こじらせの美学

僕は青山学院大学でのワークショップデザイナープログラムの卒業生だ。
10年ほど前に社会人となり第3期生として3ヶ月ほど学んだ。
当時は1年目ということもあり、参加者はアーティストや舞台関係者も多く、自営業や会社員という属性の人はチラポラ。
群雄割拠というくらい個性的な仲間たちであった。

このご時世なので、なんとなく顔をみたいなと思ってzoomで同窓会みたいなことをやった。
劇場を立ち上げた仲間の応援という形で最初はスタートして、その流れでもう一度仲間が集った。

非構成型のワークショップのように、とても深い話になったのだ。

  • ワークショップとは何か?
  • コミュニケーションとは何か?
  • 個性とは何か?

そんなことへの対話が自然発生した。

「コミュニケーションって、うまく話すとか、うまく聞くとか、そんなんじゃないんだよ。
 もっと泥臭くて、面倒臭いものなんだよ。
 だから、面白い。」

小学校で演劇教育をしている仲間の言葉がキッカケだった。

世の中は効率と呼ばれるものが何よりも重要視されている。
器用な子たちはそれでいいのかもしれないが、器用と呼ばれている子たちも、大人の意図を汲み取ることで器用だと見られているにすぎない。

つまりは、大人の期待に沿って子供が合わせているにすぎないことがあるのだ。

最初から落とし所が決まっていて、シナリオがあり、そう答えが初めから用意されていて、それにあった答えを出すことが良しとされている。

教育系のワークショップでも、主催者や進行役がそんな態度でやられていることも多い。
教育って元々は鞭を打って従わせるみたいな意味があるからね。
強い言葉言えば、教育とは矯正とか洗脳と同じ質を持っている。
だって、大人が持っているビジョンに沿って教育はつくられるから。
学びたい人側の意見はそこにはない。

元々ワークショップは生きづらさを感じている人たちの間に広まっていたものだ。
ビートニクからヒッピーの流れで生まれてきたものだと認識している。
現代社会に合わない人たちはどこにでもいるのだ。
世界はよりよいものになっていっているけれど、それを良いものだと思えない人たちも必ず存在するのだ。
それが人間というもの。

今の生きづらい人は主流派ではない人たち。
平均的にできない人たちと行っても良い。
僕はそんな人たちに才能や個性を感じたりもする。

みんな同じだと楽なんだ。

みんな違って大変だ。それを面白がれるかが鍵を握ったりする。
多様性を認める社会にしようというお題目はあるけれど、声高に言っている人たちの多くは流行りだから言っているのではないかと思う。
社会問題というものは、問題だと思っている人たちが解決しなければならないからだ。
問題だと思っていない人たちは問題でもないので解決しようがしまいが関係ない。
解決したら既得権がなくなる時には反対さえもする。
既得権は経済的な損得だけでなく、思想的な損得もある。

ワークショップ的なるものに興味関心を持っている人たちは、自分の中にあるマイノリティの部分を感じている人が多いのではないかと思っている。

僕が尊敬する人たちは、取りこぼしのないように全体に気を配れる人たちばかりだ。
集団のうちの大多数の99%の意見ではなく、1%の意見を尊重する人たちだ。

僕らが子供の頃に学んできた民主主義って多数決だ。
学級会とかも最後は多数決で決める。
最初から多数派が勝つ仕組みだった。

とことんまで話し合うことはない。
特に少数派の意見をゆっくり聞いたり、意見が変わったりを良しとされた記憶はない。
本当の民主主義とは、とことん話し合うものなんだ。
その中で誰も妥協することなく最善の答えを見つけることが大事なのだ。

この考えのほとんどは理想論に近いものがある。
けれども、本当のデモクラティックとはと活動している人たちもいる。
不可能ではない。ただ非効率なだけだ。

若いということは大人の期待に作られた人間であることが多い。

とあるダンサーであり演出家である人から聞いた言葉

「子供たちの体は面白くない。
 なんの癖もなく自由にのびのびとしている。
 大人になればなるほど、体に癖がついてくる。
 怪我をしたり動きづらくなったりしていく。
 それが、面白い。」

そんなことを思い出した。

若いとは、まだ自分を確立していないともいえる。
それがひとつの良さであるんだけど、それぞれが、自分の価値観を知り、それを追求することで、自分自身になっていく。
自分自身になるということは、美学を持っていると言っても過言ではない。

自分を探求してきた人たちに共通することは、自分だけの美学を持っているということだ。

その美学というものは、社会とは相反する場合もある。
自分の美学を貫くことは容易ではない。
人のよっては、こじれているように見えるかもしれない。

まさに面倒臭いものでもあるのだ。

その面倒臭いことを楽しむのが大人の嗜みなのかもしれない。

いつでも自分の美学を受け入れて、今ここで最善を選んでいくこと。

それが自分自身とのコミュニケーションであり、周りの人たちとのコミュニケーションなんだろうな。

その場を作れる人が真のワークショップデザイナーであると思う。

そんなことを仲間から教わった2時間であった。

ありがとう。

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