哲学とは何か?

「哲学とは何か?」という問いをソクラティック・ダイアローグに参加してから考え続けている。どうも世の中で開催されている哲学対話とか哲学カフェというものは哲学の一歩手前のようなものらしい。自分の内面を言語化するだけでは哲学と呼べないのかもしれない。

平田オリザ著「ともに生きるための演劇」の読書会をワークショップデザイナー育成講座受講生同期とした。この本には

「哲学」は、異なる価値観を持つ人たちが、その異なる「概念」をどうするあわせていくかを突き詰めたものです。(略)「演劇」は、「哲学」だけではすり合わせることができない、異なる「感性」のすり合わせだと私は考えています。

と書かれています。読書会の参加者が公務員経験者であることが哲学を現実に引き寄せてくれた。なぜなら、公務員って法律に基づいて仕事をしているからです。つまり文章で規定されたことに基づいて仕事をしており、迷った時には法律が拠り所になります。

「哲学は法律に似ている」という言葉に納得しました。法律は誤解が極力ないように規定している言葉です。哲学とは誤解のない文章で物事を考えるので非常に似ています。

誰が読んでも矛盾のない文章で物事を定義してはじめて成り立つのが哲学。

日本で哲学をする難しさがここにあるのです。日本語って詩のようですから。日本語ってすべてを曖昧にしがちな言語であり、行間を読み合い、書かれていないことを想像で補いながらコミュニケーションをしていく言葉なんです。つまりは、何となく伝わっていればいれば良い言語。

なんとなくなので、数学のようにハッキリとした定義は不可能と言っても良いし、正確に表現しようとすると主語述語をちゃんと書くと違和感のある文章が出来上がる。

言葉を話すのは誰もができるけれど、言葉を書くのが苦手な人が多いのです。これは話し言葉と書き言葉が違うから。自分で書いた言葉を音読すると何か変な感じがしませんか。なんで話し言葉と書き言葉は違うのでしょうね?世の中には不思議がいっぱいです。

最近、文章を書けないし、読めない人が多いという話を聞きます。ネット上で炎上するのはこれが原因だとも言われています。最近の情報ソースとして求められていることがブログから動画になったことも関係するのでしょう。本を読むよりも講義を聞く方が理解しやすい人が多そうです。そうなると演劇って哲学では取りこぼされる人たちをフォローするものなのかもしれませんね。演劇は言語以外の非言語も使いますから。

哲学って誰もが誤解されない文章レベルまで精査してはじめて哲学をしたということになるのでしょう。

体験することって大事だな。ソクラティック・ダイアローグの体験は改めて良かったんだなと振り返り、多くの人と対話することが理解を深めるのだと読書会をして良かったなと思っています。

他者がいるから対話をして深めることができる。これも哲学の入り口なのかもしれない。

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