大人になると真実は語ってもらえない

このつぶやきに多くの人が共感してくれました。

子供の時にはあれこれ色々と言われていて五月蠅いなくらいに思っていたのに、大人になったなら何も言ってくれない。これは自分が成長したから言われなくなってたと思ってた。そのうちに「あれ?おかしいな」と気づき始め、ある時に穴があったら入りたいと恥ずかしくなるほど誰も何も言ってくれていなかったんだと気づいた経験をした人が多いのかもしれません。

また、耳が痛いことを言ってくれた人に対して「失礼な。なんてひどいことをいう人だ」と付き合うことを辞めたら、ある時に大きな失敗をしてしまった。あの人が言っていたことは正しかったんだと後悔するようなことも経験したのかもしれません。

大人になると社交というものが始まります。

家族や友人以外の人と多く付き合うようになります。特に初対面の人と話をする時に、真実からは遠いところから話を始めたりします。天気の話だったり、出身の話だったり、趣味の話だったりとお互いの共通項目について探り合って話をしたりします。

いきなり確信的な話をすることはなくなります。耳障りの良いことを言う人たちも多いかもしれません。また逆にマウンティングと呼ばれる不愉快なことを言われるかもしれません。どちらも、どうでもいい話です。

家族の小言もうるさかったなと懐かしく思う日が来ているかもしれません。いや、まぁ本当にうるさかったんだけど・・・

大人になると本音で話をしてくれる人、特に苦言を言ってくれる人は減ってきます。人は基本的には愛されたい動物です。嫌われたくはありません。本当の真実って耳が痛いことであることが多かったりもします。自分の心に痛みがあることをズバッと言われると、ストレス反応としてネガティブな感情が湧き上がり、怒りという形で外側に表現されることがあります。怒りを通り過ぎて何も感じなくなる人もいたりします。麻痺しているという状態です。これは自分では気づけないかもしれません。

人は本当のことを言われると不機嫌になるのです。最悪関係性は壊れます。

言われたくないと思っていることは真実であることが多いです。自分でうすうすは気づいているという状態は言葉にしていない状態、言語化されていない状態です。それを言葉で言われるからカチンとくるのです。

わかっているよと反論したくなるかもしれませんが、大人ならその問題を先送りにするべきではないのです。根本的に解決していたら何を言われても腹も立ちませんから。

苦言を言われたら、何か自分に関係しているかもしれない。

怒りや悲しみの感情があふれたら、何か解決していない問題があるのかもしれない。

何も感じずに冷たい感じがしたら、何かあるのかもしれない。

出来事をそのようにとらえてみることをお勧めします。

苦言を本気で言ってくれる友人・知人を持つことです。

できるならメンターと呼ばれる存在や、僕らみたいなプロの助けを求める必要があるかもしれません。

耳が痛いということはチャンスです。

自分に気づくタイミングが来たということです。

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