表現と演技

山田ズーニーさんの大人の小論文「演技と表現」を読んでいろいろと考えています。

演技とは何か?表現とは何か?

演技とは、嘘を演じる技。虚というイメージが強い。

表現とは、本質を現実に表すこと。真実というイメージが強い。

演技は嘘、表現が本当。

はたしてそうなんだろうか?

 

演技というものを演じてみて、観てみて思うことは、演技もその人でしかないというものだ。

嘘をつくにしてもその人の個性がでる。

嘘を演じることで、よりその人らしさが際立つことがあるんです。

 

表現も本当に自分のすべてをさらけだしているのか。

本当にそうであるという表現は少ない。

子供と大人を比べてみてもそうだ。

ゲームをしても子供のはフェアを重んじるが、大人はズルをする。

子供は話をよく聞くが、大人はよく聞かない。

大人は経験を積んでいるので自分の判断でいろんなことをしがちなのだ。

経験が邪魔をするということもあるのです。

 

嘘の中に真実があったり、真実の中に嘘があったり。

表現と演技の区別がつかない。

 

演技ということが特殊なのではないだろうか。

演技は嘘だ。

嘘も良い嘘もあれば悪い嘘もある。

人を喜ばせれば良い嘘だが、人を悲しませればそれは悪い嘘だ。

まぁ、どっちとも言えない嘘もあるけどね。

 

確実に言えることは演技は不幸になる要素を持っている。

その時にでてくるキーワードは「役割」だ。

 

良き母を演じる、良き父を演じる、良き子を演じる、良き妻を演じる、良き夫を演じる、良き友を演じる、良き上司を演じる、良き部下を演じる、良き先生を演じる、良き生徒を演じる・・・

社会的に良いとされている役割を演じることは大変だ。

また、他人から役割を強制的に押し付けられるのも大変だ。

演じたくて演じるのは問題ない。

知らず知らずのうちにとか、強引にとかが問題となるのだ。

正確にいえば、それは役割を演じるのではなく、役割にはまり込んでいるのだ。

演技という仮面を被っているなら、それを脱げばいいのだ。

しかし、その仮面が脱げなくなり自分自身だと信じてしまったとしたら・・・

それは不幸の始まりです。

 

セッションを通じて僕自身もたくさんの役割を外してきたし、クライアントさんの役割も外してきました。

もう必要ではない仮面を外すとその人らしい顔になるんですよ。

不思議と輝いてみえるのです。

この状態が、自分を表現している時なんだなと奇跡を見せてもらっているのです。

 

自分ではない演技は卒業したらいいよね。

 

■ソース ワークショップ
好きなことを仕事にし、好きなパートナーと共にいて、好きなライフスタイルを送るためのワークショップです。
ワクワクという自分だけが持つ才能であり個性を見つけていきます。
自分自身がどんな人間なのかを知り、それを人生に活かす方法を学びます。
発見編:第73期 3月15日(土)16日(日)
活用編:第27期 3月29日(土)30日(日)
http://www.yoriyoku.com/source/

■個人セッション
頭とハートをつなぐことで本当の自分が見えてきます。
自分を知り、自分の才能を磨き、生まれてきた目的が見えてきます
自分自身との対話です。親子関係、人間関係の葛藤も解消します。


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