたら、「何時でも」と答えます。

その考えが頭に浮かんだ時にはそう思うのです。

 

僕にもやりたかったけれど、できなかったことがはあります。

ずっと子供の頃から昆虫や動物が好きでした。

なぜか興味を持っていたのです。

高校1年生の時に進路の適性検査を受けました。その時の判定で「医師・薬剤師」という判定がでました。

「うわぁ・・・そんなにお金がかかるコースは無理だわ。」

と思ったのです。そして1年後に同じようなテストを受けた時の判定は「理学・工学系」の判定がでていました。

「生き物」から「人が作ったもの」に興味を変えたのです。

 

そして、大学は理工学部電子工学科に入ったのです。

これが面白いもので大学4年生で選択した研究室が「生き物の特徴を工学的に応用する」研究をしていたのでした。

脳神経学の工学的応用の研究をそれから3年ほどしたのです。

人間の神経も電気信号だし、電子の情報伝達もコンピューターも電気信号で動いているし、インターネットも電気信号で動いています。

まぁ似たようなものなので。

 

就職はまた電気関係の会社の研究開発部門に就職したのだけれど、営業と開発が手を組んだプロジェクトに入ったり、組合の仕事をさせられたりもして、人間に関わる方向に勝手に進んでいました。

でも、それもなんか嫌だったと思っていたのです。

今だからわかるんだけど、高校生の時に否定したからね。

嫌いなものは嫌いと決めたら、それを意地でも守っている自分がいるんです。

だって好きなものを嫌いと決めて、それを守り続けないと自分が自分でいられなくなると思っていたから。

 

さらに、友人から紹介で心理セラピーの道を知り、それで独立起業までしたのです。

それから12年経った今気づいたのです。

「あぁ、やっぱり高校生の時に思っちゃったことを形を変えて実現してるんだわ。」

それに気づきました。

このルーツに気づいた時にびっくりしたんです。

ずっとそんなことを望んでいたのに、それをあきらめていたのだとね。

今できなかったとしても、いつかはやることができるようになるのです。それを選べばね。

 

自分が何が好きだったのかを棚卸しするのにオススメなワークショップを開催しています。

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生かされているという感覚

けいちゃんとはぎちゃんとゆうかさんとはぎちゃんこと萩原先生と優香さんこと長田先生とご一緒にたまプラーザの子ぐまでお好み焼きを食べながら話題がいろいろと飛びながら人間という存在に対しての深い話を堪能しました。

お医者さんと心理セラピストという関係性なのです。はぎちゃんは、スリーインワンを習いに来ていただいた関係であり、優香さんはブログセミナーを受講してくれた関係性です。

「師弟関係なんですね。」と言われて「はっ」としました。

師弟とは、どちらも師であり、どちらも弟子なんですね。学び学ばれあう関係性なんだな。お互いが成長しあうためにいてくれる存在なんだなと感動したりしました。

不思議とネットを通じてゆるくつながっているのです。

いつも新しいことを学んだり、現場での体験から学んだりしている姿に共感を覚えます。

お二人とも、自分の好きなことを追求し、それを仕事として周りの人たちに分かち合っています。

お互いがお互いの役割がある。

そんな感じがしてならないのです。

この役割は人に押し付けられたりしたものではありません。

自分で役割を選んで演じているのです。

 

でもね、自分で選んでいるという感覚さえ超えているのではないか。

何か大いなる存在がいて、生かされている、演じさせてくれている舞台を用意されているんじゃないかという感覚がどうもあるようなのです。

 

なので、とても謙虚なのですよ。

「俺が俺が・・・」みたいな押しがないのです。

ただそこにふわっといるみたいな自然体なのです。

前日にスターウォーズのエピソード4をみたせいか、オビ=ワン・ケノービというメンターにしか見せません(笑)

ビジョンや使命は持っている。それが自然の法則かのように当たり前なんだと。

その在り方を見ているだけで勇気をもらえたりするのです。

 

生かされている。

 

そんな感覚を持てた時。人は力を発揮できるのではないか。

そんなことを思った夜でした。


自分と相手の中に答えがある!

答えはいつも自分と相手の間にあります。

特に関係性にまつわることはすべてそうです。

 

個人のことは自分の中に答えがあります。

どのような関係性を持ちたいのかについても自分の中に答えがあります。

 

ところが人が関わった場合・・・

相手には相手の答えが相手の中にあるのです。

自分の答えと相手の答えが一致している時には問題は起こりません。

ところが、自分の答えと相手の答えが違う場合に問題は起こります。

同じだと思っていても、実は違ったということも多々あります。

 

例えば、「私は花が好き」「私も」といった会話があった時に、「2人とも同じだね。」ということもできます。

でもね、「じゃぁ、どんな花が好き?」と聞いてみると「バラ」「ひまわり」「チューリップ」「桜」「ユリ」と様々な答えが返ってきます。

花という言葉を聞いただけでイメージが湧いて来る物がみんな違います。

人によってイメージの中では「野生の花」だったり「花壇」だったり「花束」だったりするかもしれません。

 

こういった認知の違いが問題を引き起こすことがあるのです。

同じ言葉を使っていても人によっては意味が違うのです。

文脈が違うとかコンテキストが違うという言い方をしたりします。

 

自分の中の答えと相手の中にある答え。

このふたつをすり合せることが大切です。

まずは相手の理解です。

 

この時に、「私が正しい。相手が間違っている。」と勝ち負けの問題にしてはいけないのです。

お互いの答えがぶつかって変化していく必要があるのです。

つまり第3の道が必ずあるのです。

 

この考え方は好きなことを仕事にするためにも役立ちます。

「自分がやりたいこと」と「相手が望んでいること」の2つがつながった時に仕事になる可能性があります。

それがお金を払ってでもつながりたいと思うことが仕事になるのです。

 

答えは自分の中にあるだけではなく、関係性の中にあります。

その答えを探していくことが社会とつながるということなのではないかと思っています。

人間は一人で生きられる存在ではなく、他者がいることで生きることができる存在だから。


生まれてきた目的って何だ?

人は生まれてきた目的があるという。

本当だろうか?

僕は意味がないと思っている。

けれども、生まれてきた意味を与えることは大切なことだと思っている。

 

生まれてきた意味があるとすれば、他者を喜ばすために生まれてきたとも言える。

あれほど赤ちゃんが誕生して周りの人たちに喜びを与えてくれる存在はいないからだ。

不思議と笑いかけたくなるのだ。

誰もが赤ちゃんだったことを考えれば、人を喜ばす存在であるといえる。

赤ちゃんって何者になろうとか、何かしてやろうとは全く思っていない。

 

生まれてきた意味は、自分で気づいていくことが大切。

「自分のワクワクすることをしたい!」という個人的な欲求と「他人のために役立ちたい!」という2つの欲求を持っている。

どちらかだけでは心から満足することはできない。

自分のワクワクすることだけをしていると、知らず知らずのうちに孤独になっていることもある。

他人のために役立つことだけをしていると、知らず知らずのうちに心も体も疲弊していくこともある。

両方バランスがとれていることが大切だ。

 

僕はある時、ビジョンクエストという生まれてきた意味を知るためにネイティブアメリカンの儀式的なことをしたことがある。

本質的に何をしているかといえば、自分を深く深く見つめるということである。

その時にわかったことは、僕の生まれてきた意味は・・・

「人生を楽しむこと!」

ということ。

それが直感的にわかった時に、がっかりしました(笑)

「えっ!もっと崇高なことじゃないの?こんなんでいいの?」

という戸惑いです。

しばらくそのことについて考えていると「人生を楽しむことを伝えること」なんだということがわかり腑に落ちました。

自分が楽しんでいる姿を他者に見せることで、その他者が人生を楽しむことを許すことができる。

「踊るアホウを見ているアホウが踊りだす」そんな循環が起きるイメージです。

ついつい人は頑張りすぎてしまったり、余裕がなくなってしまったり、思い詰めたりもすることがあるのです。

そんな時に楽しんでいる人を見て、「あぁ楽しむことを忘れていたな。」と気づいて、「何か楽しいことをやってみよう。」と思ってもらえる存在であることが大切だと気づいた。

 

人それぞれ、生まれてきた意味は違います。

自分にとって生まれてきた意味をプレゼントすることは大切です。

その答えは、自分の中にあります。そして、他者との関係の中で育ちます。さらに社会に影響を与えていくことになるのです。

もしかしたらちっぽけなものかもしれません。壮大なものかもしれません。

自分の中にある答えを見つけられたら・・・

前を向いて進んでいくだけですね。とてもシンプルになります。

あなたの生まれてきた意味は何ですか?

良かったら教えて下さいね。

もし、わからないという方は個人セッションやワークショップにご参加下さいね!


影響力に対して自覚していますか?

大人になると「自分には影響力はない」と信じている人は多いです。

それは信じているだけで影響力を回りに与えています。

人は生まれながらに影響力というものを持っています。

生まれた時のことを想像してください。

どれだけの人に祝福されていたでしょうか?

お父さん、お母さん、おじぃちゃん、おばぁちゃん、親戚の人たち、近所の人たち、出会う人たちに手を振ってもらったり、遊んでもらったり。

赤ちゃんは、周りの人たちに笑顔をプレゼントしています。

赤ちゃんはどんな人も受け入れる力を持っているので、誰もが笑顔で話しかけてくれるのです。

もし拒否されたらどうしようという痛みを感じないので、気軽に接してくれるのです。

 

死んだ時のことを想像して下さい。

どれだけの人が涙をしているでしょうか。

自分を肴に笑ったり泣いたり懐かしがったりしているでしょうか。

 

人が集まっているところではどうでしょうか?

笑顔でその場にいる。しかめっ面でその場にいる。泣きながらその場にいる。

周りの人たちの反応は変わるでしょうか?それとも同じでしょうか?

 

人は影響を与えているのです。

話している人だけが影響を与えているのではありません。

聴いている人も影響を与えているし、ただその場にいるだけで影響を与えているのです。

 

あまりにも自分の影響力に無関心な人が多いのです。

その人達は自分には影響力がないと信じているのです。

自分がどんな影響を周りに与えているのかを観察してみてください。

どんな影響を与えているのか。

それは、ポジティブなものかもしれないし、ネガティブなものかもしれません。

どのような影響を周囲の人たちに与えたいのか。

それを考えてみるのもおススメです。

 

僕は、何をしていても何をしていなくても影響を与えているなら、周りの人たちが幸せになるような影響を与えていきたいですね。

何時でも何処でも癒しと元気を与える存在でありたい。


人は何に共感するのか?(その2)

昨日のブログでは「感情への共感」について書きました。

人は感情以外に共感するのは何でしょうか?

ビジョンです。

その人が持つ社会的な夢です。

個人的なビジョンに人は共感しません。

分かりやす例としては「お金持ちになりたい」というビジョンです。

「そうだよね。わかるよ。」と言ってくれたらいいけれど、反感を感じてしまう人もいるでしょう。

では、お金持ちになったとしてそのお金を何に使うのか?

「恵まれない人たちを支援したい」

「環境問題を解決するために使いたい」

「世界を平和にするために活動したい」

というビジョンだったらどうでしょうか?

「僕も同じビジョンを持っています。」という人に共感されるのです。

方法が違ったとしても同じ方向を向いている人たちとは手を組むことはできるのです。

これは垂直展開の共感です。

 

興味深いもので、「ビジョン?何それ?」という人もいたりします。

「またうちの社長は誰かに影響されてきた・・・」という話もよく聴きます。

その人たちからよく話を聞いていると、その人自身に共感していたりするんです。

その人がどんなビジョンを持っていようが関係ないのです。

「あなたが、そんなに言うのなら、信用します。」

その人に共感をしているだけで、その人が何をしても応援するという人もいるのです。

これは水平展開の共感です。

 

人から共感されたい時には2つのタイプがあります。

1)ビジョンに共感する

2)在り方そのものに共感する

というものです。

 

この2つの共感は別物です。理想はどちらの共感があったほうがいい。

でも人にはタイプがありますからね。

ビジョンを持つことはどちらかと言えば簡単です。持てばいいだけ。

この在り方に共感されるには、人格を磨くこともさることながら、有限実行する行動力だったり、周りに対する気遣いだったりが大事になります。

一朝一夕にはできないことです。

多くの人に共感されるということは、生き方がすべてなのかもしれません。


人は何に共感するのか?(その1)

人は何に共感するのでしょう?

考え方だったり境遇だったり経験だったり。

それは大きく分けると2種類のあるのです。

「喜び」と「苦痛」です。

共感というくらいだから感情が関係しています。

感情的に言えば「快(good)」か「不快(bad)」なのかです。

あなたはどちらに共感しやすいですか?

快の感情に共感しやすい人は、良いものを広めていきたいと思う人です。

こんなにいいんだから、多くの人に伝えたいのです。

 

不快の感情に共感しやすい人は、問題を解決したいと思う人です。

痛みを取り除き喜びを感じるように変化させたいのです。

 

どちらのタイプになるかは、今まで経験して来た人生によります。

恵まれていた人は恩恵を伝えたいと思うし、不足をしていた人は変化したいと思う傾向があるのです。

自分が何にワクワクするのか?

それを知ったならば、あなたが社会でしていくべきことが自然と見えてくるかもしれません。

今日は自分が何に共感するのかについて書きました。

明日は、人に共感してもらう方法について書きます。


愛は地獄を共に歩む覚悟である。

友人から聞いた話がある。

「世の中コミュニケーション不足と言われているが、そんなことはない。ないのは関係性だ。そして関係性とは他者と関わるということは良いことも悪いことも含めて関係を続けることである。」

僕はこの話を聞いて・・・

恋は天国を共に歩む喜びであり、愛は地獄を共に歩む覚悟である。

という格言を思いついた。

恋なら相手の良い所だけを見るだけで良い。

ところが愛は相手の良い所も悪い所も含めて共に歩む覚悟なのだ。

パートナーと何があろうが共に歩む覚悟。

それは茨の道なのかもしれない。

でも、共に歩むことを選んだ仲間がいればそこは天国になるのかもしれない。

いや、その物語が地獄と天国をつなぐ架け橋になるのかもそれません。

恋は天国を共に歩む喜びであり、愛は地獄を共に歩む覚悟である。

自分で書いておきながら考えてしまう格言です。


自分は代表であるということ

外国に旅行して、外国の人と話をしていると感じることがある。

それは日本の代表として扱われるということ。

「お前の国はどうなんだ?」

そういう意見を求められることもしばしば。

 

「いやいや、普通の人だし、日本のことなんて知りませんよ。」

と答えると、不思議そうな顔をされてしまう。

そう、その場に日本人がいなければ、僕は日本代表なんだということがわかったのです。

少なくともその中では日本のことを一番知っているのは僕なのです。

だって、住んでいるんだからね。

 

これは日常でも起こります。

仕事をしている人には当たり前のことなんだけど、新人だとかベテランとか関係ないのです。

お店に立てば店員さんとして扱われます。

普段、いろんな人と話をしていても、僕は心理セラピストとして扱われます。

答える時には専門家目線での振る舞いが期待されています。

これが肩書きの力です。

仕事をしている人は、その道の専門家として周りの人は見ているのです。

その人の立ち振る舞いを見て、周りの人たちはその業界の人はこんな人なんだと判断しています。

「心理セラピスト」のイメージが人それぞれあって、それまでに出会って来た人を無意識に頭の中のデータベースと照合して、きっとこの人はこういう人なんだろうと予想を立てるのです。

尊敬の眼差しを向けられたり、白い目で見られたり(笑)

 

僕も代表なんだと自覚することはとても大切なんだということが大事なことだと思っています。

なんの代表かはその人が歩んで来た道そのものです。

自分が代表である。

この覚悟がプロフェッショナルにつながってきます。

あなたは、どんな代表ですか?

たくさんの代表である可能性がありますよ!