ファシリテーションとは何か?

僕がファシリテーションという言葉に出会ったのは、1998年の頃。学んでいたセラピーで使われていた言葉であった。ワークショップのファシリテーションと使ったり、個人セッションでのファシリテーションという使い方をしていた。その頃から今までも興味を持っている分野だ。

ファシリテーションとは何かについて、米国の講師は「make easy」(簡単にすることだ)と言って、なるほどと思っていた。個人でもグループで起きている問題や課題を簡単にすれば、望む方向に変わっていく。

そのセラピーでは、セラピストではなく、ファシリテーターという言葉を使っていた。我々は癒す人ではなく教育者なんだと。クライアントが自分自身で癒すことしかできない。我々は本人が癒せるようになるために導くことしかできないようなことを言っていた。個人の自立と選択を何よりも大切にしたセラピーであった。

教育について興味を持った。そして、ワークショップを仕事をすると決めたのは2000年の頃である。「教えるって何?」というテーマも今でも持ち続けている。そこで衝撃を受けた言葉があった。「教えない教育」が大切なんだとその方は言っていた。

実際に、必要最低限のことしか教えません。その場にいる人すべてが理解できる内容です。わからない人がいないように簡単にわかりやすく教えてくれる。とっても簡単。できた気になれる。で、実際にやってみるとできない。そこで質問をする。そこで初めて彼は教えてくれる。

教えないのではなく、生徒が興味を持って意欲的になった時に初めて教えてくれるという教育法であった。ここに衝撃を受けた。ちょっと知識をかじった程度の人は教えたがる。相手の様子に関係なく自己満足のために教えてくれる。これは時に嬉しい時もあるが迷惑になることもある。

その後、ワークショップやセミナーなど人が集まるところでは、進行役の人がどのような振る舞いをしているか観察をするようになった。自分が良いと思うものは取り入れ、気に入らない時には我が身を振り返えり手放した。なので良いファシリテーターも悪いファシリテーターもどちらも師なのだ。

素晴らしいと思えるファシリテータに出会えることは至福の喜び。あんなように場を動かすことが出来たらいいなと思う。そんな尊敬する方は何人かいるのだ。もちろん完璧な人はいない。ちょっとずつ素晴らしいところを見つけてマネをするようにする。

マネはは「学び」の語源にもなっているので、真似るということはとても大切。理解は後でかまわないと僕は思っている。子供の学習法はいつもマネるだ。楽しいことを真似ていく。大人は理解してからでないと動かないものだが、頭よりも身体性のほうが僕は賢いと思っている。

子供の頃は、知らないことがあふれていた。知りたいこと、やりたいことがいっぱい。好奇心のまま動いていた。勉強とは思わずに様々なことを学び、できるようになったり、わかるようになったり、人に伝えたりする。ストレスがなければ学ぶことは簡単な時代であった。そんな学び方を大人になってからもできるようになるのが理想だと思っている。

先日の即興のワークショップは教育的だなと思いながら受けていた。ファシリテーターを育てるために開かれている場のような感じがした。身体を動かしながらも丁寧に教えて知的好奇心も満足させてくれる。

教えすぎなんじゃないかなと思っていたのだが、ふと寝起きに「あぁそうか」という気づきが訪れた。それは「劣等感を持たせない」ということだ。人はできない時に劣等感を持つ。周りと比べてできないと感じると落ち込むようにできている。集団性の生き物だからかもしれない。

人には才能も経験も違うのだからできないのが当たり前と思えない。なぜ自分はできないのかと責めてしまうことがある。これがあると自分自身に枠を作り、新たなる挑戦をしなくなっていく。自分が内に内に閉じこもっていく。子供のが輝いて見えるのはできる未来を信じて疑わないからだ。

劣等感を持たせないように解説をしていく。これは教えない教育にもつながるなと思った朝なのだった。新しい視点が手に入った。後からふとやってくる気づきは、体験型の学習の好きなところのひとつだ。自分のペースで学べるから。

これからも大事にしていこう。僕も大人が人生について学べるワークショップ開催していこう。

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インプロ・ワークショップに参加してみた

友人が長年主催をしているインプロのワークショップに参加してきました。インプロとはImprovisationの略で、即興劇のことなんです。台本がなくて、その場で起きることを受け取ってつなげていく演劇です。

インプロへの興味は、心理セラピーを学んでいる時にロールプレイやサイコドラマを体験したところから始まります。心理療法の源流には演劇があると言われていて、演じることで癒しが起きることがあるのです。フォーカスパーソン、ファミリーコンステレーション、プレイバックシアターなど様々な演劇的なセラピーを体験しました。それでも興味がつきなくて緊急クラウンのワークショップ、ワークショップデザイナー育成プログラム、セタパブの演劇ワークショップなどを受けたりして現在があります。また、個人セッションやワークショップで演劇的な手法を使いながら見えない人間の内面を、外側に表現することで見える化することをしていきました。心理って言動にすべて現れますよね。ある意味でバレバレです。

こうやって過去を振り返ると即興劇に、かなりエネルギーを注いできてますね。

今回のインプロは10年以上前に読んだインプロゲームの著者でありインプロの第一人者の絹川友梨さんワークショップでした。amazonレビューにも書きましたが、ずっと受けてみたかったんです。ですがタイミングが合わず。今回参加できたことがラッキーでした。あーこ、ありがとう。

印象に残ったワークを書き残しておきます。尚、名前は僕が適当につけています。

上・下・右・左

ウン・パッのリズムで手を上・下・右・左にだし、もしも二人が同じ方向を向いちゃったらバンと相手に指を向ける。

「シアトルのボブさん」だっけか?名前のついていないワークからスタート。

これ「あっち向いてホイ」よりも面白い。相手に同調させようとしたり、相手に合わせないようにしたり、色々と試しているととてもエキサイティングなゲームでした。

リズムゲームって緊張するんですよね。リズムから外れないようにしちゃうからかしら。基本、同じリズムから外れたくなっちゃうのです。

鬼ごっこ

鬼を決めて、鬼が誰かをタッチしにいく。鬼にタッチされそうになっている人がつかまる前に誰かの名前を呼ぶと、名前を呼ばれた人が鬼になる。もしくは、誰かの名前を言えないで鬼につかまると鬼になるというゲームも面白かった。

みんなキャーキャーいいながら逃げるんです。いやいや、逃げなくていいだろう。だって誰かの名前を言えばいいんだから。逃げてたらそれ普通の鬼ごっこやん(笑)

もうね、みんな童心に帰ってそんこと関係ありません。鬼の人が名前を叫びまくって近づいてきたり。ナマハゲのようなゾンビのような迫力がありました。

見ているだけで面白い人たちです。

番号回し

「1」と言って誰かを指差し、指をさされた人が「2」と言いながら別の人を指さします。それを20までやります。これ1つの流れだと誰でもできるんです。当たり前ですね。

この流れが2つ、3つと増えていきます。ただし、数字を言って回すのは同じタイミングという制約があります。このリズムが面白かった。誰かに数字を回すために伝わるように意識を集中して伝えます。ただ、これに集中しすぎるとパスを回している時にパスを回されるとまったく受け取れないんです。自分がやることに夢中になっていると、自分へのパスが見えなくなっちゃうんです。与えると受けとるが同時にできない自分を発見しました。集中するというよりも周辺視野のようにボーッと全体に気づいている必要があるのです。これ次のゲームでも同じような体験をしました。

同時に声をだす

これ2つのパターンをやりました。

一つ目は、2チームにわかれて、一つのチームはは例えば「くだもの」の名前を同時に言う。もうひとつのチームはなんと言っていたかを当てるゲームです。これ意外と聞こえないんです。伝わりやすい音声と伝わりずらい音声があるみたい。声質やら音量やら発音やら関係するのでしょうか。集中するのが楽しいです。

もうひとつは、みんなで円になって、3文字とか2文字とか文字数を決めて言葉を同時に発するんです。ゴールはみんな同じ言葉を言うこと。これね、自分が言葉を発すると相手の言葉は全く聞こえないんです。でも、周りの人たちは聞こえているみたい。なぜだと思っていたら、自分の声が大きいと自分の声しか聞こえなくなるそうな。小さくしても聞こえなかったり。僕は話すのと聞くのを同時にするのが苦手みたい。みんなよく聞いているなと感心しました。

これ声の大きい人に人は従ってしまうのがわかるそう。企業研修でやれば誰に従うかの主従関係が浮き彫りになりそうですね。声だけでもわかってしまうことがありそうです。

きっと僕は、聞く時にはむちゃくちゃ集中しているんでしょうね。だからカウンセラーになれるのでしょう。聞くことに集中しないと聞こえないから。怪我の功名というやつでしょうか。聖徳太子でなくていいのです。自分の特性を知っていれば。

相手に言葉を言わす

Aさん、Bさんを決めます。Aさんはお題の言葉、例えば「ダメだよ」をBさんに言わすためにAさんはBさんに言葉をかけていきます。シチュエーションは決まっていてこの時には「居酒屋」でした。この時はBさん役は僕でした。

Aさんが「最近、四又していてさぁ」という言葉に対して僕は「いいね」と肯定的に返しました。まんまカウンセリングです。Aさんはフリーズです。あぁ、きっと否定的な言葉なんだろうと予測をして、「一般的には最低な奴だよねとこの場合言うよね」とか言ったり。だんだんとクイズになってきてしまいました。これだとダメみたいなんです。

いかに自然に「ダメだよ」を言わせるか。即興劇なんで、その言葉を言う場面だったり、関係性だったり、必然性を作っていく必要があるのだそうです。どんな言葉が返ってきたとしても、「イエス・アンド」の精神で受け取って返していく必要があるのです。きっとこれが関係性を作っていくということなのでしょう。

平田オリザの演劇ワークショップ経験者には「旅行ですか?」と同じだよねと同じです。自然と「旅行ですか?」という台詞を言うためにその前の状況だったりやりとりだったりを考えるワークと同じなのです。それを即興劇でやるのだからハードルは一歩高い。

これ自在にできるようになれば劇作家になれるんじゃないかと思ったり。

シーンを作る

最後には2人1組でシーンを作り、それを回していくというもの。みんなで物語を紡いでいくのです。絹川友梨さんの声かけが見事としか言えません。生き生きと物語が展開していくように適切な言葉をなげかけていきます。また役者さんたちも、その言葉に乗って演じていくのです。演出家の仕事は偉大だ。

知らないってなんか面白いのです。自分の知らないことだったりしても、なんとか知っている知識をふくらませて演じてみる。人間が持つ創造性というのでしょうか。何かが生まれているのです。こうやって新しいものが産み出されていくのかという人間の営みを感じました。知らないって最高だなとみなさんのインプロを見ていて思ったのでした。

インプロの感想

気づいたことは2つ。

ひとつは、即興劇ってコメディになりがちだということ。それがダメだというのではなく、嘘は面白いからかもしれません。だって子供の頃のゴッコ遊びは楽しかったから。演じる原点は笑なのかもしれません。だからこそ、人は癒やされるのです。笑っちゃうと心が変わっちゃいますから。

もうひとつは、インプロはブリースリーの名言「Don’t thik, feel」(考えるな感じろ)ならぬ「Don’t thik, just do it」(考えずに動け!)だと思っていたのです。反応力勝負みたいなものだと思っていました。

ところが今回思ったのは、考える必要があるんだということ。身体は柔軟に受け取りながら頭はフル回転みたいな。ただ考えいるだけだと自分の内側にこもってしまうので考えるだけではダメ。身体だけ反応しているだけだと周りの言いなりになってしまう。誰かにコントロールされっぱなしになってしまう。若者たちのイワシ化しているとも言われているから。イワシ化とは群れの動きを感じとり反応することです。つまり集団の空気を読んで動くということ。

同調圧力が強い日本で、自分を表現するってチャレンジなのかもしれません。起業とかも同じなんだけど、自分から世の中になげかけることって大事なことなんですね。主体的になれる訓練にもなる可能性をインプロに感じました。

アフター

午前中にワークを終えて、ランチを有志でご一緒に。あーでもない、こーでもないと振り返える時間があって自分の内面を言葉にする時間を持てました。他の人の視点も聞けるのも学びでした。

ランチは「ザ・トリフターズ」というオシャレな鳥専門店で。ここのBGMはなぜか昭和や平成の懐かしい歌謡曲。ドリフターズを意識してでしょうか。話題も若々しい感じに。昔の歌は記憶の扉をあけますね。

コーヒーが飲みたい人は、さらにこの後にコメダへ。ここでは健康の話だったり、成熟した大人の話がでたりも。落ち着いた雰囲気ですからねコメダ。

場所が変わると話題が変わる。つまり舞台設定って潜在意識に大きな影響を与えているな思ったりするのです。

僕がやっている自然の中のハンモックフルネスも、舞台設定をアウトドアにすることで自分の内面にどんな変化が起きるのかを楽しむ要素もあります。舞台だけ整えてあとは起きるに任せるみたいな。そう考えるとインプロ要素が満載ですね。

これから環境から受ける影響を、もっと意識しても面白いなと思ったのでした。

インプロは、学びの宝庫でした。参加者の皆様、講師の絹川友梨さん、オーガナイザーの桂 麻子さん、ありがとうございました。

人と人が出会うことそのものが学びですね。また参加しよう。

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高校生からインタビューを受けた

とある高校の授業の一環としてインタビューを受けました。事前に「何をインタビューするか?」という授業があり、「実際にインタビューをする」という部分を僕が担当し、その後「インタビュー結果を1枚の新聞のようにまとめる」という3ステップの授業です。

自分の頭で考える授業ってなんか好きです。学生時代に出会える大人って、親と先生になりがちです。思っている以上に世界は狭いのです。真剣に対話する機会というものはほとんどありません。自分の将来を考える時に、人生の先輩の話を聞くことはとても役立ちます。そのノウハウを学べるっていいなぁと思ったのです。

その時に「影響を受けた人はいますか?」という質問を受けました。

この質問は、尊敬する人だったり、師匠に当たる人だったり、憧れた人のことだと思ったのです。でもね、僕の頭に浮かんだのは応援してくれる人たちでした。しかも全員女性だったのです。僕を引き上げてくれたり、背中を押してくれる親密な人たちの顔が浮かんできたのです。

人生の転機に女神が現れるイメージというのは美化しすぎでしょうか。これが僕の人生のパターンかもしれないと高校生の質問から気づきました。人生の転機って人によって色々とパターンがあるんですよね。その人が持つ運や縁といえるのかもしれません。

何も準備せずに、質問されたことに正直に答えようという心構えでインタビューを受けたのが良かったのかもしれません。彼らと対等に場を創ろうと意図していたことがよかったと思っています。

人は人に影響を受けて成長するものです。これが教えようとしていては起きなかったことですね。6人という少人数、50分という時間を与えてもらったお陰ですね。

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高校生向けワークショップについて考えた

学生向けのワークショップは難しい。

なぜなら初めから聞く気がないからだ。いや、本当を言えば、知らないことを知りたいという知的好奇心を持っている子もいる。そして、興味ないことは徹底的に興味がないという子たちもいるのだ。

普段のワークショップは、知りたいから来ている人たちに提供している。参加者自らが積極的な人たちばかりなので、勝手が違うのだ。

俺が悪いのか?生徒が悪いのか?教育が悪いのか?

ついつい犯人探しをしたくなるモードになっていました。こういう時に、犯人を見つたとしても何も解決はしない。誰か何かを悪者にして自分のプライドを保つことに躍起になるからだ。

そもそも、なぜこの仕事をしているのか?

こういう時には、自分の原点に立ち戻る質問をする必要がある。だって、嫌だったらそんな仕事を断ればいいだけなのだ。仕事を選ぶことができるのが今の日本だ。

  • メンタルの不調に陥った時に、自分で対処できる方法をしってもらいたい
  • 話を聞くことの大切さやコツをしってもらいたい
  • 子供たちが自分の望む未来を選ぶ力を知ってもらい、幸せな人生を送ってもらいたい

という相手にフォーカスをした目的からスタートした。それと同時に個人的な欲求はもちらんある。

  • 今の子供たちが何を考えているのかを知りたい

という僕自身の知的好奇心だ。最近、読んだ本「先生、どうか皆の前でほめないで下さい」という本を読んだこともあるし、ワークショップデザイナープログラムの苅宿先生がいっていた「褒めてもダメ、叱ってもダメな生徒にどう接したら良いのか?」と言っていた言葉を思い出す。時代を読むには今の10代が何に興味を持っていて、どのような考え方をしているのかが鍵を握っている。もちろん親世代の保守的な影響もあるが、そのカウンターで新しいことを求めているのが若者なのだ。新しいものに対する好奇心を自然と持っている。

自分の原点に立ち返ったら、問題がなくなった。

全員に話が届かなくてもいいのだ。一人でも必要な子に届けばいいのである。興味がある子もいればない子もいる。みんな一緒でなくもいいのだ。「みんな違って、みんな良い」なんだけど、みんな違うから大変なのである。

長期に関われない制約もある中で交流が起きる仕組みは作れるかもしれない。それは今後の課題だ。だけれど、生徒の反応を見ていればわかることもたくさんある。仕事柄、人を観察するのは得意なのだ。そして集団の求めている意識も観察すればいいのだ。何かひとつでも心に残ってくれる人がいればそれで良い。そして、自分が気持ちよく仕事ができるように最大限の努力をしよう。寝ているのは良いけれど、隣の人と話をしているのは苦痛だからね。

セラピーの基本は、自分のニーズを変えること。それは本当に望んでいるものは何かを知るということなのだ。

もやもやしていることを言語化すれば良い。そのために僕らみたいな仕事がある。言葉を通じて、自分の内面を言語化する。身体言語を使って、自分自身の感覚を言語化することもできる。自分との対話をするメソッドを使えるのが一番の特徴なのである。

この仕事していて良かった!

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おとなの砂場ダブリンワークショップに参加してみた

ワークショップデザイナー育成プログラムのコミュニティで、近所でワークショップをやるというので参加してみました。参加の決めては、講師のプロフィールを見て、フェルデンクライスメソッドとジャックルコック演劇学校を学んだ人だから。ボディワークやルコック卒業生のクラウンのワークショップにエネルギーを注いでいたことを思い出したから。参加したワークショップはこちら

当日に知ったのですが、「自分アップデート」がテーマだったんですね(汗)

僕自身がテーマよりもメソッドに興味があったワークショップでした。

午前の部は「からだをほぐすこと」がテーマ。ずっと過去に参加したエサレン研究所のワークショップを思い出しながら受けていました。自分の体を向き合うことの楽しさを再び思い出したりしていました。自分の手で、自分の身体に触れるって不思議なんですよ。例えば、右手と左手を合わせたりした時に、右手が左手を触れているのか、左手が右手を触れているのか、それを味わっているうちに何かが溶けていく感じがするのです。脳が驚くというか、感じ方が変わっていく。

感情と身体について味わっていく。ロルフィングだったり、スリーインワンだったり、痛みと脳と感情についても深く学んできた。感情は筋肉に逃げ込むのです。痛みには感情があり、感情が解放されれば痛みも解放される。そんな体験を思い出しながら、体を味わっていました。

セルフで解放すること、他者の手を借りて解放すること。どちらも味わいました。自分ですることと他者と共にすることは明確に違います。他者の手を借りることは客観的になれますね。身体って本当に興味深いです。

軽くなった身体で、昼休みは、まず散歩にでかけました。やっぱり、身体は動かしてなんぼのものです。肉体を持つということは、この世のことを深く味わうためだから。身体を動かして五感で感じることが、シンプルに喜びですね。

午後は「からだで表現すること」がテーマ。演劇やダンスのワークショップは会場をよく歩きます。人と人がぶつからないように、なるべく大きく自由に歩くように、これも身体を感じることになります。人の感覚は面白い。

印象的だったのは、宿題がでていて「自分の持ち物(所有物)の中から必需品じゃないけど、新たな人生を新たな場所でスタートさせるとしたら持っていきたい物」を一つ選んで、その写真を持ってきてください」というもの。だんだんと寒くなってきたし、アグラスカートを実際に持っていこうと選びました。アグラスカートは山で使う防寒着でアグラがかけるスカートです。これサイズアップしたものだと上にも着れて雪だるまみたいに可愛くなります。ウールなのでジワっと温かいのが好きなんですよね。在宅ワークで使う人も多いアイテムです。

このアイテムを他の参加者に何も説明せずに見せて、「このアイテムは何をしてくれるものか?」を考えて、それをワンアクションの動きにするというワークをしました。

僕の番になると、他の参加者が踊りで表現をしてくれます。真剣に一生懸命にアイテムが与えてくれるであろうアクションをしてくれるんです。大の大人が何をしているだろう。そう思うと笑えてきました。その心のフッとした緩みから、僕が選んだアイテムは僕の役に立とうと真剣に愛を与えてくれているんだなということに気づきました。ちょっと感動しちゃいましたよ。

このアイテムのアクションは3つの動きをしてもらって、1回目はただ単に受け取る、2回目はレスポンスの動きを返す、3回目は相手の動きを楽譜として自分が自由に身体を動かすというものをやりました。自分が選んだアイテムとペアダンスを踊るということ。影響を与え合う関係性なんですよね。これ道具をもっと大切に扱わないといけないと思ったのです。友人を選ぶのと同じように道具も選ぶ必要があるんだなと。自分が本当に好きなものに囲まれるのが大事だなと思ったりしました。

そして、コンタクトインプロをやったりも。頭で考えて動く人、身体で感じて動く人。コンタクトインプロはやっぱり感じて動くことが大事だと思いました。思考で動くと説明的な動きにしかならない気がするのです。そして、ペアダンスを踊るのではなく、ソロのダンスと同じだということ。ペアダンスは触れ合いではなくエネルギーの交換なんです。以前にサルサの先生にそんなことを聞いてダンスって面白いなと感じたことを思い出したりしていました。

色々なワークをやったのだけれど、特に全体でシェアがないワークショップでした。これはヨーロッパ仕込みの個人主義だからなのか。感じるというのは個人のものだからなのかと考えたり。感覚は言葉にすることで消え去ってしまうこともありますから。僕自身はワークショップは体験をシェアする形が好きなのだけれど、使い分けをするのもありなのかもと思ったりしました。

「自分アップデート」するって、過去を捨てるわけではないのです。過去をしっかりと味わって、その積み重ねで今があることを思い出す作業でもあるのです。そして、未来に向けて、今できることをする。この今することは、自分を解き放つことでしか起きないんですよね。過去が自分の圧力を高めるプレッシャーとし、未来に向けてその反動で解き放つ。これは爆発するという暴力的なことではなくエレガントなものなんだなと感じました。

未来を創り出す作業って、自分を解放していれば、とても優しいことなんですね。思考に偏りすぎていると爆発して破壊のエネルギーにしかならないのではないかと感じました。未来を引き寄せるのではなく、未来が勝手にやってくるみたいな。ただそれを踊るように楽しめば良いということなんだなと。

自分の原点を思い出したような1日でした。ありがとうございました。

■ダブリンワークショップ
https://dublinworkshop.hatenablog.com

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哲学とは何か?

「哲学とは何か?」という問いをソクラティック・ダイアローグに参加してから考え続けている。どうも世の中で開催されている哲学対話とか哲学カフェというものは哲学の一歩手前のようなものらしい。自分の内面を言語化するだけでは哲学と呼べないのかもしれない。

平田オリザ著「ともに生きるための演劇」の読書会をワークショップデザイナー育成講座受講生同期とした。この本には

「哲学」は、異なる価値観を持つ人たちが、その異なる「概念」をどうするあわせていくかを突き詰めたものです。(略)「演劇」は、「哲学」だけではすり合わせることができない、異なる「感性」のすり合わせだと私は考えています。

と書かれています。読書会の参加者が公務員経験者であることが哲学を現実に引き寄せてくれた。なぜなら、公務員って法律に基づいて仕事をしているからです。つまり文章で規定されたことに基づいて仕事をしており、迷った時には法律が拠り所になります。

「哲学は法律に似ている」という言葉に納得しました。法律は誤解が極力ないように規定している言葉です。哲学とは誤解のない文章で物事を考えるので非常に似ています。

誰が読んでも矛盾のない文章で物事を定義してはじめて成り立つのが哲学。

日本で哲学をする難しさがここにあるのです。日本語って詩のようですから。日本語ってすべてを曖昧にしがちな言語であり、行間を読み合い、書かれていないことを想像で補いながらコミュニケーションをしていく言葉なんです。つまりは、何となく伝わっていればいれば良い言語。

なんとなくなので、数学のようにハッキリとした定義は不可能と言っても良いし、正確に表現しようとすると主語述語をちゃんと書くと違和感のある文章が出来上がる。

言葉を話すのは誰もができるけれど、言葉を書くのが苦手な人が多いのです。これは話し言葉と書き言葉が違うから。自分で書いた言葉を音読すると何か変な感じがしませんか。なんで話し言葉と書き言葉は違うのでしょうね?世の中には不思議がいっぱいです。

最近、文章を書けないし、読めない人が多いという話を聞きます。ネット上で炎上するのはこれが原因だとも言われています。最近の情報ソースとして求められていることがブログから動画になったことも関係するのでしょう。本を読むよりも講義を聞く方が理解しやすい人が多そうです。そうなると演劇って哲学では取りこぼされる人たちをフォローするものなのかもしれませんね。演劇は言語以外の非言語も使いますから。

哲学って誰もが誤解されない文章レベルまで精査してはじめて哲学をしたということになるのでしょう。

体験することって大事だな。ソクラティック・ダイアローグの体験は改めて良かったんだなと振り返り、多くの人と対話することが理解を深めるのだと読書会をして良かったなと思っています。

他者がいるから対話をして深めることができる。これも哲学の入り口なのかもしれない。

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ソクラティック・ダイアローグ体験ワークショップに行ってきた(その2)

前回のブログに書いた体験記では書ききれなかったことをまとめておきます。

ソクラティック・ダイアログは、根本的な問いに対して答えを見つける共同の試みです。
今回のテーマは「尊重」であり、尊重とは何かの答えを参加者全員で考える体験でした。

僕にとって、むちゃくちゃ日本語を意識する時間でした。

小学校の頃から国語が嫌い。
高校の時に駿台模試で偏差値29を叩き出して自分でもビックリしたことを思い出します。
大学院の時には英語4級の実力でも、論文は日本のものより海外のものがわかりやすかったり。
最近では、演劇に興味を持ち、体験をする中で、話し言葉と書き言葉が違うったり、映画や音楽の翻訳でも意味がかなり違ったりすることに衝撃を受けています。

日本語って不思議な言語。
主語がはっきりしないし、言葉の順序も適当で十分に伝わります。
意思決定をしなくても、自然と場が流れていき、なんとなくうまくいくという文化が生み出した怪物なのかもしれません。

哲学とは言葉を使い思考の探究をする世界。
どうも日本語は哲学をするのに向いていない言語なのでしょう。
このブログを書いている現在でも日本語に対する意識が変わって、日本語がちょっとおかしくなっています。
「その主語は何やねん?」と思いながら書いています。

事実とは?

ソクラティック・ダイアローグでは、最初に探究する例を決めます。
その時の指針は「いつ・どこで・誰が・何をして・どう思った」という体験を語ります。
もう、ここからが難しい。
事実を書こうとすると、言った言葉と動いた行動という現実社会にアウトプットされたものになる。
ここに自分の中の内側の、考えたことや感じたことを書こうとすると、膨大な量になっていく。

どうも、この内面の部分を丁寧に解きほぐしていくのが、ソクラティック・ダイアローグの醍醐味のようだ。
僕の場合、「どんな思考をしているのか?」「どんな感情を感じているのか?」「どんな思い込みがあるのか?」「どんな背景があるのか?」「どんな価値観を持っているのか?」を無意識に観察しています。
これはセラピストという職業の性だと思っています。

なので、自然の中でただ一人で思考を止めるた世界に浸るのは重要だったり。

ソクラティック・ダイアローグでは、無意識にしていることを意識化してやるので、自分の中の情報量が多くなり脳がフル回転しました。

で、他の参加者さんが質問してくれるんですよ、体験について。
この質問が丁寧で細やかであり、自分の思考プロセスがよくわかるんです。
曖昧にしていたことを、考えて、順番に自分の思考だったり感情だったり意思決定だったりについて考えます。
その行動した理由に「なんとなく・・・」は通用しないので、「なんとなく・・・」していることがなんと多いことか。
さらに、「なんとなく」の中にものすごい量の思考・感情・選択をしているのか。

それがわかったことが収穫のひとつです。

合意形成とは?

もうひとつソクラティック・ダイアローグに参加して手に入れた収穫は、合意形成することで、自分の価値観がわかり、他の参加者の価値観もあぶりだされていくこと。
持っている価値観に良い・悪いはなく、ただ、何を大切にしている人なのかわかるのです。

合意形成って仲間になるための通過儀礼的なものなのかもしれないと感じています。
合意形成は、参加者全員のコミットがあればあるほど実りがあるものだと思いました。
他者がいることで「自分とは何か?」がよくわかる体験でした。

そして、これからも日本語の探求は続きます。
あれっ?日本語を好きになっている!

今回の体験したソクラティック・ダイアローグは、ダイナミクス・オブ・ダイアログLLCさん主催です。

興味のある方はチェックを。

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ソクラティック・ダイアローグ体験ワークショップに行ってきた

ソクラティック・ダイアローグと呼ばれる哲学対話の会に参加してきた。
なんと10時間もずっと頭を論理的に使う時間を過ごしてきたのだ。
脳が沸騰するんじゃないかというくらいに言葉を厳密に使う時間であった。

「これが哲学なのか?」という濃密な時間を過ごした。

僕の一番の学びは、僕自身は哲学に向いていないかもしれないと思ったこと。
探求をすることは好き。僕にとっては4コマ哲学教室くらいがちょうど良い感じ。
ただ、このワークショップは、僕にとって大きな分岐点になったと思える体験があった。

ソクラティック・ダイアローグは、僕の言葉で言えば、合意形成のプロセスを知的探求に使おうというもの。
また、反対に知的探求で合意形成をすることにも使えるツールだともいえる。
詳しく知りたい人は、ソクラティック・ダイアローグを。

僕は、合意形成の場で大切なことは、積極的に場づくりに協力すること、疑問を残さないこと、自信を持って行動することだと考えている。

このソクラティック・ダイアローグのワークショップの中で、なぜか過去のやり残しについて思い出すことがあったのだ。
これは、僕らが仕事にしている心理セラピーを学んでいる時に、問題の原因となることとして出てきた記憶だ。
その問題自体は解決しているのだが、リアルな成功体験として味わっていなかった。

今回、その体験ができるチャンスが来たのであろう。
頭の中で過去の体験を思い出した。
実際に過去の自分を受け入れて未来の自分に向けて行動しようと決めた。

その体験は3つある。

我慢

ひとつは、イヤだという意見を表明したこと。
過去の相互支援の場で、周りの人たちに遠慮して、我慢して意見を言わなかった人がいた。
後にそれが大問題となりその会は解散することになった。

イヤなことをイヤだと言わなければ誰もわかってくれない。
こちらが良かれと思ってやったことが、その人にとってはイヤなことだったのだ。
そんなことを思い出したので、イヤなことはイヤだということを表明したのだ。

そしたら気分が楽になった。
イヤだと言ったら、相手にイヤな思いをさせるんじゃないかと思っていた。
それよりも自分に正直であることが重要なのだ。

この対話の場は、頭に負荷をかけるのでストレスになる。
なので、なるべく、心理的なストレス要因がないほうが良いのだ。
表明ができたことで気分が軽くなり対話に集中できたのが良かった。

遠慮

2つ目は、全員した体験談の中で、ひとつだけ体験を選ぶ機会があった。
僕自身の体験が今回のテーマである「尊重」に相応しい体験だと思った。
そう思った時に小学校の時の記憶がよみがえった。

本を読んだ感想文を市のコンクールに出すのを誰にするかを選ぶ場だった。
クラスで一番優秀な島村くんも候補になっていたのだけれど、なぜか担任が僕の感想文を推していた。
「昔も今も母が子を思う気持ちは変わらない」
というようなところが良かったらしい。

恥ずかしかったのでしょう。
「絶対にイヤだ!」と全力で主張したのを覚えている。
そして多数決になった時に、島村くんの感想文に手をあげた。
結果、僅差で島村くんの感想文がコンクールに出展された。

で、今回、自分の例が良かったと思ったので、自分の例に手をあげた。
そして僕の例が選ばれたのである。

補足しておくと、このワークショップでは多数決は最後の手段であり、みんな何を根拠に選んだ理由を話す。
「なぜ、そうするのか?」
意見の背景も語るのが対話にとても重要なのである。

自分で自分に手をあげたら小学生の自分のやり残しが終わった感があった。
「もしも、あの時に、やっていれば・・・」
そんな経験は誰しもあるだろう。
実際に大人になってからも、やり直すチャンスはあるのだ。

自分のために立ち上がる

ワークショップのルールとして、手をあげて発言するというものがあった。
そして進行役が発言を許可して初めて発言ができる。
もちろん、これは会がスムーズに進行し、場の安全を担保するためだ。

僕を含めて2人の人が手をあげた。
僕の発言は2番目にすることになっていたのだ。
一人の目の発言に色々と質問があがり話題は盛り上がった。
そうして僕の挙手は忘れられた。

「まぁいいか・・・」と一瞬頭にその言葉浮かんだ。

そうしたら、小学校の学級会で発言を無視されて、さみしい思いをして、やる気も何かもなくしただ拗ねて、誰にも協力しないと決めた自分を思い出したのだ。

それは子供の態度であり、大人は違う選択ができる。

「手をあげていたのに、忘れられて、さみしいです。」と口走っていた。
今思えば、もうちょっとマシな言い方はできたのかもしれないが、正直にそのままの気持ちを表明した。
そうしたら、なんか気持ちが晴れやかに。
思っていることを自分の内側にとどめず、外側に声としてだすこと。
それは自尊心につながっているのだと改めて感じた。

この3つの体験が起きたのは、安全な場作りになっていたから。
自分で自分に驚いている。
全く、趣旨とは違うことで、自分ができなかったことをすることができたのだ。

きっと昔の自分の想いは成仏しているでしょう。

ソクラティック・ダイアローグは、自己探求の要素もあるのではないか。

  • 自分の体験を事実だけで簡潔にすること
  • 自分の物語を手放し、普遍的な物語にすること。
  • 物語の主人公が、どんな前提で行動しているのか探求すること
  • その前提の奥にある原則を見つけること

これを個人作業ではなく、集まったメンバで合意形成をすることで、普遍性が高まっていく。

常日頃、個人的な問題はない。
自身の問題は人類の問題であり、自身の問題解決は人類の問題解決につながる。
そう考えている。

きっと僕自身の3つの体験は、参加者全員にも影響を与えているかもしれない。
それが相互作用してひとつの場を作ったのではないかと考えている。

とっても充実した時間でした。
主催者の方々、参加者の方々、ありがとうございました。

ちなみに10時間も対話をしたのに、家に帰ってうちのかみさん3時間も対話をしたのでした。
体験したことに興味を持ち、夫婦でも哲学ができたことに感謝です。
さらに気づきと変容が起こった気がしています。

「尊重とは思い込みである」という僕の結論の反論ができません。
思い込みの一部に尊重があるのですが(笑)
まだまだ哲学は続きます。

今回の体験したソクラティック・ダイアローグは、ダイナミクス・オブ・ダイアログLLCさん主催です。

■フリースタイル・コンテンツ紹介

■個人セッション
感情を入り口に潜在意識から様々な問題を解決し、人生の目的に気づいていきます。
https://www.yoriyoku.com/

■ソースワークショップ
自分が持つ「好き」を見つけて、それを仕事、伴侶、趣味に応用し、自分らしくなるためのワークショップ。
https://www.asobilife.com

■ハンモックフルネス
日々ゴキゲンでいるために自然の中で心身を整えるイベント。
https://www.hammockfullness.com


ワークショップへのこだわり

ワークショップデザイナー育成プログラム修了生と話をしていて、自分のワークショップ遍歴を振り返った。

出会いは1998年。外国から心理セラピーの講師のワークショップに参加。ワークショップの最初に、全員が今感じていることを自由に話をする。周りはただ聞いているだけ。どんな話であろうが話し手の邪魔をしない。講師の方はただ「ありがとう」しか言わない。ワークショップの最後にも全員が話をする時間があった。自分を感じたこと、気づいたこと、考えたことなどを共有する。「なんだこれは!」という衝撃を受けた。とても居心地の良い空間だった。

ワークショップが面白いと思ったのだけれど、その手法はまだ体系化されてなくワークショップという言葉だけがあった。その経緯を知らべていくと、セラピーの源流に行きつく。その世界はニューエイジと呼ばれていた。ベトナム戦争の帰還兵に対するPTSDの研究からセラピーは生まれている。

そこから精神について探求が米国で始まったのだ。さらに源流を探れば、ビートニクやヒッピー文化が関係してくる。これは東洋思想が西洋思想に出会って生まれている。この時期には目に見えないものについて探求をされた。スピリチュアルについて興味を持つ人が増えたのだ。

と書いていると進まないですね(笑)

ワークショップ視点からすると、セラピーで探求していたことって、自分自身との合意形成という意味合いが強い。自分の頭で考えていることと自分の身体で感じていることにズレが生じると、心身に問題が起きると考えています。自分自分自身の探求は大好きだけれど、もっと外に視点を持っても良いのではないかと考えた。

自分自身のライフスタイル、パートナーシップ、ライフワークという自分の外側を変えること。また、夢を持つなど未来を創り出す手法に興味を持ち、その分野を研究していく。自己実現とか自己啓発と呼ばれる世界だ。

ここから子供の頃から好きだったアウトドアが合流してくる。セラピーは内側の冒険だと僕は感じていたのだ。自分を発見していくプロセスがたまらなく面白かった。外の世界にも冒険をしたい、探検がしたいとアウトドアの世界に興味を持ってやっていく。ここでもワークショップの匂いがする参加した。第一次世界大戦の兵隊をケアすることを源流に持ったものであった。戦争とスポーツが同じ匂いがする。いわゆる体育会系の価値観が重要視される。上下関係とかね。上下関係があるワークショップってちょっと窮屈なんです。俺に従えモードが強かったので。

その関係性が嫌で芸術系のワークショップの門を叩いた。「みんな違って、みんないい」みたいなノリがあった。自分の内側を外側に表現するという点は良かった。ただ、みんな自己主張が強いので、まとまりはない。私が正しい、あなたが間違っているという罠にはまっている人たちを見てきた。正確にいえば、他人の意見なんか聞いちゃいないみたいな。

ただ、ここでもワークショップがでてくる。合意形成という考え方だ。みんな違って大変だからこそ、お互いが歩み寄り、チームを作っていく。そんな学びをしていくのが楽しかった。

運動会でみんな横並びでゴールする、学芸会で主役がたくさんいる、みたいな、みんな平等ということではないことが重要なんだ。

ワークショップデザイナー育成プログラムでは、グループに分かれてワークショップを作った。1日講師から雛形となるワークショップを受けて2日目にワークショップを作る。参加のみんながこだわりがあり、紆余曲折があり、最後の最後で振り出しに戻る。講師がやったワークショップをやろうと。ある意味1日が無駄になったということであり、お互いの価値観を知り合った有意義な時間であったということでもある。

お互いの情報共有を大切にするために、実習の1週間前はネット上の書き込みだけでワークショップを作っていった。その時に、できる人ができることをしよう、気づいたことは言おう、迷ったらやってみよう、みたいな方針だった。その中で僕はワークショップの台本を書いてみた。もちろん誰かに言われたわけでもなく、やったらいいなと思いついたからだ。台本を書けば、全体を把握できると考えたし、事前のリハーサルにもなると考えたからだ。おそろいのジャケットを作ってきてくれた人もいた。否応なしに盛り上がり、ワークショップは成功のうちに終わった。

僕自身のワークショップは、精神世界、自己啓発、冒険教育、芸術教育の4つが混じってできている。それぞれの良さを活かして、それぞれの欠点を補っていく。

ワークショップそのものが手垢がついた言葉になっている。だからこそ、ワークショップが大事なのではなく、ワークショップをやっている人が誰なのかが重要だと僕は考えています。

ワークショップの原点は、人は個性的であり、自分の個性を認めて、相手の個性も尊重する、それでいいのだ、と思っているからだ。

これがハンモックフルネスの参加者の対話で気づいたこと。感謝しかない。

■フリースタイル・コンテンツ紹介

■個人セッション
呪いを解き自分らしくライフワークを生きるために
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■ソースワークショップ
自分の好きを体系的に整理して再発見し、実践するため知恵を学ぶ講座
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■ハンモックフルネス
日々ゴキゲンでいるために自然の中で心身を整えるイベント。
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チームビルディングのためのファシリテーション

歯科医院などの院内研修や任意団体でファシリテーションの仕事を時々させていただいています。

ファシリテーションって何?
と聞かれたら会議などの集まりで進行や整理する人のことだと答えています。

ファシリテーションで大切なことは2つ

  • 発言を促すこと
  • 発言を整理していくこと

欧米で生まれたファシリテーションは、発言を抑制する必要が多いそうです。
なぜならみんな自己主張するのに慣れているから。
そして主張が強すぎるので抑制することが必要となるそうです。

日本は発言しないことが美徳とされています。
秘すれば花という言葉もあるくらい。
自己主張が良いという文化がないからです。
会議で対話をして物事を進めるよりも、裏の根回しで決まる風潮があります。

チームビルディングで大事なことは、参加者は一人一票を持っているということなのです。

例えば家族を例に考えると、父親、母親、子供と3票あるのです。
多くの場合、子供には票がなく、合意形成されることなく親だけで物事が決まっていきます。

会社の場合だったら、社長が10票を持っていて、社員が1票しか持っていない。
この場合10人の会社だったら社長の一言で物事が決まるということがわかるでしょう。
いわゆるワンマン社長ということで、チームを作ることは難しくなります。

チームは一人一人が力を持っていることが重要なのです。
社長も1票、社員も1票持つことで対等な関係性を作ることができます。
これがいわゆる民主主義なのです。

議題の内容によっては、社長が一人で決めなければならない案件もあるでしょう。
そういうものは、ここではいったん脇に置いておきます。

1人1票持つということは、一人の人間として認められるということ。
なので、必要なのは意見を表明する必要がでてきます。

以下同文のように周りの人に合わせていれば良いというものではありません。
自分の意見を話すということが重要なのです。

ファシリテーターの役割として、この発言のしやすい場作りが大切となります。
そのために様々な仕掛けをしていきます。

家族でも1票を持っている。会社でも1票を持っている。地域でも1票を持っている。
この考え方が重要なんですね。
特に小さなチームでは1票の重みが大きいのです。

誰かが正直であるのではなく嘘をついていると、チームが崩壊することさえあるのです。
嘘じゃないとしても思っていることを表現しないことで崩壊することもあるのです。
こういう静かなる革命みたいなものは不健全です。

自分の意見を正直に言うこと。

これがチームビルディングのスタートです。

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自分の思考を手放して感情をクリアにするセッション。常時受付中
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オーダーメイドのツアーも対応可能です。
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