教育とは興味を持たせること

世の中の教育事情も混沌としています。

先日、テレビを見ていたら様々な教え方があるんだなと思った。

理解していない人に合わせる教育。理解している人に合わせる教育。

親切丁寧に教える教育。教えない教育。

授業型の教育。ワークショップ型の教育。

詰め込み型の教育。ゆとり教育。

 

古今東西ベストな教育は人それぞれなのかもしれません。

個人的な適正の問題だけでなく社会的な要因もあるのでしょう。

教育って、どんな大人を育てたいのか、どんな社会にしていきたいのか、どんな未来を創っていきたいのか、そんな要因に左右されてきます。

 

いろんな教育方法がありますが、僕は教育も一番の目的な「興味を持つこと」という目的以外にはないと思っています。

教育とは外的な要因。

教えてもらう側からみると、求めて教えを請うか無理矢理教えられるか(笑)

教える側からみると・・・う〜ん。。。なんでしょ。人それぞれ目的や意図がありそうです。

 

僕はなぜか、子どもの頃から「先生にはならない。」と心に固く誓っていました。

どうしてそう思ったのかは謎なんです。

母方の親戚には先生が多かったりするんですが、特に嫌な想いをしたことはないし、学校の先生方には恵まれていました。

 

先生にはならなかったのですが、教育法にはとても興味があるのです。

「教育とは、何だ?」という問いが先生でもないのにいつもあるのです。

人が人に影響を与えることはすべて教育だと思っているのかもしれません。

 

僕がいきついた答えは「興味を持たせること」ということ。

興味を持てば、自発的に学ぶようになるのです。

「知りたい!」という人間なら誰もが持つ好奇心に火をつけられるか。

それが鍵になると思っています。

究極的には、学びたいと思わなければ学ぶことはできないと。

知りたいと思わなければ、知ることはできない。

始まりはいつも自分から。そして他者との交流により学びが深まっていく。

さらに人に教えることで学びが最高点に達します。

そして、また次の学びのステージに上がっていく。

 

先日開催した、ボディ・トーク・ワークショップは、キネシオロジーの基本と僕が今到達している最高点を伝えました。

決まったカリキュラムも作らずに、だいたいの方向性を決めて、その場の空気を読んで進みました。

僕個人の経験だけでなく、参加者の経験も学びの場にでてくると何かがそこで起きるのです。

人生丸ごとをかけた学びの方法論を作っています。

例えるなら小学校の授業と大学院の授業の混合です。

結果、とても満足していただいたようで僕も一安心。

次回は1月31日(木)です。これ定期開催してみようかな。

 

人それぞれの人生経験を尊重しながら、人それぞれの興味に火をつけながら、僕の知的好奇心と仮説検証も含めながら「学び」を極めて行く1年にしていきます。


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