遊ぶとは悪なのか?

僕は遊んでいないとダメな人間になってしまうと書いたら、こんな質問を受けました。

 

「遊びは悪だ。遊びを断って、頑張れ」と言われた。

遊ぶことは悪いことなのでしょうか?

 

あなたはどう思いますか。

 

プロセラピストの上田正敏です。

遊びとは何か?

僕は人間にしかできない知的好奇心を満たすものだと思っています。

創造力の源になっています。

 

生物学的にみると、動物って無駄なことはほとんどしないんですよ。

お腹がいっぱいなら寝ています。

お腹が空いたら狩にでます。

シンプルです。

 

ところが人間は、無駄なことをしたがるのです。

無駄とは余計なことです。

ただ、この余計なことをしているから文化や文明が発達してきました。

今現在、地球は人間の時代といえるくらいになっています。

 

遊びというのはとても大切だと思っています。

余裕があることも遊びを作るという言いますね。

 

「遊ばずに頑張れ!」

これほとんどの人が受験の時に言われるんじゃないかな。

 

赤ちゃんに遊ぶなとは言わないでしょう。

幼稚園の時にも遊ぶなとは言われないかも。

「遊んでいないでご飯食べなさい。」はあるかな。

小学校に入って、「遊んでないで宿題しなさい。」とか言われたりしますね。

この辺りからでしょうか。

遊ぶなと言われるのは。

 

受験も大きく関係してきている気がします。

「試験に受かるために、遊んでいないで、勉強しなさい。」

親や先生がよくいう台詞です。

 

 

中学校の時には試験1週間前だと早く学校が終わって、市民プールに遊びに行ったら、担任から怒られて学年でも問題になったようなことがありました。

うちでは、試験一週間前になって、どうしても山に行きたいと思っていた時に、親に言われたのは「行ってらっしゃい」という言葉です。

「お前は飽きっぽいから、山に行って気分転換したほうが、勉強にも集中できるから。」

と背中を押してもらったことを覚えています。

 

聞いた話によると、デモクラティックスクールでは、ゲームだろうが、遊びだろうが、禁止はしないそうです。

「ゲームはしないの?」

「もうゲームは飽きちゃったよ。」

「なんで?」

「だって1日中寝ないでやっていたら、目が痛くて開けられなくなっちゃったんだ。思う存分にやったから、もうそれで卒業だね。」

「へぇ。」

何をどれくらいやるかは自分で決めるのです。

勉強もどれくらいやるのか自分で決めるのだそうです。

 

違うエピソードも。

今まで算数も数学も勉強をしたことがなくて、「突然に数学が勉強したい」と15歳くらいなって初めて思ったそうです。

そうしたら約3ヶ月で小学校の算数、中学校の数学を学び終えたそうです。

しかも楽しかったとさらに高校数学まで学ぼうという意欲を持っていたそうです。

 

普通の親は、「遊んでいないで、勉強しなさい。」というような言葉を言うのではないでしょうか。

この「遊ばない」という禁止や否定は脳科学的には言ってはいけない言葉です。

 

「すっぱい食べ物を思い出さないでください。

みずみずしいレモンを半分に切ることを想像しないで下さい。

果汁が滴り落ちたのが口に入っていること想像しないで下さい。」

と言われたらどうでしょうか?

 

これを書きながら、口の中は唾液でいっぱいです(笑)

禁止は欲求に火をつけます。

禁止されればされるほどやりたくなってしまうのです。

 

右脳は禁止を理解でいないので、「やめろ」というのは「やれ」と変換されてしまいます。

がまんを続けすぎると心や体を壊しちゃったりしますからね。

 

犬がおいしそうな餌を前に「待て」と言われ続けたらどうなるでしょうか?

数秒?数分?数日?数年?

 

遊ばないで勉強することが大切なのではありません。

これは方法です。

目的は何でしょう?

受験なら、合格するのが目的です。

合格すれば何でもいいのです。

 

ひとつの戦略として、「遊ばない」はありかもしれません。

それは人に言われて選択するのではなく、自分で感じて自分で考えて自分で選ぶことが大切なのです。

 

そういえば大学院の助手の先生から色紙をもらったことを思い出します。

「よく遊び、よく学べ!」

どちらもバランスよくすることが大切です。

そのバランスも自分がベストなパフォーマンスをだせるように工夫することが大切になります。

 

僕は会社員時代に仕事が嫌いでした。

ところがある時から決めたのです。

仕事は遊びなんだと。

 

遊びは仕事と違って手を抜けないな。

手を抜かないようには楽しくなるように工夫しようと。

それを話したら上司に怒られたんだけど、遊びの意味を力説したら理解してもらいました。

 

今でも面白いと思ったら、トコトンのめり込みます。

興味を持って面白いと思ったセミナーもいきます。

そうすると「宿題か。嫌だな。」という人がたまにいます。

「嫌ならお金払ってまで来なければいいのに。自由参加なのに。」

とついつい思ってしまいます。

僕の場合は、面白いと思ってのめるこんでいるうちに、遊びが仕事になっていきます。

お金のために勉強しにいくのはありません。

面白いから勉強にいくのです。

面白いから学び、学んだらもっと面白いからもっと学んでいく。

そのうちに、それを仕事にしないかと他者に誘われるのです。

僕の場合、遊びが仕事になっていくプロセスをたくさん体験しています。

 

宿題が嫌だと言っている人は、

勉強は嫌だという強迫観念があるのでしょうか?

仕事は嫌だという脅迫観念があるのでしょうか?

 

脅迫観念は外すことが可能です。

それが僕の仕事です。

観念が変えられるというのに興味を持ち続けて、ずっとのめり込んでいます。

人間の面白さは僕の好奇心をいつも刺激してくれます。

 

遊びは悪だと決めつけないこと。

だからといって

遊びは善だと決めつけないこと。

 

善悪二元論では物事は解決しません。

 

遊びは遊びにすぎないのです。

 

よく遊び!よく学べ!

そのバランスは自分で見つけろ!

 

これで答えになっているでしょうか。

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