自分がワクワクするから行動するのか?
他者から怒られるから行動するのか?
人はどうやったら動くのかついて考えさせられる案件が多いです。
メンタルトレーナー上田正敏です。
感情ストレス解放やメンタルブロックを解放するセラピー的な手法は、自分の中にあるブレーキを外す作業。
自分がワクワクすることをすることや好きなことをすることは、自分の中にあるアクセルを踏む作業。
ブレーキを外して、アクセルを踏めるようにするのが僕が提供しているサービス。
この先に本質的な領域にアクセスしていくことが楽しいのだけれど、人によっては必要ない場合も多い。
僕はいわゆる受験戦争を体験してきた世代。
怒られないように、がんばってきた人たちです。
他人と比較されたりして競争させられた世代です。
僕らの世界は、自分がダメだという罪悪感から行動することができます。
苦手なことを克服することが美徳されていた時代です。
得意を伸ばすなんていうことは絵空事のように感じていました。
家でも学校でも怒られることが多かったように記憶しています。
僕は昔は怒られないようにという動機で動けました。
20年前に好きなことだけして生きていくと決めてから、思考も感情も行動もすべて変わってしまったのか、今はがんばることが苦手になってしまいました。
僕にとって「がんばる」って、嫌なことをやるという意味に近いです。
好きなことをやるのは、ただやるというイメージです。
好きだから、行動することができます。
好きだから、やらなければならないことも淡々とやることができます。
セラピーの技術を使って、自分の中にあるブロックを外すと、変なドラマティックな感情はなくなり、淡々と行動することができるのです。
時には、好きや嫌いも超えて、やりたいからやるになってしまうのです。
この感覚を伝えられる文章表現が欲しい。
「最近の若い子たちは・・・」
「ゆとり世代の子たちは・・・」
という言葉を聞くことも多く、若い子たちを観察すると、行動できない子も多くいます。
観察して気づいたのは、罪悪感を使ってコントロールはできない、ということです。
罪悪感を使ってコントロールするとすぐに鬱っぽくなってしまい自動ブレーキがかかるのです。
つまり、罪悪感を使うと動けなくなるということです。
これは健全な振る舞いです。
誰がコントロールしようとしているのでしょうか?
これは権威者のポジションの人です。
家族でいえば親、会社でいえば社長や上司です。
親や上司は、罪悪感でがんばることができた人たちです。
だからこそ、今の子供や部下も同じように動けるに違いないと感じています。
ほめちぎる教習所を見ました。
僕らの時代の教習所とは、まるっきり違うタイプの教習所があるのです。
教官は鬼であり、不機嫌であり、やる気がない人が多かった記憶があります。
いい教官に当たることは稀でした。
僕が学んだセラピーはアメリカ生まれであり最先端の要素がいっぱいでしたので、褒める教育についても研究しました。
今では褒めるのは得意になっていますが、褒めることが苦手な人も多いのではないでしょうか。
人は褒めるところも貶せるところもどっちも持っています。
どっちも特徴的な部分ですので、褒めるところを貶したり、貶すところを褒めることもできます。
これは言葉の力ですね。
自分自身のことも、いかに褒められるのかは大事なことです。
この先もあって、しかってもダメ、ほめてもダメという場合があります。
自発的に動けるためには、気づきの力をどう使うのかも重要なのです。
ここはまた機会がある時に書きますね。
パワハラとはセクハラとはハラスメント問題が注目されていますが、しているほうはしていることを気づいていません。
プレッシャーを与えれば、動けるとも限りません。
自分で自分にプレッシャーをかけるのは良いのですが、他者からかけられた場合、うまくいかない場合もあります。
自分で決めて自分で動けるようになる。
ここが究極のゴールです。
自分が好きなことをやると決める。
罪悪感からでなく喜びから動く。
ここがスタートです。
■フリースタイル上田夫妻公式ページ
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■ワクワクを発見し好きなことを仕事にするソース・ワークショップ
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