死への恐れを手放すこと

この話はワクワクを生きるために大事な話だったりします。
深層心理を見ることの入り口になるかも。

12月は母親の命日がある。
僕にとっては、12月は一年の終わりだし人生の終わりを考える月でもある。
最近は朝イチで高尾山に登ってお参りをしてからお墓参りしている。

人類の歴史を見ても、不老不死を求める人は多い。
死は不可避なのに死なない方法を探している。
それは不可能なのだ。

人は必ず死ぬ。

これは真実であり現実なのである。
これは頭ではわかっているんだけど、実際に理解している人はいない。
永遠に生きるのではないかと心の奥では信じている。

だから死に対して恐怖を感じている。
だから話としてもタブーになりがちなテーマ。
忌み嫌われる存在が死なんだ。

では、人は死ななければどうなるかを考えてもらたい。
すぐに人口爆発が起きて人類は滅ぶ可能性がある。
食料が足くなり、奪い合い殺し合いが起きる可能性が高い。

なぜなら生物の世界を見ていると増えすぎると共食いが起きたりする。
人間の根源的な生存欲求がそうさせる可能性もある。
不老不死はユートピアではなくディストピアになるのだ。

人生の目的を生きることにすると不幸になる。
なぜなら死ぬのは自明の理だから。
生きることを自分の価値観の一位にすると敗北しか待っていない。

もちろん生きることは素晴らしいことだ。
生きることは前提条件なんだ。
そして死ぬことも前提条件として認めていたい。

生老病死という人類が感じる苦痛。
それの源は恐怖だ。
恐怖は避けようとすればするほど強くなる。

恐怖を否定すれば不自由な生き方になり、恐怖を回避すれば自信がなくなる。

死への恐れを手放すこと。
死はただの観念かもしれない。
観念というものは書き換えが可能なのである。

きっと動物は死を恐れていない。
なぜならその観念がないのだ。
死ぬまで生きるだけというシンプルなこと。

死を考えると生が輝くしなないのだ。
死なないようにするのではなく、死ぬまでにやりたいことを書き出すのだ。
つまりそれが生きるということなんだ。

そして、やりたいことを片っ端からやっていく。
やりたい夢はやることで死んでいく。
そうするとまたやりたいことがでてくる。

まるで不死鳥のようだ。
自分の中にも生と死がある。

死を受け入れること、恐れを手放すこと。
そうすれば新しい人生が始まる。

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